物は置き場所、人には居場所(その10) 日常をデザインする哲学庵 庵主 五十嵐玲二
9. ぼくらの村にアンズが実った (菌根菌と樹種の多様性)
ぼくらの村にアンズが実るために乗り越えなければならない、様々な困難を紹介していくうちに、ページ数が多くなりましたので、二つに分けます。
『 黄土高原における緑化協力にために、「緑の地球ネットワーク」は四ヶ所の苗圃を確保しており、合計で二五ヘクタールほどになります。大同県国営苗圃の一角を借りている針葉樹育苗基地を九九年春に訪れると、責任者が興奮ぎみに話してくれました。
「ここの苗圃で二〇年以上働いているけど、こんないい苗は育てたことがないし、見たこともない。マツの育苗ではここは有名で、先日は新栄区から引き合いがあった。
従来からの苗を見せると、「いい苗だ。一本0.2元で買いたい」という。そのあと、日本側の技術で栽培した苗をみせると、「0.3元でもいいから、こっちの苗がほしい」という。
でも、みなさんの苗だから売ることができなかった。今年からは全部の苗を新しい技術で栽培しますよ」というのです。私たちがみても、その差は歴然としています。第一に私たちのマツ苗はよく生えそろっています。
ここらで種明かしをしましょう。私たちが栽培しているマツ苗は、種を蒔く前の苗床にマツ林の表土を少量と木炭クズを加えました。生育のちがいを生み出したのが、菌根菌の働きです。
菌根菌というのは菌根をもつ菌、植物の根に共生する微生物のことで、キノコやカビのなかまです。植物の根の細胞のなか、あるいは細胞と細胞のすきまに菌糸をはいりこませ、栄養は糖のかたちで植物からもらいます。
そのかわりに、菌糸を土のなかにも伸ばして、根と土とを密接に結びつけ、植物の根が水やミネラルを吸収するのを助けるのです。そのために植物の生育がよくなり、また菌糸によって根が保護されることで寒さや病害虫に強くなります。
九七年春、菌根菌研究の草分けである小川真さんに大同で指導してもらいました。そのときは数百本のポット苗で実験したのですが、菌根菌を接種したものは四ヵ月後には二倍に生育し効果が確認できました。
そこで、九八年春からこの針葉樹育苗基地を立上げ、実用化に乗り出したわけです。さっきは実験区と書きましたが、じつは毎年二百万本以上生産する体制をとったんです。この機動性がNGOの強みだと思います。
えられたデータを小川さんに報告すると、とても喜んでもらえました。そして「菌根菌の効果がでるのは、ふつうはもっとあとですよ。
現場の山に植えたあとで効果があらわれるというくらいに考えたほうがいいんです。一年めでそんなにはっきりちがいがでるのは、現場の環境がよほど厳しいからですよ」といわれるのです。
小川さんのことばでもわかるように、この技術は大きな苗を育てることに意味があるのではありません。山に植えたとき、活着がよく、乾燥や寒さ、そして病虫害につよい、そんな苗を育てる技術なのです。
そして条件の悪いところほど、その効果ははっきりするようです。二〇〇〇年の春から、菌根菌を接種した苗を植林現場に植えるようになりました。活着率は顕著に向上しました。
地元の人たちが驚いているのは、これまでの苗だと植えた当年は枯れないで活着するのがせいぜいで、ほとんど伸びなかったのですが、菌根菌を接種した苗は植えた直後から伸びはじめることです。 』
『 材料もすべて現地で調達できますし、方法も簡単です。菌根菌の胞子とその接触を助ける木炭のクズ、軽石といったものがあればいいのです。マツの育苗なら、キノコの生えるようになった松林の表土に胞子がはいっています。
大同のばあい、つかっているのはアミタケです。木炭クズは、シリコン精製工場で還元剤につかっている木炭のクズをもらってきました。
最初にこの技術を苗圃の技術者に伝えたとき、彼らは半信半疑でした。最初の一年で効果を確信してくれたおかげで、木炭も松林の表土もすすんで準備するようになりました。
しかし、それ以上に彼らを駆り立てたのは、菌根菌をつかって育てた苗は、1.5倍の値段で売れることです。
この事業を準備する過程で中国林業部の報告書に目を通していたら、「中国は国土が広大なのに、南はコウヨウゼン、北はポプラというたった二種類の樹木で緑化をすすめてきた」という反省がかいてありました。
北のポプラにはカミキリムシの害が広がっているという指摘もあったのです。この活動の立上げのころ、相談にうかがった中村尚司さんは「環境問題にとって循環性、多様性、関係性という三つがキーワードですよ」とアドバイスしてくれました。
植える樹種に多様性をもたすこと、混植を実現することは、私たちにとって最初からの課題だったのです。でも、言うは易し、行うは難しです。
第一の困難は適合する樹種が乏しいことです。大同の一月の最低気温はマイナス三〇度近くですが、実際に木を植える山地ではさらに下がります。その反面、夏の最高気温は三五度を超え、けっこう暑いのです。
南の樹木は越冬が困難です。低温に耐える北の樹木は、小さいうちはいいようにみえても夏の暑さでだんだん弱り、弱ったところを病害虫などにやられる危険性があります。
そのうえ大同の農村はたいへん貧しく、余裕がありませんので、植える樹木がなんらかの経済性を備えないと、農民の積極性を引き出すことができません。こうした条件を備える樹木は容易にみつかりません。
第二の困難は関係者が混植の必要性を認識してないことです。私たちが混植を主張すると、技術者の一人は「複数の樹種を植えると、たがいに太陽光線を奪いあい、水を奪いあい、肥料を奪いあうことになるから、慎重に検討しないといけない」とこたえました。
「慎重に検討する」というのは、日本と同じで、「しない」という意味です。自然の森林を目にしたことがなく、環境の厳しさをいやというほど味わっていると、このような考えにおちいるのも無理ないのかもしれません。
転機となったのは九七年、大同県の遇駕山(ぐうかざん)をはじめ、三北防衛林のモデル林で枯れ死するモンゴリマツがでてきたことです。あわてて日本の専門家の数グループにみてもらいました。
地元の技術者といっしょに林のなかを観察すると、つぎのことがわかりました。アブラマツにはマツノハマキガが発生しているが、モンゴリマツにはでていない。
モンゴリマツにはハダニが発生しているが、アブラマツにはない。そしてモンゴリマツとアブラマツが混じっているところはどちらの虫も発生が少ない。
さらに、あいだにポプラやヤナギハグミが混じっているところは虫害の発生が少なく、マツの育ちもいいというものです。その効果があまりに劇的であることに私たちもびっくりしました。もともとの植生が少ないために混植の効果がてきめんにでるようです。
地元の技術者も、自分の目で確認するなかで、混植の意義を認識するようになりました。私たちの協力プロジェクトでは、九八年春から最大六種類の樹木を混植するようになったのです。
そして植物園建設へむけての思想的な準備もこれによって大きくすすみました。なんらかの飛躍がもたらされるのは問題が起こったときです。悪いことはいいことに変わるのです。 』
『 九九年七月、渾源県呉城郷にアンズをみにいきました。この郷の振興村の小学校付属果樹園にアンズを植えたのは九五年春のことです。
私たちが協力したのは、五・三ヘクタール、四五〇〇本ほどですが、郷ではそれから数年かけて、四〇〇ヘクタール、三十万本ものアンズ園をつくりました。
この郷がアンズを植えたのと同じ時期、大同全域でアンズの栽培が大々的にはじまりました。乾燥と寒さに強いアンズはこの地方に最適の果樹だ、と政府が奨励したんです。
あちこちに大面積の「仁用杏基地」はできましたが、いまはその大部分は記念碑を残すだけになりました。私たちが協力したなかにも、大同県瞳郷のように失敗したプロジェクトがあります。
失敗の原因はいろいろでした。冬のあいだにノウサギの襲撃をうけ、壊滅的な打撃をうけたところがあります。暖冬続きで発生したアブラムシの害を受けたところもあります。
せっかくついた苗が接ぎ木に失敗した「ニセ苗」だったために、農民に引き抜かれたところもあります。
「幸福な家庭は一様に幸福だけれど、不幸な家庭はそれぞれに不幸だ」と書いたのはトルストイですが、成功の原因は一様だけど、失敗の原因はそれぞれだといったところ。
成功させるには、ひとつひとつの関門をクリアーしていくしかないんです。ところが失敗のほうは、原因がいくつもいくつもある。
呉城郷のアンズは、そのようななかでみごとに成功しました。いま現場でみると、となりあう株の枝が重なるところまで生長し、剪定もきちんとしてあります。
株もとの樹皮に白いものが残っているのは、ノウサギの忌避剤です。毎年ちゃんと忌避剤を塗っていました。ちょっとでも塗り残しがあると、そこをノウサギがかじるんですね。
本来なら最初の収穫は九八年になるはずでした。ところが花が咲き終わったばかりのとき、急に寒くなり、凍害のために幼果が落ちてしまいました。収穫ゼロです。この一帯はその年、穀物はかなりの豊作でした。
ところがアンズに切り換えたこの郷は、みじめな状態です。もし九九年も収穫できないとなれば、せっかくここまできたのにどうなるかわかりません。そのことがずっと気がかりでした。
でも話をきいて安心しました。九九年はアンズの大豊作で、この郷は全体で一〇〇万元以上の収入をえたそうです。多い家は一万元にもなりましたから、たいしたものです。これくらいに育つと、ウサギの害や虫害も少なく、手がかかりません。
九九年の大同は大旱魃でした。七月中頃に三〇ミリほどの雨が降りましたが、それまでカラカラでした。一メートルに満たないトウモロコシが穂をつけ、二十センチほどのジャガイモが花を咲かせているのをみると悲しくなります。
これでは収穫は望めないでしょう。そのうえイナゴやバッタが大発生し、農薬の空中散布がなされています。そのようななかでのアンズの豊作ですから、郷の人たちは去年とはまるで逆の気持ちを味わっていることでしょう。
残念だったのは、数日前に収穫が終わっていたことです。取り残しの実がところどころに残っているだけです。
この呉城郷は、最近「退耕還林」(退耕還林とは、急傾斜地など条件の悪い畑の耕作をやめ、森林や草地に戻す政策)のモデルとして、省内はもとより全国的にも注目されるようになりました。 』
『 呉城県のアンズは、収穫二年目の二〇〇〇年も豊作でした。一〇アールあたり八二本が標準ですが、そこから一六〇キロの杏仁(きょうにん)がとれたのです。一キロ一〇元ですので、一六〇〇元です。
このアンズは果肉を食べる種類ではなく、杏仁を目的に特化したものです。アンズの種を割ると、なかに柔らかい部分、仁がありますが、あれを薬材・食材にするわけです。
鎮咳(ちんがい)・去痰(きょたん)をはじめ、幅広い用途の薬剤として使われますし、中国ではジュースや点心に加工されています。炒めてそのまま食べることもあります。日本でなじみのあるのは中華デザートのアンニントウフでしょうか。
アンズを植えるまでは、アワ・キビ・ジャガイモを栽培していました。これらの食糧は一キロが二元ほどです。ジャガイモは五キロを一キロに換算します。一〇アールあたりの収穫高は最高でも一五〇~二〇〇キロでした。お金にすると三〇〇~四〇〇元です。
ですから、アンズに換えたことで、収入は四~五倍にふえました。アンズはまだ若木なので、あと三年もすれば、最低でもいまの二倍に増えるでしょう。
効果はお金だけじゃないんですよ。となりの株と枝が重なりあうくらいにアンズが育つと、水土流失は軽減されます。雨の日に林を歩くときのことを思い出してください。
雨水は葉や枝で受け止められ、幹を伝わって地面にふります。それから根を伝わって、土のなかに浸透します。雨が地面をたたくことはないし、地面に水がたまることもない。その効果はアンズだって同じです。
それから、いい実をならすには、アンズは毎年、剪定をしないといけないんです。切った枝が燃料になります。そうすると周囲の灌木をつかわなくてすむから、多少なりとも植生が回復します。
アワやキビの茎も燃やしていたんですけど、そういう畑の副産物が堆肥になって畑に戻るようになります。これまでは水土流失によって土壌がしだいにやせ、あの悪循環におちいっていました。
アンズが育ったことで、それらが止まり、いいほうの循環に少しずつ変わっていくんです。そのうえに、収入の一部が教育支援につかわれ、人材の育成に役立つ。一石二鳥、三鳥なんですね。このあとどうなるか、とても楽しみです。 』 (第10回)
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