180. なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったか? (ひすいこうたろう+滝本洋平著 2016年11月)
本書はスティーブ・ジョブズについての本ではありません。これは注目を集めるための題名です。本当のタイトルは、「真の幸せを生きるためのマイルール28」です。
28人のマイルールを(直接インタビューしているわけではありませんが)を紹介した本です。そのうちから数名を紹介していきます。では、読んでいきましょう。
『 あなたはなんのために働いているのでしょうか? お金のためでしょうか、生活のためでしょうか。アップル(Apple)の創業者、スティーブ・ジョブズ。彼は、お金のために仕事をしていたわけではありません。
だから、一度離れていたアップルに復帰を果たしたとき、彼が会社に要求した年俸は、1ドルでした。では、ジョブズはなんのために働いていたのか? それは、「世界に衝撃をあたえるため」です。
最初の「マッキントッシュ」というパソコンが完成したとき、ジョブズはペンを取り出し、チームメンバーにサインを書くように求めました。46名のそのサインは、すべてのマッキントッシュの内側に彫り込まれました。
ジョブズの思いは「アーティストは作品に署名を入れるんだ」ジョブズにとって仕事とは、お金を稼ぐ手段ではありませんでした。仕事とは、チームのメンバーとともに「世界に衝撃を与えること」
そのために生み出したものは、彼にとって、すべて「作品」だったのです。パソコンの内部にある部品が取り付けられた基盤は、外からはみえない。しかし、目に見えないところにまで、基盤の美しさを求めたジョブズ。
「中を見る者などいないから意味がない」と、ジョブズに反論したエンジニアもいましたが、ジョブズの答えはこうでした。「できるかぎり美しくあってほしい。箱の中に入っていても、だ」
世界に衝撃を与えることが生きる目的だったジョブズは、こうも言ってます。「私はアップルの経営をうまくやるために仕事をしているわけではない。最高のコンピューターをつくるために仕事をしているのだ」
最高のコンピューターをつくることこそ、ジョブズの人生の「最優先事項」(トップ・プライオリティ)でした。そのために、ジョブズは、毎日、黒いタートルナックを着ていたんです。
毎日、黒いタートルネックに、リーバイスのジーンズ、ニューバランスのスニーカー。もう、毎日その格好です。なぜなら、彼の生きる目的は、「世界に衝撃を与えること」だから。
そのために、ジョブズは、人生から、「服装を考える時間」を削除したのです。そんな時間があるなら、世界に衝撃を与えることに回す、というわけです。
ジョブズには、決めなければならない大切なことが山ほどありました。その時間を生み出すために、自分にとってそれほど重要ではないものを省いていったのです。
自分にとって、何が一番大切なのかがみえていれば、何がなくてもいいのかはすぐにわかります。ジョブズは言います。
「何をやっているか、ということだけでなく、何をやらないか、ということにも、僕は誇りを持っている」。「何をしないのかを決めるのは、何をするのかを決めるのと同じくらい大事だ」と。
実は、ジョブズが毎日着ていた黒いタートルネックは、日本のブランド「ISSEY MIYAKE」でした。
ジョブズの体のサイズを細部にわたりはかって、肩や両腕の長さの調整を施したスペシャルオーダー、最初のオーダー数は50枚とも100枚とも言われていますから、毎日、黒いタートルナックを着ていたと言っても、同じものをたくさん持っていたわけです。
一番大事にしたいものを一番大事にできたら、人生から「後悔」という文字は消え去ります。アメリカのディーパック・チョプラ医学博士によると、人は一日に6万回もアレコレぼんやりと考え事をしているそう。
その証拠に今から1分、何も考えないでみてください。はい、もう、その間にアレコレ考えていましたよね?僕らは無意識に1日6万回も、過去を悔やみ、未来をアレコレ心配しているのです。
しかもその9割は昨日と同じことだそうです、凡人と天才の違いは、実はここにあるのです。天才は、自分がどう生きたいのか、何を最優先課題(トップ・プライオリティ)としていきたいのかが明確に決まっているのです。
だから、いつも、そこに意識の焦点を合わせることができる。こう考えてみて下さい。僕らは、一日6万本の意識の矢を持っていると。凡人はその6万本の意識の矢をどうでもいいところに放っている。
一方、天才と言われている人たちは、その6万本の矢の多くを、自分が目指す場所へ放っている。その違いだけなのです。では問います。「あなたにとって、真の幸せとはなんでしょう?」
もし、この問いにすぐに答えられないとしたら、一度、人生をしっかり見つめ直す必要があります。行き先を決めないことには電車のチケットすら買えないのです。ならば行きたいところに行けるはずがない。
「流れ星に願い事を言うと叶う」と言われているのは、その一瞬に願い事を言えるほど、願いがいつも意識の真ん中にあるからです。あります。ルールがあれば、決して迷わないのです。
この本は「一流の人」「すごい人」「面白い人」たちの「美学=マイルール」をまとめた本です。人生の達人たちのマイルールを参考にして、自分の真の幸せを見出してください。
それを実現するために、あなたは何を最優先事項にして生きればいいのかを、この機会にぜひ見つめ直してほしいと思うのです。 (まえがき ジョブズに学ぶマイルール)より 』
『 のぶみさんは、現在まだ30代ながら、170冊以上の絵本を出版し、2015年に発売になった「ママがおばけになっちゃった!」は年間一番売れた絵本になった。
その続編「さよなら ママがおばけになっちゃった!」は初版12万部という、絵本として日本一の初版部数を記録し、シリーズ累計53万部を突破。作品は世界中で翻訳されています。
のぶみさんの夢は、自分の生み出す作品やキャラクターで、世界中の子どもたちを笑顔にすること。それがのぶみさんが人生をかけてやりたいことであり、のぶみさんの幸せです。
そのためには最高の作品を仕上げる必要があるわけですが、その方法論が、「試行錯誤の数」なのです。「絵本を一冊つくるのに1000人に読み聞かせする」というのです。
日本一の絵本をつくることは誰にもできるわけではありません。でも、日本一試行錯誤することなら、情熱さえあれば誰にでもできます。
のぶみさんと僕(ひすい)でやらせてもらっているポットキャストのラジオ番組「ラブナチュ(ラブ&ナチュラル)」でも、収録後に、つくり途中の絵本のラフを何度も読み聞かせして、意見を聞いて、すぐに作品の手直しをしています。
一冊つくるのに、何回も読み聞かせて、何百回も手直しするわけです。
「人生はワンチャンス!」「夢をかなえるゾウ」など、ベストセラーを連発する作家・水野敬也さんも、作品タイトルは1000案考えると講演でおしゃっていました。
この話を聞いて、「水野にできて(呼び捨て、勝手にライバル視)、俺にできないわけがない」と、やってみたことがあるんです。しかし、300案出すのがやっとでした。その本は10万部売れてベストセラーになったんです。水野さんの200万部には遠く及びませんでしたが。
ちなみに300案出し、10万部売れた僕の本のタイトルは、「心にズドン!と響く「運命」の言葉」。実はこのタイトル、300案出したにもかかわらず、どれも採用にならず、最終的に編集者さんがつけてくれたタイトルです(笑)。
ちなみに水野さんも1000案出したけど、「夢をかなえるゾウ」というのは編集者さんがひらめいたタイトルだそうです(笑)。
本気になれば、自分からいいアイデアが出なくても、まわりが応えてくれるってことです。 』(日本一の絵本作家のぶみ)
『 「夢はにげない。逃げるのはいつも自分だ」「大人がマジで遊べば、それが仕事になる」「七転び八起」なんて甘い。「億転び兆起き」ぐらいのテンションでいこう」「未来のために、今を耐えるのではなく、未来のために、今を楽しく生きるのだ」
そんな、数々の名言を持ち、著作累計200万部を超えるベストセラー作家であり、自由人と呼ばれている男・高橋歩(あゆむ)さん。まずは、自由すぎる彼の経歴から見ていただきましょう。
歩さんは20歳のときに大学を中退し、仲間4人、借金だらけでアメリカンバーを開店。2年で24店舗に広げるものの23歳で経営権をすべて手放し、今度は自分の自伝を出すために、無一文&未経験で出版社を設立。
一時は3千万円の借金を抱えますが、その後、大逆転。自伝「毎日が冒険」をはじめ数々のベストセラーを世に送り出しました。そして、26歳で彼女と結婚。
経営していた出版社を仲間に譲り、再びすべての肩書をリセットし、奥さんと2人で世界一周の旅に出たのです。約2年にわたり世界中を放浪し、帰国後は沖縄に移住。
カフェバー&海辺の宿を開店させ、さらに自給自足のアートビレッジを創りあげました。その後、結婚十周年を記念し、2010年からは、家族4人で世界一周の旅に出発。
同時に東京とニューヨーク・パリ・インド・ジャマイカなど世界中にレストランバーやゲストハウス、フリースクールを次々と展開。
そして4年にわたる家族での世界一周旅行を終えた彼は、今度は、ハワイ・ビッグアイランドへ拠点を移し、新たな夢に向かって歩み始めています。
「自分らしさなんて、どうでもいい。等身大でも、そうじゃなくてもいい。「自分」は、探さなくても、今、ここにいる」「ただ、自分の心の声に正直に」
自分の心の声に正直に、夢と冒険に生きる男。どうやったらそんな自由な人間ができ上がるのでしょうか。その秘密は、彼を育てたお母さんのマイルールにあったのです。
「今日はなんかいいことあった?」毎日、子どもたちに問いかけるのが、歩さんのお母さんのマイルールでした。母さんは、毎晩、家族で食卓を囲むときに、「あゆむ、今日はなんかいいことあった?」と必ず聞いたそうです。
それに答えたくて、歩少年は、毎日「なんかいいこと、楽しいことないかな~?」と探していたそう。
あんまり、いいことがなかった日は、帰り道に、「やべぇ。今日はなんもいいことしてねぇ。道ばたに、おじいちゃんでも倒れていないか」なんて、本気で思っていたそうです(笑)。
そんなふうに育った歩少年は、「なんかいいこと」を自らつくり出す人になっていくのです。その幼少期から磨き続けたワクワクセンサーを全開にして。
「Believe Your トリハダ。鳥肌は、嘘をつかない」そう信じて。長年一緒に仕事をしている歩さんに、僕(滝本洋平)はひとつの質問を投げかけてみました。
「今の夢は何?」「世界は広いし、楽しいこともいっぱいあるけど、俺の人生最大の夢、それは、すごくシンプルだよ。「妻であるさやかにとってのヒーローであり続けること」。それだけだね」 』(自由人 高橋歩)
『 詩人、寺山修司はこう言っています。できないだろう」「どんな鳥だって創造力より高く飛ぶことはできないだろう」そう、人間に与えられた能力の中で一番素晴らしいものは、創造力と言っていいのではないでしょうか。
では、その想像力をどのように引き出すか? 小説「若きウェルテルの悩み」や詩劇「ファウスト」など多くの作品を残したドイツの文豪ゲーテ。
18歳でゲーテを出産した若き陽気な母、カタリーナは、どうしたら、子どもの創造力を引き出すことができるか考えていました。
ある時、ひらめきます。カタリーナは、幼い頃のゲーテに毎晩のように物語を読み聞かせをしていたそうですが、そこに工夫を施したのです。
物語を聞いている少年ゲーテくん。お気に入りの登場人物の運命が気に入らないと、顔を真っ赤にして怒り、涙をこらえるほどだったと言いますから、ゲーテくんはよほど物語に没頭していたことがわかります。
そして、いよいよ物語の結末。「えーーー。一体どうなるの!?」と少年ゲーテくんがワクワクと目を輝かせるそのときに、ゲーテママはこう言ってみたのです。「では続きはまた明日!」
なんと、ゲーテママはラストの気になるところで、寸止めしたのです。「え!!!!!! その先を聞かせて!」と、どんなにゲーテくんが頼んでもゲーテママは続きを読んでくれません。
そうすることによって、その物語の続きをゲーテに「想像」させるようにしたのです。その想像がきっかけとなり、ゲーテは幼い頃から、自分で物語や詩といった作品を生み出していたそうです。
ゲーテママ、カタリーナ、作戦成功です。母カタリーナは、ゲーテにこんな話をしています。「この世界にはあまたの悦びがあるのです。その探し方に通じていさえすればいいので、そうすればきっと悦びが見つかります」
ゲーテママは、この世界は悦びに満ちたものであり、想像力さえあれば悦びはいくらでも見つかるものだと考えていたのです。だからこその寸止めルール。
子育てにおいて、ゲーテママが一番大事にしたかったものは相動力。寸止めルールはその想像力を解き放つ方法だったわけです。「偉大な語り手」と呼ばれた母カタリーナは、ゲーテの一番のファンであり一番の読者でした。
ゲーテは母に詩について相談したり、作品の感想を求めたりもしたそうです。ゲーテの感受性を刺激し、想像力を育てたのは、母親のちょっと変わった読みきかせの力だったのです。 』(文豪ゲーテの母)
『 映画界の巨匠、スピルバーグ監督。監督作品の全米生涯興行収入は2014年時点で42億ドルで、歴代一位を記録。「JAWS」「E.T.」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「ジュラシィック・パーク」など。
数々の作品でヒットを飛ばし続ける世界最高のヒットメーカーです。とはいえ、映画の現場では様々なトラブルが押し寄せます。スピルバーグ監督は言います。
「映画監督は、予想外の問題を解決するのが仕事。最大の難関が最高にクリエイティブな解決策を生む。現場で何か問題が起こるのが楽しみ。それを乗り越える方法を編み出す」
普通、人は予想外の問題が起こることを嫌がります。しかし、その難関を乗り越えるアイデアを出すことこそが自分の仕事であり、楽しさであるとは、さすが世界最高のヒットメーカーです。
世界的ベストセラー「ハリー・ポッター」の映画化の際は、監督のオファーを断ったようです。なんでスピルバーグは断ったと思いますか? 理由は「ヒットが約束されているから」。
そんなスピルバーグ監督は、リハーサルをほとんど行わないことでも有名です。凄まじいまでの早撮りで、3時間近くある大作「プライベート・ライアン」も、二か月で撮影を終えたと言われています。
それほど早く撮れる秘密は、見せたいラストが決まっているから。スピルバーグ監督は、映画をつくる際ラストシーンから描く手法を好んでいるのです。
「最初からつくっていく」という積み上げるスタイルでは、途中で行き詰まったときに方向を見失う可能性もありますが、ラストシーンが決まっていれば、途中で迷ったりスランプに陥ったりしても、向かうべき方向がわかっています。
だから、打開策も見つけやすいのです。ちなみに、2003年の日本の興行収入第一位を記録した大ヒット映画「躍る大捜査 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」も、脚本を書いた君塚良一さんは、レインボーブリッジが封鎖されているラストシーンを先に決めて、物語を書いていったそうです。
これは、人生に置き換えるならば、ほんとうは、どうしたいのか、どうなりたいのかというゴールを最初に描き、そこから逆算していくという生き方になります。
僕(ひすい)の知り合いで、事業に失敗し、1億円の借金を背負った方がいます。1億円をどう返せるか、皆目見当がつかずに気力がわかず、途方に暮れていた。あるとき、彼は目標の立て方が間違っていると気付いたのだとか。
「1億円をどう返すのか」。この目標では、ラストシーンが、一億円の借金がゼロになるだけです。マイナスがゼロになるラストシーンでは、全然テンションが上がらないことに気づいたのです。
借金を返し、なおかつ毎月300万円くらいの収入があって、家族で毎月1回1週間家族旅行をするようなライフスタイルを思い描いた。そのラストシーンを描いているうちに、ワクワクしてきて待ちきれずに、なんと借金返済の最中、1週間家族旅行に出かけてしまったのだとか(笑)。
すると、ほんとうに、こんな未来を生きたいと気力がふつふつ湧いてきて、そこから数年で、描いていた未来をほんとうに実現してしまったのです。 』(映画監督スティーブン・スピルバーグ)
『 現代の心理療法に大きな影響を与えた。天才精神科医ミルトン・エリクソンはこう言っています。
「その人が持っていないものを与えることが心理療法ではない。また、その人の歪んでいる部分を矯正することでもない。その人が持っているにもかかわらず、持っていないと思っているものを、どうやってその人自身が使えるようにしていくか。そこを援助するのが心理療法です」
ダメな人を直すのがカウンセリングではないと言うのです。その人がもともと持っていものを気づかせてあげて、それをちゃんとその人自身が使えるようにしていくのが、ほんとうのカンセリングであると。まさにそれをデザインの世界でやっている方がいます。
ユニクロ、楽天のクリエイティブディレクションや、ホンダのステップワゴン、キリンの極生・生黒の商品開発から広告キャンペーン、国立新美術館のシンボルマークデザインなど、幅広く手がける、日本を代表するアートディレクター、佐藤可士和(かしわ)さんです。
可士和さんは、子どもの頃から絵が好きで美術大学に進学し、卒業後大手広告代理店に入り、大阪に配属されました。その頃、アートディレクターというのはアーティストに近いポジションだと思っていたそうで、自分の「作品」をメディアや企業の広告枠に当てはめるものと考えていた。
そして、最新のコンピューターを使い、尖ったことを追求する作品づくりをしていてたところ、こんな社内の評判が聞こえてきたそうです。「カッコつけてて、カッコ悪い」可士和さんは、根本的に自分は間違っているかもしれない、と大きなショックを受けたと言います。
それから4年後、東京本社に転勤となった可士和さんに転機が訪れます。RV車広告のビッグプロジェクトに参加することになったのです。その車こそが「ホンダ・ステップワゴン」です。
この仕事で、師と呼べる人物、コピーライターの鈴木聡さんに出会います。鈴木さんは、広告打ち合わせの席で、広告の話を一切しないのだそうです。それよりも商品とそれを取り巻く時代について、毎回、延々と話し合う。
「なぜRVが受けるのか?」「家族の車ってなんなのか?」「今、家族はどうなっているのか?」 そんなことを話し合う打ち合わせは深夜まで及び、鈴木さんと可士和さんは、タクシーに同乗し帰宅。その車内で、毎晩、鈴木さんと語り合ったとか。
それはまるで広告学校のようだったと言います。そこで可士和さんは、広告の表現以前に、その商品の「本質をつかむ」ことの大切さを知ることになったのです。
それまでの可士和さんは、広告とは、何かを演出するものだと思っていた。しかしそうではなかったのです。大切なのは、本質に向かうこと。
「洋服を着せていくことではなく、裸にしていくこと。そのときにたったひとつ残ったものが、コンセプトである」そう学んだそうです。
かっこいいものを着せていくのではなく、逆に引いて行く。裸にしてゆく。すると、最後に引ききれないものが残ります。それが本質です。引いて、引いて、裸にして、本質をつかむ。これが可士和さんから学ぶルールです。
可士和さんは、自分の嗜好や、やりたいことは一度置いて、商品が持っている本質は何かと、商品とクライアントにどこまでも素直に向き合ってみよう、と考え方を180度変えたのです。
自我を捨てて、対象と向き合うことにしたわけです。そんなある日、同僚がこんなことを言いました。「家族と出かける日曜日が苦痛だ」楽しいはずの家族との外出、それが苦行になっているのはおかしい。そう考えた可士和さんは、ひらめきました。
「この車で、楽しい家族との時間を取り戻そう! 家族みんなでどこかへ出かけることは本当はとても幸せなこと。それがすごく素敵に見えるように表現しよう」そして、かの有名なキャッチコピーが生まれたのです。
”こどもといっしょにどこいこう。”
ワゴン車を性能うんぬんという切り口でかっこよく語るのではなく、ワゴン車とは何か? ワゴン車とは、家族で楽しい思い出をつくるものという本質から描いたのです。引いて、引いて、最後に残るもの、それが本質です。
結果、ステップワゴンの広告は、従来の自動車広告のイメージを覆す大胆なものとなり、大反響を巻き起こし、セールス的にもミニバンカテゴリーのトップに躍り出て、キャンペーンは7年間も続行されました。
「それまでは、邪念がいっぱいあった。賞が欲しいとか、カッコイイものをつくってデザイナーとして評価されたいとか。商品にとって正しい広告とは何かということが見えていなかった」
そこで気づいたのは、自分の中の答えをひねくり出すのではなく、答えは相手の中にあって、それを整理して伝えていく、ということ。それが可士和さんのスタイルとなったのです。可士和さんは、自らを医師にたとえています。
「たとえるならまさに、僕がドクターでクライアントが患者。漠然と問題をかかえつつも、どうしたらいいのかわからなくなって訪れるクライアントを問診して、症状の原因と回復に向けての方向性を探り出す。問題点を明確にすると同時に、磨き上げるべきポテンシャルを救い上げるのです」
医師が診察するように、クライアントと話しながら、問題点を見出していく。そしてその課題を解決するデザインを処方箋として提案するわけですが、そのアイデアの答えは必ず相手の中にあるのだそうです。
可士和さんのデザインは、まさに冒頭の精神科医エリクソンのカンセリングのようです。相手の中にある答え(本質)を、自分で使えるように引き出してあげるのです。(アートディレクター佐藤可士和) 』 (第179回)
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