182. 砂漠化防止への挑戦 (吉川賢著 1998年4月)
本書の副題には「緑の再生にかける夢」とあります。帯には以下のようにあります。
「 気まぐれな気象条件と脆弱な生態系。集中する土地利用と急増する人口。乾燥地は、土地が荒廃し植生が後退する「砂漠化」の危険に常に直面している。
こうした土地に樹木を植え、失われた緑を復元するのが砂漠緑化—砂漠化防止のための緑化である。不毛の砂漠を緑の平野に変えることはできない。
農業、牧畜、林業の可能性を拡大し、生活環境を改善する方策は何か。中国、中近東などで地域の人々と共に乾燥と戦う著者からの熱いレポート。」(帯より)
前回の北極の氷の問題と同時に、緑の地球の砂漠化は、現代文明の大きな課題です。私は緑の地球から、熱帯雨林、マングローブ林、サンゴ礁が大切だと考えます。
緑の地球を支えているのは、木の葉です。木の葉は、陽の光を葉緑体で、空気中の炭酸ガスと水から、デンプンを合成すると同時に葉の表面から水分を蒸発させ、日陰をつくることによって、土壌の劣化を防ぎます。
熱帯雨林もマングローブ林も、地球の生物多様性を支える大切なものです。
三つ目の珊瑚礁は、サンゴ虫と褐虫藻の共生によって、サンゴ虫は、褐虫藻から光合成産物、または自らの触手で動物プランクトンを捕食することで、栄養を摂取します。
褐虫藻はサンゴ虫の代謝産物である二酸化炭素やアンモニアを光合成の基質として利用します。サンゴ礁には、海の多様な生物がそこに集まって、海の生物多様性を実現してます。
褐虫藻は、サンゴ虫の体内で増殖しますが、その密度を褐虫藻を体外に放出することで、調整してます。海水温の上昇によって、サンゴの白化が進んでいます。
では、「まえがき」から、読んでいきましょう。
『 見渡す限りの「砂漠」と飢餓難民が立ちつくしている「砂漠化土地」とはまったく別のものである。雨も降らず、泉もないところでは農業生産は行われないのだから、そんなところで農民は暮らしていけない。
だから、飢餓難民も生まれない。人びとが離農し、都市へと流れていくのは、もともと農業生産が行えた土地が「砂漠化」したためである。
1994年に採択された国連の「砂漠化防止条約」では、砂漠化とは「乾燥、半乾燥および乾燥性半湿潤地域において、気候変動(干ばつなど)や人間活動を含むさまざまな要因によって起こる土地の劣化である」と定義されている。
つまり、砂漠化は乾燥した気候の元で、生態系がより不毛な状態へと変化していく過程である。具体的には乾燥地の森林がサバンナに、サバンナがステップに、ステップが砂漠に変わっていくといった群系レベルでの植生の退行現象である。
一方、砂漠というのは、強い日差しと水不足のために植物が生育できず、生命活動が極端に制限されている荒廃地である。砂漠はすでに砂漠であり、砂漠化はしない。
砂漠化はあくまでも砂漠でない土地が砂漠に似た状態に変化していくことである。そこで、土地が荒廃し、植生が徐々に貧弱なものへと変化していくのを防ぎ、できればもとの状態に戻すための方策を考えるのが「砂漠化防止」である。
ふつう、砂漠化とか砂漠化防止という言葉はあまり誤解も抵抗もなく受け入れられるのだが、砂漠化防止の有力な手段として「緑化」という言葉が出てくると、とたんに話がややこしくなる。
砂漠化防止のための緑化を、日本では「砂漠緑化」と呼ぶことがその大きな原因である。「砂漠緑化」についての一般の理解としては、サハラ砂漠のような不毛な砂漠を緑の平原に変えて、人類が直面する食糧問題や地球温暖化問題の解決をめざすものというようなことになる。
砂漠防止と離れて、砂漠の緑化が一人歩きしてしまっている。そのため不毛な大地と戦う砂漠緑化が人類のロマンのように謳われ、人びとの関心をあおっている。
しかし、環境条件が生命活動を許さないような土地を、いったいどうすれば緑の大地に変えられるのだろうか。巨大な人工池をつくって雨を降らせようというようなことも言われているが、そうしたアイデアのほとんどは費用対効果を無視したものである。
しかも、水面があれば雨が降るというような単純な発想によっている。水面があれば雨が降るのであれば、なぜ、遠洋航海の船が飲料水を積んでいかなければならないのだろう。
そこで、そのうちの中国・内蒙古自治区の毛烏素(ムウス)砂漠での調査を縦軸にして、各地の乾燥地の現状を織り交ぜながら、乾燥地とはどのようなところで、そこにはどんな暮らしがあるのかを紹介したい。
著者も、はじめは月の砂漠と「アラビアのローレンス」に惹かれて砂漠緑化研究を始めたので、砂漠化に直面した人びとの暮らしなどまったく眼中になかった。
しかし、いざ実際に乾燥地へ行ってみれば、そこには天水農業を営む農民から遊牧民までが暮らしている。
砂漠の砂の上に坐って緑化を思えば、砂漠化防止が何をめざすのかはすぐに理解できるのだが、恋人同士が一つの傘に肩を寄せ合うこの日本では、砂漠緑化が別な意味に捉えられても致し方ない。
本書が、そうした恋人たちが、雨宿りをしながら、砂漠化の問題を考える一助になることを期待する。 』 (”まえがき”より)
『 天井知らずに増えていく人口を養うためには食料増産が至上命令であり、実際、今世紀半ばとくらべると世界の穀物の生産量は三倍に増加したいる。
しかし、「人口増加が食糧増加を上回るところに、諸悪の根源が存在する」と説く古典的マルサス論の原理は、いまや開発途上国のいたるところで現実のものとなりつつある。
一方で、「人は一つの口に対して、二つの手を持って生まれてくる」と、生産者としての役割を強調し、勤勉さを求める反論が行われているが、それは耕すべき土地があればのはなしである。
ほとんどの開発途上国では土地は偏在し、一部の大土地所有者が大多数の貧農を支配している。しかもアフリカでは、植民地時代からの名残りで、商品作物の輸出が外貨収入の大部分を占める国が多く、伝統的な自給自足の農業が成立しにくくなっている。
たとえば、砂漠化が進んでまわりの樹木がほとんどなくなるとともに、村の若者が都市へ出てしまったセネガルの砂漠化地域の農村で、日本のボランティアが井戸を掘り、ユーカリを植え、砂漠化防止の活動を続けている。
しかし、すでにミレット(トウジンビエ)が主食ではなくなった彼らには、換金作物であり、セネガルの外貨収入の大半を占め、しかもそのために自分たちのまわりが砂漠化してしまったピーナッツの栽培以外に、作目に選択の余地は与えられてない。
換金作物の単作生産は市場価格の変動の影響を受けやすく、社会の経済的基盤を弱体化させるのだが、人びとは貧困のなかで環境を食いつぶしながら生きていかなければならない。
砂漠化の直接のきっかけとして干ばつが重要な役割を果たしているが、どの程度の水不足になったとき干ばつとするかを決めるのはむずかしい。また、干ばつは一年で終るとは限らず、その影響は累積されていく。
すでに見たように、乾燥地の雨は降り方にむらがあり、干ばつは普通の現象である。むしろ雨が不足している時期のほうが長いといえる。
たとえば、1960年代の後半から現在まで二十年以上、アフリカ大陸全般で慢性的な水不足が続いている。なかに湿潤な年があったとしても、当然すぐ次にまた干ばつがやってくることは昔からわかっていたことである。
降雨のパターンが変わったわけではないのに、それまでの局地的な被害から、最近は数十万人の餓死者を出すというように事態が深刻になっている。
これは湿潤なあいだに食糧を増産しようとして、耕地を無理に拡大したり、家畜の数を増やしすぎたりしたためである。
砂漠化は、アフリカ諸国など開発途上国の持続的な発展を阻害し、人びとの生存を脅かしつづけている最大の環境問題である。
まず植生が破壊され、土壌が浸食を受けると、これまでおとなしくしていた砂丘が移動をはじめるようになるし、地表面からの蒸発はいよいよおおきくなって、さらに乾燥化が進む。
砂漠化の進展で多くの生物がすみかを追われ、地域の生態系の多様性はいちじるしく低下する。そうした環境の劣化は農業生産に深刻な影響を与え、生産基盤が破壊された農村では営農意欲の低下と労働力の流出を招き、伝統的な地域社会は崩壊する。
干ばつによる飢餓難民に対する先進国からの食糧援助は、食料自給と砂漠化対策への自助努力を妨げ。かならずしも砂漠防止に有効にははたらいていないのが実情である。
したがって、開発途上国の砂漠化問題を、食料や機材の援助だけで解決しようとする対策は成功しない。一方、先進国でも砂漠化に対して十分な対応ができているわけではない。
アメリカでも、1930年代から半乾燥地の農地で土壌浸食が起こり、防止に多額の資金を投入してきたが、いまだに解決していない。
砂漠化の進展は地球環境とわれわれの生活にとって深刻な問題であるが、その解決のための方策はまだまだ不完全なものである。 』
『 砂漠化は深刻な地球の環境問題としていろいろなところで論じられているが、具体的な部分は飢餓難民の数や、被害地の面積などが中心である。
その原因にしても、干ばつや人口問題といった通り一遍の解説が加えられるだけで、環境面での解析、評価はごくたまにしか行われない。
同じ場所でも、雨季に見るのと乾季に見るのとでは環境劣化の評価はまったくちがったものになってしまうのだから、砂漠化の進展を把握するには、もとの自然景観を正確に把握したうえで、さらに変化の過程を見つけださなければならない。
地球環境の危機というのはやさしいが、それを映画を見るように具体的な形でとらえるのは難しい。現場からの報告と銘うっていても作為的なものが多く、むやみにセンセーショナルになっていたりする。
干ばつが砂漠化を進める大きな要因であることは間違いないが、乾燥地では干ばつはつきものである。
サヘル地等では大干ばつといわれるものはほぼ10年ごとに起こっているが、世界の耳目を集めた一九六八年の大干ばつまでは、その被害は限られたものであった。
自然生態系はある範囲の変動に対してはもとに戻る力をもっているから、その範囲内で環境資源を利用している限り、乾燥地農業は持続可能である。
干ばつの被害が大きくなったのは、土地利用の仕方がそれまでとちがってきたためである。人びとの土地へのはたらきかけの変化が、砂漠化を世界の環境問題のひとつとしたといえる。
一九七七年に国連砂漠化防止会議がまとめた報告によると、砂漠化の原因の一三%は異常気象によるものであるが、残りの八七%は人為によるものと推定されている。
砂漠化が人為的な要因によるものであることは二十世紀のはじめから指摘されてきており、特に、第二次世界大戦後の社会環境の大きな変化、すなわち人口増加とアフリカ諸国の定住化や開墾の促進政策が重要な要因として挙げられている。
ともすると干ばつ被害の大きさに目を奪われて、乾燥地農業そのものが砂漠化の原因のようにいわれることがある。
極端な場合には、焼き畑農業が熱帯雨林を破壊している元凶であり、これをやめさせることが地球環境保全のための第一ステップであるというような議論である。
だが、古くから人びとはそれぞれの土地で生活を営んできたのだから、焼き畑であろうと、遊牧であろうと、従来通りの方法で土地を利用している限り、そのやり方が環境を破壊しているというのはいいすぎである。
これまで起こらなかった環境破壊が起こったのは、新しくはじまった管理方法に問題があったためと考えるべきである。
環境条件の厳しいところでは行う乾燥地農業では、ある程度の土地の劣化は避けられないし、そうした影響は織り込み済みで土地は長年にわたって利用されてきたはずである。
しかし、人口が少ないあいだは破壊的でなかった農業でも、人が増え、生産を増やさなければならなくなってくると環境を破壊するようになることも事実である。
また、乾燥地は降雨の年変動が大きく、しかもその訪れが予測できないために、雨の多い年には耕作地をできるだけ広げて収穫を増やそうとする傾向がある。そうして広げた農地は干ばつになればひとたまりもない。
さらに、定住化の強制や開墾によって、伝統的な技術が新しいものに変わることで砂漠化が進む場合も多い。乾燥地での土地利用は、食うものと食われるもののあいだでの安定した関係継続と似ている。
ライオンはガゼルを食うが、競争するとガゼルが圧倒的に足が速い。自分より足の速い動物を餌にすることでライオンは草原の王者でいられるというのが、食うものと食われるものの間にあるパラドックス(逆説)である。
ライオンはどんなに空腹でも、年齢(とし)をとったり怪我をしたりして速く走れなくなったガゼルしか餌にできないので、ガゼルの群れの状態によってライオンの食糧事情が決まる。
そのため、ライオンは細々であってもガゼルといつまでもいっしょに暮らすことができる。しかし、ここへチーターのような早い足を持ったライオンが現れると事情が一変する。
ちょうど脆弱な環境の乾燥地に導入された耕作機械のようなもので、ライオンは思う存分餌を捕ることができるようになるが、その結果ガゼルが絶滅し、ライオンも飢え死にしてしまう。
乾燥地農業は腹の出たライオンがガゼルを追うように、土地を利用しなければならない宿命を負っている。
そのため、砂漠化防止対策は自然条件に合った適切な土地利用および土地管理を行うことであるといわれるが、しかしなぜそうできなっかたのかということを考えることが先決問題である。 』
『 干ばつのときに家畜が死ぬのは、水が足りないからではなく、ほとんどの場合、牧草地の草を食い尽くしてしまうからである。したがって牧畜にとっては牧草地の維持は重要な課題である。
しかし、牧草の量と家畜の頭数の増減のあいだには時間的な遅れが存在するため話がややこしくなる。
つまり、ウシもヒツジも年に一回しか仔を生まないので、雨がたくさん降って牧草が少なくなっても、すぐに家畜が飢えて死んでしまうことはないので、家畜の数は以前と変わらなくても相対的には過放牧になり、牧草地は劣化する。
そのため、ともすると土地や植生ではなく、家畜そのものが最終的な資産と考えられ、牧草地の維持に対する配慮が足りなくなる。ところで、人口が増えれば、家畜の数を増やさなければならないが、これまでの草地での摂食量を増やすと草原の裸地化が進む。
そのため過放牧にならないように牧草の量を増やそうとすれば、新しい牧草地を見つけるしかない。しかし、そうたやすく新しい未利用の牧草地があるわけがないので、いきおいそれまでの草地を過剰に利用するようになる。
そうした過放牧は地表の草だけに影響するのではなく、大きな樹木にも強く影響する。まず足元の土壌が劣化するために生育環境が悪くなり、活性が低下する。さらに大きな問題は、更新である。
木本植物の稚樹は草本植物のように毎年たくさん芽を出すわけでないので、芽が出たばかりの稚樹が餌になって食べられてしまうと、次世代の森林をつくるべき木が育たない。
更新が起こらなければ森林は遠からず崩壊する。このことを私はサウジアラビアのビャクシン林で経験した。私がビャクシンの調査のために林内にいた時、一人の民族衣装を着た老人に連れられて一群のヤギが突然現れ、津波のように通り過ぎていった。
あまりの速さに唖然として、カメラでその後ろ姿をとらえるのが精いっぱいだった。ヤギたちは林内を駆け抜けながら、林床の草やビャクシンの新芽、あるいはビャクシンの枝の上のサルオガセを食べていた。
林内放牧はこの速さが身上なのだろう。ゆっくりと歩くと一ヵ所での摂食圧が高くなるが、速いと広い範囲で摂食するのでその影響は少なくてすむ。
それでも調査をしているビャクシン林の林床にはほとんど草はなく、稚樹はまったく認めることができなかった、毛烏素(ムウス)の臭柏と同様、放牧による更新の阻害はビャクシン林の維持に重大な影響を与えている。
しかも、乾燥地林では、下層の植被の減少はそのまま砂漠化につながる大きな問題である。過放牧による植生の劣化、更新稚樹の消失だけではなく、群落を構成する植物の種類の変化としても現れる。
家畜は草なら何でも食べるのではなく、好き嫌いがあって選択的に食べるので、はじめにおいしい草や木がなくなり、食用にならない植物が残る。そのため、過放牧が続くと、草原の現存量は変わらなくても、養える家畜の数は減ってくる。
毛烏素(ムウス)の払子茅(ふつしぼう)の草原の現存量は200グラム/平方メートルしかないが、ヒツジはそれを食べて元気に太っていられる。
だが、丘間低地の植物はヒツジやヤギにつねに食われているので、草丈はなかなか大きくなれない。あまり強く食われて過放牧になると、払子茅が減って、代わりにガガイモ科の牛心朴子(ぎゅうしんぼくし)が優占するようになる。
現存量は350グラム/平方メートルに増えるのだが、これにはアルカロイド系の有毒物質が含まれるため、ヒツジたちは食わないので、牧草地としての価値はなくなってしまう。
牛心朴子群落の広がり具合が丘間低地での過放牧の指標となるほどである。過放牧だけが植生の発達を制限しているようなところは、禁牧にすると比較的簡単に植生がもとに戻る。
たとえば、毛烏素の東試験地は牧民から借り上げたうえで、囲い込んで種々の実験、調査をしていたので、試験地の外とくらべると、丘間低地の牧草の量は圧倒的に多かった。
そこで、センターの目を盗んで、とこどき牧民に連れられて、あるいは自主的に、ヒツジが入り込んできて、たらふく草を食べて帰っていった。
見たところ豊かな緑の広がる毛烏素でさえ、禁牧は簡単なことではない。いわんや、砂漠化の危険が迫っている牧草地でその利用を制限することは、やっと増やすことができた家畜の数を強制的に減らすことである。
過放牧を解決するために家畜の数を減らそうとしても、牧民は貴重な資産を失うのだから、容易なことではない。しかも、放牧の行われている土地は入会地のような利用形態がとられている場合がほとんどで、所有権がはっきりしない。
そのため、広い範囲にわたって侵入を阻止するための措置を実施する責任の所在が不明確で、住民に不満をいだかせる結果になるだけである。 』
砂漠化防止の挑戦は、人類の課題ではあるが、状況は年々難しくなり、塩害、地下水の過剰汲み上げ、農薬(除草剤)による土壌の劣化など、地球の包容力がなくなるとき、人類はイースター島を悲劇を繰り返すかもしれません。(第181回)
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