チェロ弾きの哲学ノート

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ブックハンター「クリエイティブ資本論」

2016-01-08 14:47:14 | 独学

 100. クリエイティブ資本論  (リチャード・フロリダ著 井口典夫訳 2008年2月)

 The Rise of the Creative Class   by  Richard Florida   Copyright © 2002

 本書は、原題からは、副題の「新たな経済階級(クリエイティブ・クラス)の台頭」の方が近いと考えられます。著者は、現代は都市が経済、文化、科学・技術をリードし、その都市をクリエイティブ・クラスがリードしている。従って、クリエイティブな人材が、国家の社会資本であるとして、「クリエイティブ資本論」というタイトルになっていると考えられます。

 

 『 リチャード・フロリダは、いま世界で最も注目されている都市経済学者の一人である。フロリダの主張は、従来の細分化された学問領域にとらわれることなく、都市経済学・経済成長論から文化論・社会学・政治学にまで踏み込んで展開される。

 人のクリエイティビティを最高の資源・財として真正面から捉え、それが自由闊達に発揮されるように経済・社会全体を再構築すれば、都市・地域や国はもちろんのこと、地球全体の富も最大になるであろうということを、さまざまな事例・データ等に基づいて論じている点に特徴がある。

 背景にあるのはライフスタイルや生き方の変化である。生活できることが当たり前となり、その分、人生に何かしらの意義を求めたいとする人々の増大が引き起こしている変化である。

 自分自身のアイデンティティを確立しようとする、内発的なエネルギーから生み出される変化とも解釈できる。それが仕事に取り組む姿勢、時間や余暇の使い方、日常生活の過ごし方、コミニュティのあり方に大きな影響を与えているのである。

 フロリダの主張は、停滞する都市・地域はもちろんのこと、ネットバブルの崩壊やテロの脅威の前に逡巡していた欧米先進諸国が立ち上がる際の指針の一つとなり、各方面から好評をもって迎えられた。 』 (「訳者のあとがき」より)

 

 『 私たちには輝かしい未来がある。私たちが発展させてきた経済・社会制度は、人々のクリエイティビティを引き出し、それをこれまで以上に活用できるようにした。

 結果として私たちの生活水準は向上し、より人間らしい持続可能な経済が構築され、人々の生活をより満ち足りたものにする貴重な機会が生み出されている。

 しかし、こうした見通しが実現する保証はなく、実現するのと同じくらいたやすく、実現しない可能性がある。いまアメリカは、まさにその状態にある。私たちがもたらした変化はまだ完成してない。

 この時代の大きなジレンマは、素晴らしい可能性を生み出しながらも、一方でそれを実現するための経済・社会制度が十分に行き渡っていないことになのである。だれかがそれを用意してくれるわけではない。

 クリエイティブな可能性を最大限に引き出すことと、その見返りが与えられることでこの変化は完成するが、それを行うのは私たち自身であり、私たち全員に委ねられていることなのである。

 クリエイティビティは究極の経済資源である。新しい考えや物事をよりよく進める方法を生み出す力は、やがて生産性を向上させ、生活水準を向上させる。

 農業の時代から工業の時代への大変化は、当然のことながら天然資源や労働力によって引き起こされたものであり、最終的にはデトロイトやピッツバーグに巨大な産業拠点を生むこととなった。

 いま起きている変化は、さらに大きな変化に発展する可能性がある。というのも、以前の変化は物理的に投入するものを土地・人員から原材料・労働力へと置き換えるものであったが、今度の変化は人の知性や知識、クリエイティビティといった無限の資源に基づいているからである。 

 本書が主張しているのは、場所はいまも重要な経済的・社会的な構成要素であるということだ。人に仕事を、仕事に人を結びつけるのは場所である。

 人と仕事を結びつけるのに役立つ「厚みのある」流動的な労働市場を提供するのも場所であり、「結婚市場」を形成し、生涯の伴侶を見つけられるようにするのも場所である。

 経済成長が企業・雇用・技術から生まれるとする従来の理解は完全ではない。技術が重要であることについては私もまったく同意見であるが、他の要因も大きく関与している。

 私が提唱する成長に必要な「三つのT」の第一の要素として、技術(technorogy)がある。技術はイノベーションやハイテク産業の集中度によって測定することができる。

 第二のTは才能(talent)である。ここでいう才能とは、経済成長理論で通常使われているような「人的資本」(高等教育を修了した資格を持つ人口の比率)を指しているのではなく、実際にクリエイティブな仕事に就いている人口の比率で測定したクリエイティブ資本のことである。

 第三のTは寛容(tolerance)である。開かれた寛容性の高い場所はさまざまな種類の人を引き寄せ、新しい考えを生み出すという強さを持っている。

 人間の歴史の大半において、富は肥沃な土地や原材料など、その場所の天然資源の恵みによってもたらされていた。しかし今日の重要な資源はクリエイティブな人材であり、それは流動性が非常に高い。

 この資源を呼び込み育成し、動かす能力が、競争力の重要な側面となっている。その際、寛容性と開放性は重要な要素である。 』 (ペーパーバック版の序文)より

 

 『 クリエイティブ・クラスの際立った特徴は、「意義のある新しい形態をつくり出す」仕事に従事していることである。私はクリエイティブ・クラスを二つの構成要素から成るものと定義している。

 まず中核となる「スーパー・クリエイティブ・コア」には科学者、技術者、大学教授、詩人、小説家、芸術家、エンタテイナー、俳優、デザイナー、建築家のほかに、現代社会の思潮をリードする人、たとえばノンフィクション作家、編集者、文化人、シンクタンク研究員、アナリスト、オピニオンリーダーなどを含む。

 またソフトウエアのプログラマーないし技術者、映画作成者などの職業にもクリエイティブなプロセスがあろう。私の定義で最上位のクリエイティブな仕事とは、すぐに社会や実用に転換ができるような、幅広く役立つ新しい形式やデザインを生み出すことである。

 たとえば広く製造、販売、使用できる製品設計や、さまざまに応用可能な原理や戦略の考案、繰り返し演奏される音楽の作曲などである。クリエイティブ・クラスの中核をなす人々は正規の仕事としてこれを行い、報酬を得ている。

 仕事には問題解決のほかに問題発見も含まれるかもしれない。このスーパー・クリエイティブ・コアを中心に、そのまわりに「クリエイティブ・プロフェショナル」が位置している。

 ハイテク、金融、法律、医療、企業経営など、さまざまな知識集約型産業で働く人々である。特定の問題解決のための複雑な知識体系を武器に問題解決に当たるが、それには通常、高等教育が必要であり、そのために高度な人的資源を必要とする。

 この種の仕事に就く人が広く実用的な方法や製品を考案することのあるかもしれないが、基本的な職務ではない。クリエイティブ・プロフェショナルに正式に要求されるのは、自分の裁量で考えることである。

 彼らは標準的なやり方を独自に応用したり組み合わせて状況に当てはめ、判断力を駆使し、時には過激で新しいことを試すことさえあるかもしれない。

 医師、弁護士、経営者などのクリエイティブ・クラスは、多くのさまざまな事例に対処しながらこうした仕事を行っている。仕事を通じて新しい技術、治療計画、経営方法の試行や改良に携わり、時には自分で開発することもあるかもしれない。

 このように自分でつくり出す仕事を続けていれば、クリエイティブ・クラスからスーパー・クリエイティブ・コアの仲間入りをすることもあるだろう。転換可能で汎用性の高い新しい形式を生み出すことが、現在のスーパー・クリエイティブ・コアの基本機能であるからだ。

 同様のことが、増え続ける専門技術者にも当てはまる。彼らは複雑な知識体系を応用して物理的な材料を扱っており、十分に創造的なやり方で問題解決に当たっていると言える。

 たとえば医学では、緊急救命士は「現場の診断をもとに処置を行い」、超音波技師や放射線技師は「生物学、薬理学、疾病過程に関する知識から診断上有益な情報を導き出す」が、どれもかつては医者にのみ許されていた領域である。

 また単一クーロン抗体の生成など、一部の生物医学分野においても、各人が難解な基礎知識を頼りに自分なりの判断力を働かせて、同じ製法や手順を踏んでも、同じ結果が得られるとは限らない。

 こうした個別性が生じることは、図らずもクリエイティブな仕事の一つの特徴なのである。しかし労働者ならだれでもクリエイティブ・クラスに仲間入りできるわけではない。事態は逆方向に進んでおり、仕事は単純労働化し、マニュアルに規定されている 』 (第4章 クリエイティブ・クラス)より

 

 『 余暇の過ごし方の変化にはさまざまな要素が関係しており、しかも理解が難しい。クリエイティブ・クラスに属するある男性は、なぜアクティブなレクレーションを好むのかという質問に対して、「単位時間当たりのエンタテイメント性が高いから」と簡潔に答え、続けて自分考えを説明してくれた。

 ハイキングや散歩といった、昔から行われているレクレーションでも、たえず体を動かしていることになるので、目の前の景色はさまざまに変化し、いままで見えなかったものが見えるようになる。

 風景や店頭のショーウィンドウを眺めるため、あるいは通りで出会った人と話をするために話をするために立ち止まってみたり、一緒に歩きながら会話に熱中したり、一人で歩いてぼんやりと考え事をすることもできる。

 ロッククライミングのようなエクストリーム・スポーツにも、同じような効用がある。こちらはもっとハードだ。身体面でも精神面でも、登ることに常に集中しなくてはならない。上達してくれば、より難易度の高い新しい岩場に挑戦することができ、選択の幅、可能性が広がる。

 ロッククライミングで要求される精神集中は過酷だが、その分、仕事からの完全な解放をもたらしてくれる。クリエイティブ・クラスに好まれるアウトドア活動は、アドベンチャー志向のものが多い。

 登山、ハイキングまたはそれに類するスポーツの本質は、毎日仕事に追われる現実とは違った別世界に入り込み、過酷なタスクをクリアーしながらその世界を探検し、経験することにある。

 私が選んだスポーツは、幅の狭いタイヤのロードバイクでツーリングするという伝統的な形式のサイクリングである。そこでもう一度考えてみると、サイクリングの持つクリエイティブ精神に訴える一面に、答えがあるような気がしてくる。

 サイクリングは多面的である。ある程度まとまった距離を走るならば、激しい運動、挑戦、解放、探検、自然との対話が一度に行える。ペダルを漕ぐことに集中している時、一定のリズムと流れのなかに身を委ね、頭の中にあったものをすべて忘れる。 』 (第10章 経験の追求)より

 

 『 場所は、だんだんと私たちにとって重要なアイデンティティとなってきている。昔、企業が経済を動かしていた頃は、多くの人が自分たちの会社を模範として、自分たちのアイデンティティを見つけていた。

 あるいは自分が育った町に住み続け、家族や昔からの友人と強い絆を結ぶことができた。不安定で常に変化を遂げるポストモダンな世界においては、「アイデンティティの力」は決定的な特徴となっている。

 「どこに住み、何をしているか」の組み合わせが、「どこに勤めているか」に代り、アイデンティティの主要な要素になっている。四〇年前だったら、「ゼネラルモーターズに勤めています」 「IBMで働いています」が、今日は、「私はソフトウエア開発者で、オースチンに住んでいます」と答えるいうことで自らのアイデンティティを語るだろう。

 一〇年前は、「どちらにお勤めですか」と聞いただろうが、いまは「どこにお住まいですか」である。会社が支配していた生活が終焉し、新しい序列がつくられつつある。場所がステータスシンボルとして重要になりつつある。

 私が調査した多くのクリエイティブ・クラスは、自分たちのコミュニティに関わりたいと思っていると言う。それはどちらかといえば「社会をよくしたい」といった気持ちの表れではなく、その場所で自分のアイデンティティを積極的に確立したいという欲求と、アイデンティティを反映し、確認できる場所の構築に積極的に貢献したいという気持ちの両方が反映されたものである。

 たとえばピッツバーグでは、建築から都市計画、グラフィックデザインからハイテク技術までのクリエイティブ分野の若者たちが、「グランド・ゼロ」と名づけた自由な集まりをつくっている。

 このグループは、二〇〇〇年の初めの頃、クリエイティブ・クラスの若者たちの感心とライフスタイルの実態を知るために私が開催した、一連のブレーンストーミング・セッションから生まれたものだ。

 グループの初期の運動は、中心市街地の商業地域を、ありふれたショッピングモールにしようとする再開発計画に反対するものであったが、そのすぐ後に、クリエイティブな環境と都市のアイデンティティに注目するようになった。

 初期の「マニフェスト」はクリエイティビティと場所、そしてアイデンティティの結びつきについて語っている。ここにその全文を載せておこう。

 〈 クリエイティブな友人へ

 話し合い、行動を起こす時がやってきた。私たち、この街の物や文化をつくる者たちは、お互いに結びつき、参加する必要がある。私たちは皆、ピッツバーグを、消費者、スポーツファン、起業家にとって、よりよい場所にするためにはどうすればよいか、聞く準備はできている。

 車で来て買い物をしていく郊外の若い消費者を取り込むための計画を聞こう。私たちのことではない。私たちはすでにここにいる。食べる物、ストーリー、写真、音楽、ビデオゲーム、絵画、建築物、パフォーマンス、コミュニティ、何であれ、活発に作り出している。

 私たちはこの街の文化をつくっているのだ。何がピッツバーグを独自でおもしろく、そして老若男女にアピールするかを知っている。私たちはこの場所らしさを維持し、そしてそれをもっと高めたいと思っている。

 ここにある物を破壊して取り去るのではなく、利用したい。撤去や立て直しを促進する代わりに、文化を内部から湧き出させるような都市憲章を切望する。私たちはあらゆるメディアを通じ、積極的に私たちの意見を聞いてもらおう。私たちの都市をよりよくするために。

私たちは、私たちがやり遂げることを通じて、感心、討論、議論、論争、そして地域のプライドさえも喚起していく。そして公共政策をつくる人々に、若いクリエーターたちの意見を大きな声ではっきりと聞かせたい。〉 』

 

 『 クリエイティブ・クラスが住む場所を決定する要因のすべてをひとくくりにする言葉として、私がつくり出したのが「場所の質」という言葉である。「生活の質」というコンセプトに対比して使っているものだ。

 これは場所を定義し、それを魅力的にするユニークな特徴を表している。一般的に、場所の性質として三つの面を思い浮かべることができる。

 ・ 何があるか――建築物と自然が融合しており、クリエイティブな生活が求めるには最適な環境。

 ・ だれがいるのか――さまざまな種類の人々がいて、だれもがそのコミュニティに入って生活できるよう、互いに影響し合い提供し合う役割を果たしている。

 ・ 何が起こっているのか――ストリートライフの活気、カフェ文化、芸術、音楽、アウトドアでの活動。それらすべてがアクティブで刺激的な活動である

 都市がもたらす場所の質は、相互に関係する経験の集合として把握できる。そのうちの多くは、ストリート文化のようにダイナミックで一般参加型のものである。だれもが単なる観客以上のことができる。そのシーンの一部になることができるのだ。

 また、その経験を変えることもできる。つまり組み合わせを選び、集中の度合いを望みどおりに変え、単にその経験を消費するのではなく、つくり出すことに関わるのである。

クリエイティブ・クラスの多くの人たちも、自分たちのコミュニティの質の形成に関わりたいと思っている。二〇〇一年の秋、プロビデンスで商業地区再生計画の専門家グループを相手に講演した時、三十代の専門家が言ったことはその本質をうまくとらえていた。

 「友人と私がプロビデンスに来たのは、ここにはすでに私たちが好む本物があったからです。古くから住民、歴史的建築物、そして混じり合う民族です」。

 それから彼は、街のリーダーたちにこの特質を再生計画の基本にしてほしい、そうすることで彼や彼の仲間が積極的に力を貸すこと訴えた。

 彼は、クリエイティブ・クラスの人々は、自分にとってやりがいがあり未来をつくる手助けができる場所を、彼と同じように探し求めているのだと言った。そして「私たちは完成されていない場所がほしいのです」とうまくまとめた。

 場所の質は、自動的に生じるものではない。むしろコミュニティのさまざまな面を一つにまとめる作業を含む、ダイナミックなものである。 』 (第12章 場所の力)より

 

 『 経済成長の鍵はクリエイティブ・クラスを惹きつける力にあるのではなく、その潜在的な能力を新しいアイデアやハイテク産業、地域振興といったクリエイティブ経済の成果に転換することにある。

 潜在的な能力を正しく測定するため、私はクリエイティビティ・インデックスと呼ぶ新しい測定指標を生み出した。それは次の四つの要因、すなわち、①労働力におけるクリエイティブ・クラスの人口比率、②一人当たりの特許件数で測るイノベーション、③ミルケン研究所の有名なハイテク都市指数、④ゲイ指数で測る多様性指数の4つから成る。

 クリエイティブ・インデックスは、ある地域のクリエイティビティの潜在可能性を計測するうえで、ただ単にクリエイティブ・クラスの人口比率で比較するよりもよい方法だと考えられる。

 なぜならば、この指標はクリエイティブ・クラスの集中度と、経済のイノベーションの結果とを共に反映するものだからだ。

 クリエイティブ・インデックスは私がある地域のクリエイティブ経済全体での位置を知るうえで基準としている指標であり、地域の長期的な潜在能力を知るバロメーターとして用いているものである。

 また私は、クリエイティブ・インデックスの高い地域をクリエイティブ・センターと呼んでいる。クリエイティブ・インデックスによって、以下のようなことがわかっている。

 ・ サンフランシスコ・ベイエリアは、疑いなくクリエイティビティにおけるアメリカのリーダーである。広いサンフランシスコ・ベイエリアに含まれる主要地域をここに見れば、どれもクリエイティブ・クラスの上位一〇地域にランクインしている。シリコンバレー(第一位)、サンフランシスコ(第二位)、バークレー=オークランド地域(第七位)といった具合だ。

 ・ 他の勝ち組にボストン、ニューヨーク、ワシントンDCといった伝統的な東海岸の地域が入る一方、オースチン、シアトル、サンディエゴ、ローリー=ダーラムのような歴史の浅い地域もはいる。テキサス州からは三つの地域、オースチン、ダラス、ヒューストンが上位一〇地域にランクインしている。中西部の二つの都市、ミネアポリスとシカゴも非常に健闘している。

 ・ 大都市はクリエイティビティを生み出したり獲得したりするのに明らかに有利である。全米で二〇あるクリエイティブ・センターは、三つを除けばすべて人口一〇〇万以上の大都市である。これはおそらく、大都市ならば豊富な選択肢を提供できるためであろう。

 ・ ただし、大都市がクリエイティビティを独占しているわけではない。いくつかのやや規模の劣る地域、サンタフェ、マディソン、アルバニーは高いクリエイティビティ・インデックスを誇る。サンタバーバラ、メルボーン、デイモン、ボイシもかなりよくやってる。

 ・ 大都市圏の一部である都市、アナーバー、ボルダーなども重要なクリエイティブ・センターである。これらの都市には、大きな研究大学がある。

 ・ クリエイティビティは有名なハイテク産業の拠点、文化拠点に限られたものではない。デモイン、ボイシ、アルバニー、ゲインズビル、ポートランド(メイン州)やアレンタウン(ペンシルバニア州)も、クリエイティビティ・インデックスでは上位にある。これらの地域は一般的にはハイテク産業の拠点とは見られていない。これらの地域の経済的な将来性は意外に明るいかもしれない。

 ・ クリエイティブ経済への移行のなかで、多くの地域が取り残されている。このグループにはバッファロー、グランドラビッズ、ミシガンのような古い工業地域が含まれており、またノーフォーク、ラスベガス、ルイビル、オクラホマシティ、ニューオリンズ、グリーンズバラのようなサンベルトにある都市も不安定な位置にいる。この新しい階層地図での負け組は、南部や中西部の小都市や地域であり、取り残され完全に後塵を拝している。 』 (第13章 クリエイティビティの地図)より

 

 『 人々と経済活動を都市部に連れ戻したのには、複数の要因が関わっている。第一に、犯罪発生率の低下で都市部がより安全になったことだ。ニューヨーク市では、最も屈強な住民さえもかっては歩くのを恐れた区域を、いまではカップルが散策している。

 また、より清潔にもなっている。人々は、もはやかつての工業都市の煤煙、廃棄物にさらされることはない。ピッツバーグでは、人々は都心の公園でピクニックをし、かって列車が通っていた軌道を、インラインスケートやサイクリングで風を切り、かって汚染されていた川で水上スキーを楽しんでいる。

 第二に、クリエイティブなライフスタイルやそれに見合う新たな快適さを求めるうえで、都市はうってつけの場所になっていることだ。快適な生活空間が、人々を惹きつけ、地域の経済成長を刺激するうえで果たす役割については、すでに述べてきた。都心の再生は、クリエイティブ・クラスを惹きつけるのと同じライフスタイル要素に関係していることがわかった。

 第三に、都市が人々の大移動の恩恵を受けているという点だ。夫婦として生活する人が減少し、長い期間独身で過ごすひとが多くなることで、都市は独身の人々のライフスタイルの拠点であると同時に、出会いの場としても機能するようになっている。あるいは、諸外国からの移民を受け入れてきたという都市の歴史的役割からも、恩恵を受けている。

 第四に、都市がクリエイティブティとイノベーションの促進者としての役割を取り戻していることだ。ハイテク産業およびその他のクリエイティブな試みは、ニューヨーク、シカゴ、ボストンなどで見捨てられていた市街地の中で芽生え続けている。

 「都市の重層的な特質、専門店、都市生活、娯楽、そしてビジネスと文化活動の広範な融合に接することができる」点から、多くのハイテク企業が都市的な環境を好んでいることを見出した。

 第五はマイナス要因であり、現在の一連の都市再生が、古くからの住人と、新たに引っ越してくる裕福な人々との間に、深刻な対立を引き起こしている点である。都市再生では、強制撤去によって、高級化を進める都市がますます増えている。こうした場所は、最富裕層を除き、だれの手にも届かないものとなってしまっている。 』 

 

 『 大学はクリエイティブ経済の主要な機関なのであり、大学が果たす多面的な役割は、まだあまり理解されていない。大学は単にスピンオフ企業を生み出す研究プロジェクトを量産するために存在しているのではない。

 地域の経済成長に効果的に貢献するには、大学はクリエイティブな場所の三つのT、すなわち技術、才能、寛容性を相互関連させる役割を果たさなければならないのだ。

 ・ 技術――大学は、ソフトウエアからバイオテクノロジーに至るまでの先端研究拠点であり、新たな技術と、そこから派生してできる会社にとって重要な情報源となる。

 ・ 才能――大学は、驚くほど効率的に才能ある人々を惹きつけ、その効果は真に魅力的なものである。著名な研究者を惹きつけることにより、次に大学院生を惹きつけ、会社を生み出す。ごく一般の企業も、定期的に人員を補充するために、大学の近くに拠点を置くようになっている。

 ・ 寛容性――大学は、クリエイティブ・クラスを惹きつけ、抱えておくのに役立つような進歩的、開放的、そして寛容な空気をつくり出すことも一役買っている。オースチンやアイオワシティなど多くの大学街は、常にゲイやその他のアウトサイダーの居場所であり続けてきたのである。 

 しかし、これは大学単独で行えるものではない。周辺のコミュニティには、大学の生み出すイノベーションと技術を吸収し発展させる能力を持ち、クリエイティブ・クラスが求める幅の広いライフスタイルに合わせた快適な生活空間と場所の質を提供することが求められる。

 したがって、大学はハイテク企業の生成と成長にとって、必要条件ではあるが、十分条件ではない。経済学者であるマイケル・フォガーティは、大学発の特許情報の流れには、一貫したパターンがあることを見つけた。

 知的財産はデトロイトやクリーブランドといった古い工業地帯の大学から、ボストン圏、サンフランシスコ・ベイエリア、そしてニューヨークといったハイテク産業の拠点へと移動しているのである。

 新しい知識は多くの場所で生じているが、こく少数の人々しかそうしたアイデアを吸収し生かすことができないのだ。知的財産を経済的財産に変換するには、アイデアを吸収し発展させるクリエイティブなコミュニティが、社会的な構造として組み込まれていなければならないのである。

 大学もこの社会的な構造の一部にすぎない。大学が惹きつけた才能をとどめる場所の質と経済基盤の両方を整備するのは、コミュニティの責任である。

 スタンフォード大学単独で、シリコンバレーを一大ハイテク拠点にしたわけではない。地域の経済界とベンチャー投資家が、この種の経済が必要とする社会基盤を提供したのである。

 スタンフォード大学に隣接するパロアルトは、新興企業、ベンチャー投資家、ハイテクサービスの提供業者に、事務所スペースなどさまざまな施設を提供するハブとして機能している。

 同じことがボストンにも当てはまる。MIT周辺のケンドールスクエアは、放棄された工場や倉庫で荒廃していたが、それらの建築物の改装によって刷新されていった。いまでは新興企業、ベンチャー投資家ファンド、レストラン、地ビールメーカー、カフェ、ホテルがそこにある。

 つい最近、オースチンの地域指導者はインキュベーション施設とベンチャーキャピタルだけでなく、アウトドアの娯楽環境やクリエイティブな人々の求める質の高い場所を創造するために、積極果敢な措置を行っている。

 フィラデルフィア、プロビデンス、ニューヘブンなどでは、大学と地域のリーダーが、このような質の高い場所を積極的に大学の内外につくり出そうとしている。 』 (第16章 クリエイティブなコミュニティの構築)より  (第99回)

  


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