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孤独感をどう克服するかⅡ~聖書

2019年12月08日 | 日記

《孤独感をどう克服するか》

ジョアンナは15歳の魅力的な少女で,男の子にも女の子にも人気がありました。
ジョアンナは大勢の仲間がいて幸福そうでした。
そのジョアンナが二連発の散弾銃で短い命を絶ったのです ― みずからの手で。次のような書置きがありました。
「愛はもう孤独でいることではないわ。退屈なのはつらい」

ジョアンナのように大勢の友達に囲まれていながら孤独な人がいるのはなぜでしょうか。

独りでいるからと言って必ずしも孤独であるわけではない

多くの人は思いめぐらしたり,黙想したりするために一人で過ごす時間を大切にしています。
しかし関心を示してくれる人に自分の感情を伝えるのは,すべての人が基本的に必要としている事柄です。
心にある親密な情を分かち合いたいというこの欲望が満たされないと,その結果,孤独感を抱くようになります。

群衆の中にいて,あるいはうわべだけの知人が大勢いて,しかも孤独になることのある理由がこれでよく分かります。
他の人からの応答がない時,自分は無用の人間だと感ずる時,あるいは感情の荷を自分独りで負わねばならない時,そこには孤独があります。

孤独にはそれ相当の理由があります。配偶者や親友の死に遭うかもしれません。
その人が寂しく感ずる ― それは確かなことです。離婚も孤独を生みます。ある婦人はその苦悩をこう語りました。

「わたしは望みもせず,また思いもよらなかった離婚の苦痛を今まさにかみしめています。夫はわたしから去りました。
今はほんとうにつらく,死んだほうがましだと思う時があります。これは決して克服できないように思えます。
午前4時に目ざめて,自分は捨てられた,自分は独りぼっちだということをあらためて感ずる時は,特にそうです」。

親しい友人から遠く離れるなどして,新しい環境に移ると,当然に寂しさがつきまといます。
当惑したり,情けなく思う必要はありません。それは正常で当たり前のことです。

一権威者はこう語っています。
「全く人間的な感情として孤独を受け入れるならば,孤独感はまず大抵の場合,消えてしまう。別の気分あるいは感情がそれにとって代わるであろう。
このような感情が去来するのは人生の現実であり,この現実を受け入れないで,絶えず幸福感にひたって生きることを期待するのは,失望あるいは苦々しさを味わう結果に終わるだけである」
( テオドール・I・ルビン)

孤独を全く感じないというのではなく,要はそれに圧倒されないということです。
しかし孤独の原因を知るのと,解決策を得るのとは別問題です。

孤独な人に「忙しくしていなさい」と言うだけでは十分な解決にならない

「一体どうしたのですか。寂しく思うことはありません。外出しなさい。クラブに入りなさい。忙しくしていなさい。何かしなさい」。
これは,孤独な人に向かってしばしば語られる典型的な言葉です。これらの言葉は孤独をその人のせいだけにしています。

しかし忙しくしていても,単に忙しくするだけの目的でそうしているのでは,麻薬を使うのとあまり変わらないことになります。
それは孤独の真の原因に取り組むのではなく,それを覆い隠し,それから逃避するものです。

一研究者は次のことを認めています。
「忙しくするというこの方法を試みたものの,疲れきって無人の家に戻り,生活の空白という痛みをいっそう感ずるだけに終わったという話は,未亡人たちから何回となく聞かされている」。
とは言え,無私の動機から他の人のために物事を行なうことに忙しく携わり,それによって孤独を追いやることのできた人々もいます。

それは孤独な人に欠けている他の人々との良い関係を作り出すのに役立ちます。
聖書に名を記されているクリスチャン婦人ドルカスの例は,それを例示しています。聖書の記録によれば,「彼女は多くの善行とあわれみの施しをなし,そうした行為に富んで」いました。
「ヨッパにタビタという弟子がいた。この名前はギリシャ語に訳すとドルカスである。タビタはたくさんの善行と憐れみの施しをする女性だった」。
(使徒 9:36)

死んだ時,ドルカスは結婚していなかったようです。ドルカスは他の人々と親密な関係を培っていましたか。
「やもめたちがみな」泣きながらその死を嘆き,ドルカスがやもめたちのために作った『たくさんの衣を並べて見せた』と聖書に記録されています。
「そこでペテロは立って,いっしょに出かけた。ペテロが到着すると,彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら,彼のそばに来て,ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった」。
(使徒 9:39)

彼女は自分と同じ孤独な立場にいる人々に手を差し伸べて親切を示したのです。
それゆえに彼女は人々に慕われました。それはまた自分の寂しさをまぎらすのにも役立ちました。同様な寛大さは,今日においても孤独感に対処する上で役立ちます。

しかし自分の境遇に幸福を見いだす独身者がいる反面,そうすることのできない人がいるのはなぜでしょうか。

 

多くの場合それは見方の問題 >>>続く