コメント
中土駅が簡易委託だったとは
(
α列車
)
2009-03-18 01:36:45
中土って簡易委託やってたんですか。
全然ノーマークでした。この区間はJR移行直後の62年4月上旬に乗車していますが、もうすこし車内から駅舎・駅前チェックをしておくべきだったかな。
もっとも、北陸本線の西入善も、てっきり無人駅だとばかり思っていて、簡易委託だと気付いたのは昭和61年の後半か、62年になってからのことですが。
発行は (ム)中土駅 となっていますね。
そういえば、金沢管内の簡易委託駅は、西日本仕様になってからの硬券を持ってなかったりします。
王子保・敷浪・競輪場前は立ち寄ったのが国鉄時代、西入善も、立ち寄ったのはJRになってからですが、買った乗車券が隣の生地までだったせいか、まだ西日本の券に切り替わっていなくて、国鉄時代の券でした。
あるいは魚津とか、富山まで買っていたとすれば、既に切り替わっていたかもしれませんが。
福知山管内の宮津線岩滝口は 発行が (簡委)宮津駅発行 となってました。
簡易委託ではありませんが、JR移行直後(昭和63年頃)、無人駅だった東滑川に昼間だけ係員を配置して、乗車券を発売していた時期がありました。
余剰人員対策、また、無人駅を極力減らして運賃の取りこぼしをなくすと同時に案内面でのサービスアップを図ろうという考えからのようですが。
お菓子や雑貨類なども販売していました。新潟地区の早通や新大前などのような、直営売店で近距離乗車券も発売するというスタイルを、もうちょっとコンパクトにしたような感じ。
その乗車券ですが、車内片道乗車券のような駅名列記・入鋏式で、赤の地模様。富山港線の無人駅と共通のもので、発駅もそれらの駅と東滑川が並べられ、入鋏するようになっていました。発行は(ム)富山駅。
また、同様に西高岡も同じ時期から係員を配置。こちらの乗車券も、駅名列記・入鋏式で、城端線の油田と共用。発行は(ム)高岡駅。
西高岡に関しては、利用が増えてきたのか、そのまま有人駅になったようですね。
春日山と犀潟のケース
(
α列車
)
2009-03-18 01:39:20
南小谷から中土ゆき…ここには着駅表示の常備券がありましたか。
何しろここを訪れた、62年4月上旬の時点では、まだ「会社境界付近の乗車券」に着目してなくて。D型の観光入場券を買っただけでした。
直江津の境界付近に関しては、西日本側の名立のほか、東日本側の春日山・犀潟でも調査・購入していますが、両駅とも設備していたのは準常備、それも春日山の方は最上段が谷浜でしたが、犀潟の方は最上段が能生(谷浜~筒石はたぶん補充で発行)。
比較用に「東日本会社線」の金額式常備券と2種類揃えるため、あまり高額になっては…と思い、それぞれ最上段の駅までの購入にとどめましたが、ベースがA型の準常備なので、最上段で切り取ると「往復切符の片道だけ」ぐらいのこま切れ状態になってしまいました。
最下段の駅まで購入すれば、大きさ的にも十分だったのでしょうが、かなり高額になるでしょうからね。
地模様は薄いオレンジというか、むしろ黄色に近いものでした。
そして「谷浜経由」の表示。春日山駅の方は、着駅が谷浜なのに谷浜経由で、何だか不自然ですが、まぁ、2段目以降の駅を考慮すとこれで然るべきかもしれません。
また、犀潟ではこちらの意図を話しながら購入したところ、能生駅から犀潟までの(回収した)乗車券を見せてもらうことができました。
こちらも準常備、地模様は青で、最上段が(信)黒井、2段目が犀潟でした。
> α列車さま
(
isaburou_shinpei
)
2009-03-19 01:08:37
コメントありがとうございます。
当時、昨今のような情報化が進んでおらず、硬券等の情報は自分で修習するしかない時代でした。
当然私もノーマークで、その駅に立ち寄り、または通勤・通学で毎日通過しているにもかかわらず蒐集できなかったものは沢山あります。
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中土って簡易委託やってたんですか。
全然ノーマークでした。この区間はJR移行直後の62年4月上旬に乗車していますが、もうすこし車内から駅舎・駅前チェックをしておくべきだったかな。
もっとも、北陸本線の西入善も、てっきり無人駅だとばかり思っていて、簡易委託だと気付いたのは昭和61年の後半か、62年になってからのことですが。
発行は (ム)中土駅 となっていますね。
そういえば、金沢管内の簡易委託駅は、西日本仕様になってからの硬券を持ってなかったりします。
王子保・敷浪・競輪場前は立ち寄ったのが国鉄時代、西入善も、立ち寄ったのはJRになってからですが、買った乗車券が隣の生地までだったせいか、まだ西日本の券に切り替わっていなくて、国鉄時代の券でした。
あるいは魚津とか、富山まで買っていたとすれば、既に切り替わっていたかもしれませんが。
福知山管内の宮津線岩滝口は 発行が (簡委)宮津駅発行 となってました。
簡易委託ではありませんが、JR移行直後(昭和63年頃)、無人駅だった東滑川に昼間だけ係員を配置して、乗車券を発売していた時期がありました。
余剰人員対策、また、無人駅を極力減らして運賃の取りこぼしをなくすと同時に案内面でのサービスアップを図ろうという考えからのようですが。
お菓子や雑貨類なども販売していました。新潟地区の早通や新大前などのような、直営売店で近距離乗車券も発売するというスタイルを、もうちょっとコンパクトにしたような感じ。
その乗車券ですが、車内片道乗車券のような駅名列記・入鋏式で、赤の地模様。富山港線の無人駅と共通のもので、発駅もそれらの駅と東滑川が並べられ、入鋏するようになっていました。発行は(ム)富山駅。
また、同様に西高岡も同じ時期から係員を配置。こちらの乗車券も、駅名列記・入鋏式で、城端線の油田と共用。発行は(ム)高岡駅。
西高岡に関しては、利用が増えてきたのか、そのまま有人駅になったようですね。
南小谷から中土ゆき…ここには着駅表示の常備券がありましたか。
何しろここを訪れた、62年4月上旬の時点では、まだ「会社境界付近の乗車券」に着目してなくて。D型の観光入場券を買っただけでした。
直江津の境界付近に関しては、西日本側の名立のほか、東日本側の春日山・犀潟でも調査・購入していますが、両駅とも設備していたのは準常備、それも春日山の方は最上段が谷浜でしたが、犀潟の方は最上段が能生(谷浜~筒石はたぶん補充で発行)。
比較用に「東日本会社線」の金額式常備券と2種類揃えるため、あまり高額になっては…と思い、それぞれ最上段の駅までの購入にとどめましたが、ベースがA型の準常備なので、最上段で切り取ると「往復切符の片道だけ」ぐらいのこま切れ状態になってしまいました。
最下段の駅まで購入すれば、大きさ的にも十分だったのでしょうが、かなり高額になるでしょうからね。
地模様は薄いオレンジというか、むしろ黄色に近いものでした。
そして「谷浜経由」の表示。春日山駅の方は、着駅が谷浜なのに谷浜経由で、何だか不自然ですが、まぁ、2段目以降の駅を考慮すとこれで然るべきかもしれません。
また、犀潟ではこちらの意図を話しながら購入したところ、能生駅から犀潟までの(回収した)乗車券を見せてもらうことができました。
こちらも準常備、地模様は青で、最上段が(信)黒井、2段目が犀潟でした。
当時、昨今のような情報化が進んでおらず、硬券等の情報は自分で修習するしかない時代でした。
当然私もノーマークで、その駅に立ち寄り、または通勤・通学で毎日通過しているにもかかわらず蒐集できなかったものは沢山あります。