コメント
Unknown
(
きっくす
)
2009-01-02 09:35:03
>昭和63年の瀬戸大橋開通を機に観光鉄道への転換を図ったものの、利用客の増加に繋がることはなく、2年後の平成2年に全線廃止されてしまいました。
見解の相違あるいは以下の事情をコンパクトにまとめた結果かもしれませんが、瀬戸大橋開通により下電乗客は明らかに増えています。
架橋直前は下に示されているように下津井駅のみで細々と切符を発売していたのが、児島駅でも発売するようになり、児島下津井間など各種記念乗車券タイプや急遽作ったとしか思えないような一般式乗車券を多数用意してもそれがはけ、琴海の交換設備を復活させると満員の電車同士が交換する一時はばら色の光景が見られました。架橋ブームの最盛期は車内乗車券の発売も復活しています。(今各地であるようなワンマン扱に切符発売員が添乗という形)
しかし、瀬戸大橋の効果は非常に短期的なものであり、1年も経つと、観光客数は減少に転じました。瀬戸大橋利用者数も同様で、瀬戸大橋のみを走る岡山-坂出の高速バスはたしか1年程度で撤退しているはずです。
それよりも、架橋前乗客数も多くドル箱的だった児島地区-岡山市内のバス路線が瀬戸大橋線に客を奪われ、下津井電鉄の黒字の元を完全になくしたのが鉄路廃止の最大の要因であったようです。(平たく言うと「そんな余裕はなくなった」というパターン)
結局、瀬戸大橋に期待し金をかけ、一時的にはその効果が見られたものの、長続きせず逆効果になったと言えましょう。
では、架橋を前にお金なんかかけなくても…という声も出そうですが、上述のようにバスの業績悪化は必至でしたので、何も手を打たないわけに行かなかったのも事実でしょう。
適切な例えではないかもしれませんが、末期がん患者に対して手術をするかどうかさんざん議論した挙句、危険な手術を行い、直後は経過も良好であったがやはり…といったところでしょうか?
>きっくす様
(
isaburou_shinpei
)
2009-01-02 23:27:11
コメントありがとうございます。
拙ブログは、エントリーの内容によっては歴史について浅く触れることもありますが、テーマが歴史についてのものではありませんので、鉄道史については他の方のHPやブログにお任せすることとし、「広く浅く」コンパクトにまとめさせていただいております。
ご了解のほどよろしくお願いいたします。
きっくす様の仰せの通り、同鉄道は瀬戸大橋開通による観光客の増加によって一旦は利用客が増加した場面もありましたが、地理的な不便さからか、瀬戸大橋特需はすぐに収まり、再び苦しい環境に戻った末に廃線に至っています。
後日、この時の涙ぐましい増収策(?)で生まれた硬券を御紹介いたしたいと思います。
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見解の相違あるいは以下の事情をコンパクトにまとめた結果かもしれませんが、瀬戸大橋開通により下電乗客は明らかに増えています。
架橋直前は下に示されているように下津井駅のみで細々と切符を発売していたのが、児島駅でも発売するようになり、児島下津井間など各種記念乗車券タイプや急遽作ったとしか思えないような一般式乗車券を多数用意してもそれがはけ、琴海の交換設備を復活させると満員の電車同士が交換する一時はばら色の光景が見られました。架橋ブームの最盛期は車内乗車券の発売も復活しています。(今各地であるようなワンマン扱に切符発売員が添乗という形)
しかし、瀬戸大橋の効果は非常に短期的なものであり、1年も経つと、観光客数は減少に転じました。瀬戸大橋利用者数も同様で、瀬戸大橋のみを走る岡山-坂出の高速バスはたしか1年程度で撤退しているはずです。
それよりも、架橋前乗客数も多くドル箱的だった児島地区-岡山市内のバス路線が瀬戸大橋線に客を奪われ、下津井電鉄の黒字の元を完全になくしたのが鉄路廃止の最大の要因であったようです。(平たく言うと「そんな余裕はなくなった」というパターン)
結局、瀬戸大橋に期待し金をかけ、一時的にはその効果が見られたものの、長続きせず逆効果になったと言えましょう。
では、架橋を前にお金なんかかけなくても…という声も出そうですが、上述のようにバスの業績悪化は必至でしたので、何も手を打たないわけに行かなかったのも事実でしょう。
適切な例えではないかもしれませんが、末期がん患者に対して手術をするかどうかさんざん議論した挙句、危険な手術を行い、直後は経過も良好であったがやはり…といったところでしょうか?
拙ブログは、エントリーの内容によっては歴史について浅く触れることもありますが、テーマが歴史についてのものではありませんので、鉄道史については他の方のHPやブログにお任せすることとし、「広く浅く」コンパクトにまとめさせていただいております。
ご了解のほどよろしくお願いいたします。
きっくす様の仰せの通り、同鉄道は瀬戸大橋開通による観光客の増加によって一旦は利用客が増加した場面もありましたが、地理的な不便さからか、瀬戸大橋特需はすぐに収まり、再び苦しい環境に戻った末に廃線に至っています。
後日、この時の涙ぐましい増収策(?)で生まれた硬券を御紹介いたしたいと思います。