コメント
小児専用券の大人運賃表示
(
菅沼天虎
)
2008-05-29 19:32:49
全国的に見ますと、金額式の小児専用券で大人運賃を大きく表示している例の方が少数派で、東京印刷の首都圏地区の他には、新潟印刷の高崎局・東京西局様式と札幌印刷のみとなります。
東京印刷でも、昭和44年5月10日の運賃改訂前後に発売された暫定金額式の小児専用券は、小児運賃のみの表示でしたし、高崎局・東京西局の新潟印刷の金額式も、当初は発駅名が縦書きで枠囲みとなる新潟印刷の基本様式で、小児専用券も小児運賃のみの表示であったものを、後に高崎局・東京西局様式を制定して、大人運賃を大きく表示する様式に改めておりますので、首都圏本部では「何らかの考え」を持って、意図的に大人運賃を大きく表示したものと思われます。
この「何らかの考え」について、以下は推測ですが、
自動券売機で発売された金額式の小児券は、大人券と印版を共用しておりましたので、大人運賃が大きく表示される事になりますが、改札口で集札にあたる係員は自駅までの運賃を概ね記憶しており、硬券の小児専用券であっても大人運賃を大きく表示する事により、係員が発駅からの大人の運賃を記憶していれば自駅まで有効な乗車券か否か即座に判断が出来ますので、硬券の小児専用券の表示を自動券売機の小児券の表示と合わせる事により、改札係員の視認性の向上を図ったのではないでしょうか?
JR西日本の簡易委託券
(
通行人
)
2008-05-29 22:40:13
中国地方の回数券式の簡易委託券は、国鉄時代から、小児専用券は小児運賃が大きく書かれていたような気がします。現在大型軟券に変りましたが、やはり、小児運賃が大きく書かれています。
追伸、菅原天虎さんと同意見です。低額な区間はこれでいいでしょうが、いきなり1620円の半額の表示をされても、わかりづらいと思います。
確かにまぎらわしい
(
α列車
)
2008-06-01 02:19:05
昭和50年代半ば頃、北陸の鉄道ファンにとって、窓口で買う近距離乗車券は着駅表示か着駅は最下段(準常備)が普通でした。
県庁所在地や、それに次ぐ都市の代表駅クラスにはもちろん自動券売機があって、そこで買った乗車券は金額表示。子供用は、大人用の運賃表示をした上で、赤の「小」マークが印字されてましたから、それが普通だと思ってました。
子供用の金額を表示した乗車券を初めて見たのは、硬券ではなく記念切符(短冊型3枚組)。
四国総局が昭和57年に発行した、しおかぜ・南風10周年の記念乗車券で、交通博物館の郵送で購入したものなんですが、発売額500円、金額式で130円、290円、小児80円という組み合わせになっていて、この小児80円というのが、80円区間という表示に赤の「小」マークだったんですね。
この場合、なぜ160円区間という表示に「小」マークでないのか、疑問でなりませんでした。
その後、金沢管内の近距離乗車券も金額式となり、また、他の地域へ旅行する機会が増えて、金額式の乗車券と接する機会も増えましたが、子供用の金額式乗車券にはあまり関心がなかったこともあって、買ったのはわずか2枚にすぎません。
1枚は昭和61年9月の運賃改定のとき。着駅表示だったときは「運賃変更」ゴム印で対応でしたが、金額式は全部入替えになることに気がつき、それならこの機会に「0001」番の切符を入手しよう、と思い立ち、成行きで、子供用の乗車券も1枚確保。
名古屋様式のそれも、子供の運賃表示に「小」マークでした。
もう1枚は平成4年、硬券が消滅するとき。
印刷発行機導入の衝撃を最初に受けたのが平成3年の11月でしたが、平成4年3月に出かけた盛岡地区も一斉導入されていて、山田線の区界とか茂市まで導入されている状況。
そんな中、岩泉(岩泉駅前)は機械が入っていませんでしたが、買い求めた乗車券は軟券に。そのとき、委託のおばさんが「子供用ならこれ(硬券)あるよ」と示してくれたのが、子供用の硬券乗車券。それも買い求めました。
こちらは大人用の金額表示に「小」マークでした。
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東京印刷でも、昭和44年5月10日の運賃改訂前後に発売された暫定金額式の小児専用券は、小児運賃のみの表示でしたし、高崎局・東京西局の新潟印刷の金額式も、当初は発駅名が縦書きで枠囲みとなる新潟印刷の基本様式で、小児専用券も小児運賃のみの表示であったものを、後に高崎局・東京西局様式を制定して、大人運賃を大きく表示する様式に改めておりますので、首都圏本部では「何らかの考え」を持って、意図的に大人運賃を大きく表示したものと思われます。
この「何らかの考え」について、以下は推測ですが、
自動券売機で発売された金額式の小児券は、大人券と印版を共用しておりましたので、大人運賃が大きく表示される事になりますが、改札口で集札にあたる係員は自駅までの運賃を概ね記憶しており、硬券の小児専用券であっても大人運賃を大きく表示する事により、係員が発駅からの大人の運賃を記憶していれば自駅まで有効な乗車券か否か即座に判断が出来ますので、硬券の小児専用券の表示を自動券売機の小児券の表示と合わせる事により、改札係員の視認性の向上を図ったのではないでしょうか?
追伸、菅原天虎さんと同意見です。低額な区間はこれでいいでしょうが、いきなり1620円の半額の表示をされても、わかりづらいと思います。
昭和50年代半ば頃、北陸の鉄道ファンにとって、窓口で買う近距離乗車券は着駅表示か着駅は最下段(準常備)が普通でした。
県庁所在地や、それに次ぐ都市の代表駅クラスにはもちろん自動券売機があって、そこで買った乗車券は金額表示。子供用は、大人用の運賃表示をした上で、赤の「小」マークが印字されてましたから、それが普通だと思ってました。
子供用の金額を表示した乗車券を初めて見たのは、硬券ではなく記念切符(短冊型3枚組)。
四国総局が昭和57年に発行した、しおかぜ・南風10周年の記念乗車券で、交通博物館の郵送で購入したものなんですが、発売額500円、金額式で130円、290円、小児80円という組み合わせになっていて、この小児80円というのが、80円区間という表示に赤の「小」マークだったんですね。
この場合、なぜ160円区間という表示に「小」マークでないのか、疑問でなりませんでした。
その後、金沢管内の近距離乗車券も金額式となり、また、他の地域へ旅行する機会が増えて、金額式の乗車券と接する機会も増えましたが、子供用の金額式乗車券にはあまり関心がなかったこともあって、買ったのはわずか2枚にすぎません。
1枚は昭和61年9月の運賃改定のとき。着駅表示だったときは「運賃変更」ゴム印で対応でしたが、金額式は全部入替えになることに気がつき、それならこの機会に「0001」番の切符を入手しよう、と思い立ち、成行きで、子供用の乗車券も1枚確保。
名古屋様式のそれも、子供の運賃表示に「小」マークでした。
もう1枚は平成4年、硬券が消滅するとき。
印刷発行機導入の衝撃を最初に受けたのが平成3年の11月でしたが、平成4年3月に出かけた盛岡地区も一斉導入されていて、山田線の区界とか茂市まで導入されている状況。
そんな中、岩泉(岩泉駅前)は機械が入っていませんでしたが、買い求めた乗車券は軟券に。そのとき、委託のおばさんが「子供用ならこれ(硬券)あるよ」と示してくれたのが、子供用の硬券乗車券。それも買い求めました。
こちらは大人用の金額表示に「小」マークでした。