コメント
 
 
 
東武熊谷線 (タルト)
2018-03-18 19:16:10
>東武熊谷線は、JRおよび秩父鉄道熊谷駅から

あの当時は、国鉄ですが。

>途中の上熊谷駅と石原駅の中間地点の分岐点
>までは秩父鉄道併用区間となっていました。

併用ではなく、熊谷線は独立した線路を使用して
いましたけど。
 
 
 
> タルト様 (isaburou_shinpei)
2018-03-19 00:12:03
コメントありがとうございます。

まず、あの当時は国鉄ですがというご指摘ですが、その通りです。「JRおよび秩父鉄道熊谷駅」と表現致しておりますが、これはあくまでも熊谷駅という駅を説明するだけのものであり、昭和58年当時にJRが存在したとは申し上げておりません。

次に「秩父鉄道併用区間」の記述ですが、「併用」は意味合い的に「兼用」の逆の意味と言えます。兼用が1つのものを2つ以上で(共同で)使うという意味であるのに対し、併用は2つ以上のものを1つとして使用するという意味です。前者は飯田線と名鉄本線の豊橋~平井信号場間のようなものでしょう。
本来であれば秩父鉄道と東武鉄道がそれぞれレールを所有すべきなのですが、この区間は秩父鉄道の複線化予定軌道の片方を東武鉄道が借り受けて併走させている形態であり、2つの鉄道事業者が秩父鉄道1つが所有するレールを使用しているので「併用」と表現しています。
もしかすると「併走」のほうが解り易かったかもしれません。

この区間がこのような形態で運用されてきた経緯は本文中にありますが、最後までそのままの形態で維持されてきたのは、熊谷線の信号閉塞が関係していると考えます。
東武鉄道は全線棒線にすることによって妻沼駅だけでスタフ閉塞を管理することができますが、秩父鉄道と複線の運用にするということは熊谷線の列車を秩父鉄道の自動閉塞の区間に合流させることであり、これを実現するには秩父鉄道の上熊谷駅でもスタフの授受等の運転業務を行わなければならなくなるからです。
 
 
 
Unknown (タルト)
2018-03-19 09:23:14
>東武鉄道は全線棒線

途中の大幡駅に交換施設があった時期があるのですが。
 
 
 
> タルト様 (isaburou_shinpei)
2018-03-21 19:53:59
タルト様
何をおっしゃりたいのかわかりませんが、大幡駅が無人化されたのが昭和29年であり、私はその時代を生きていないのでわかりません。貴殿がお幾つの方か存じ上げませんが、恐らく交換可能であった時代を御存知ないかと思います。
前回コメントでは「最後までそのままの形態で維持されてきた」ことを申し上げているのであり、晩年のことで、昭和29年以前のことではありませんね。
そもそも、その当時は秩父鉄道も自動閉塞ではありませんから、区間ごとに信号扱いをしていたわけで、全然次元が違います。
 
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