コメント
Unknown
(
かんくん
)
2022-12-03 21:28:24
仰るような状況ですので、当時は港にJRの切符売り場があり、そこでJRの切符を発売していたようです。
JR九州が小倉、博多などで多客時に新幹線主要駅を中心に硬券を発売していたのと同様の形態だったようです。港でこれから大阪、東京方面へ行く人に売るわけですから、午後や夕方になると途端に売れ行きは悪くなり、午前中心に売っていたようで、そのような事情を知らなかった私は買いそびれてしまいました。
当時は同様に松山観光港でも広島からの硬券や広島、新尾道発用の補充券(といっても普通の発駅空欄の穂片、料補ですが、広島または新尾道発新幹線停車駅用にしか売らないと説明された覚えがあります)を午前中中心に発売していました。
これらの航路の多くは古くは広範囲に連絡乗車券を発売していましたので、連絡範囲縮小後も需要に応じる形で臨時の出張販売所を設置したという建前で利便を図っていたのかもしれません。
ちなみに、松山観光港は委託販売扱いだったようで日交観松山(○ニ 松山)発行と表示されていました。
当時は今治周辺の同クラスの駅の窓口番号がほとんど1か2しかない(2窓程度あっても窓口番号すらないものも多い)ことを考えると、今治駅に5の番号まで窓口があったとは考えにくく、船に乗るからと言うことがあってもわざわざ駅で買う人が多いとは思えない(指定席を伴う前売りならともかく、自由席利用の当日売りならまっすぐ港に行く人の方が多い)ことも考えると、やはり港のJR窓口で売っていたものと思われます。
> かんくん様
(
isaburou_shinpei
)
2022-12-04 22:11:14
コメントありがとうございます。
仰せのように、当時は港にJRの窓口が出張していたり、船客ターミナルや旅行会社もしくは仰せのような日交観のような組織に委託発売のような形で乗車券の発売が行われていた例がありました。
これは利用者の利便性を考えてなのか、国鉄時四国総局時代からの慣習(?)でJR四国が承継して業績確保を目的として行われていたかは存じ上げませんが、いかにも鉄道が交通の主要な部分を占めいていた時代の名残のような気がします。
これとよく似た切符
(
虎の子南海
)
2022-12-08 11:59:22
こんにちは、。虎の子南海です。
以前、徳島地区でもこれによく似た乗車券が存在していたのをご存じかと思われますが、それは、大阪市内から東京都区内行きの乗車券がそれでした。
当時は、瀬戸大橋等はなく東京に行くには、高松から宇高連絡船、宇野線、新幹線と乗り継いで東京に行き随分と迂回しなけれならない時代でもありました。
そこで登場したのが上記に書いた乗車券です。JRになってからも少し存在していたようです。
東京に短距離で行くには、南海フェリーで和歌山港に出向き和歌山港から南海で新今宮まで行きそこから環状線に乗り大阪で出向き新大阪から新幹線で東京方面へ行くといったものです。
これより以前は4線連絡がありこれは、今は無き小松島港経由で東京日う面に行く乗車券が存在していましたが、こちらは補片で対応しておりました。、
> 虎の子南海 様
(
isaburou_shinpei
)
2022-12-10 13:19:45
コメントありがとうございます。
南海フェリー経由の乗車券はいろいろありましたね。
四国発の券ですと、本州側の着駅が国鉄線内だったり、南海線内だったり。
ほかにも船内で発行された上級変更券など、面白いきっぷが沢山あったと記憶しています。
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JR九州が小倉、博多などで多客時に新幹線主要駅を中心に硬券を発売していたのと同様の形態だったようです。港でこれから大阪、東京方面へ行く人に売るわけですから、午後や夕方になると途端に売れ行きは悪くなり、午前中心に売っていたようで、そのような事情を知らなかった私は買いそびれてしまいました。
当時は同様に松山観光港でも広島からの硬券や広島、新尾道発用の補充券(といっても普通の発駅空欄の穂片、料補ですが、広島または新尾道発新幹線停車駅用にしか売らないと説明された覚えがあります)を午前中中心に発売していました。
これらの航路の多くは古くは広範囲に連絡乗車券を発売していましたので、連絡範囲縮小後も需要に応じる形で臨時の出張販売所を設置したという建前で利便を図っていたのかもしれません。
ちなみに、松山観光港は委託販売扱いだったようで日交観松山(○ニ 松山)発行と表示されていました。
当時は今治周辺の同クラスの駅の窓口番号がほとんど1か2しかない(2窓程度あっても窓口番号すらないものも多い)ことを考えると、今治駅に5の番号まで窓口があったとは考えにくく、船に乗るからと言うことがあってもわざわざ駅で買う人が多いとは思えない(指定席を伴う前売りならともかく、自由席利用の当日売りならまっすぐ港に行く人の方が多い)ことも考えると、やはり港のJR窓口で売っていたものと思われます。
仰せのように、当時は港にJRの窓口が出張していたり、船客ターミナルや旅行会社もしくは仰せのような日交観のような組織に委託発売のような形で乗車券の発売が行われていた例がありました。
これは利用者の利便性を考えてなのか、国鉄時四国総局時代からの慣習(?)でJR四国が承継して業績確保を目的として行われていたかは存じ上げませんが、いかにも鉄道が交通の主要な部分を占めいていた時代の名残のような気がします。
以前、徳島地区でもこれによく似た乗車券が存在していたのをご存じかと思われますが、それは、大阪市内から東京都区内行きの乗車券がそれでした。
当時は、瀬戸大橋等はなく東京に行くには、高松から宇高連絡船、宇野線、新幹線と乗り継いで東京に行き随分と迂回しなけれならない時代でもありました。
そこで登場したのが上記に書いた乗車券です。JRになってからも少し存在していたようです。
東京に短距離で行くには、南海フェリーで和歌山港に出向き和歌山港から南海で新今宮まで行きそこから環状線に乗り大阪で出向き新大阪から新幹線で東京方面へ行くといったものです。
これより以前は4線連絡がありこれは、今は無き小松島港経由で東京日う面に行く乗車券が存在していましたが、こちらは補片で対応しておりました。、
南海フェリー経由の乗車券はいろいろありましたね。
四国発の券ですと、本州側の着駅が国鉄線内だったり、南海線内だったり。
ほかにも船内で発行された上級変更券など、面白いきっぷが沢山あったと記憶しています。