コメント
往復券の有効期間
(
みやび(雅)
)
2016-06-05 13:50:18
みやび(雅)です。
個人的には戦後の混乱期の券だと思います。
GJR字模様の紙質が悪い券で銭単位の表示がある券、円単位の券、新字体に移行した券があります。
同社の廃札券は現在でも大量に残っているようです。GJR字模様の往復券の場合、キロ数によって有効期限が異なる券があります。往復共通用当日限り、往路当日限り・復路3日有効券などがあります。
国鉄(JNR字模様)委託調弁券でも同様の事例があり、往路当日限り・復路3日有効券が存在しています。
乗車券印刷を民間へ切り替えた後(TTD字模様券、自社字模様券)も同様の券がありますので同社の独自制度だったと思っています。
3等廃止、2等券へ移行後は往路当日限り、復路2日有効券が存在することから、現行の近鉄往復券と同じ考え方だと思います。
末期(等級廃止後)は国鉄と同様の往復2日有効券が存在するため、社線独自の考え方から国鉄の規則に合わせたと考えています。
> みやび様
(
isaburou_shinpei
)
2016-06-05 14:33:33
長い間御無沙汰いたしておりました。
この券については全く手がかりがないのでわかりませんが、鉄道省において往復券の復路用券に「かへり」という表記をしていたのは昭和10年代中盤程度までで、昭和8年ころから「〇複」の表示に切替えられていますので、戦後の混乱期であれ、このような様式で作成されたかと思うと些か疑問がございます。
有効期間については鉄道省時代のすべての券を調べていませんのでわかりませんが、近鉄のように往路用が当日限りで復路用が2日という例も無くはありませんが、他にそのような様式の鉄道省券は確認したことがございません。また、基本的に往復券の有効期間は片道の2倍ですから、奇数の有効期間を有する往復券というものは考えにくく、仰せのようにこの券の有効期間は社線独自のルールであった可能性があります。
Unknown
(
みやび(雅)
)
2016-06-05 18:16:06
isaburou_shinpeiさま
みやび(雅)です。
この券を拝見して最初に疑問に思ったのは運賃なんです。往復で5円60銭。
戦前、昭和10年頃の省線の最低運賃が5銭、東京-大阪間の片道普通運賃3等で約6円の時代に地方私鉄とはいえ昭和10年の券としては高すぎる感じがありました。
戦前の時刻表か当時の実券があれば、ある程度判断できるとおもいます。
私が最初に下付知駅(跡)へいったときは重機で駅舎解体を行っているときです。このときの運賃でも片道1000円程度、平成の物価と戦前の物価を単純に比較することは困難ですが極端な乖離はないと思っています。
> みやび様
(
isaburou_shinpei
)
2016-06-05 18:43:05
様式的にはどう見ても昭和10年代なのですが、貨幣価値で換算すると仰せのことにも頷けますね。
それでも今の価値で4000円くらいになってしまうし、戦時特別運賃が加算されていないし、時代考証のできない券ですね。
Unknown
(
n
)
2016-07-27 04:21:56
戦前券なら、無「效」かなと考えます。
> nさま
(
isaburou_shinpei
)
2016-07-27 06:56:56
コメントありがとうございます。
仰せのことも、時代考証のひとつのカギですね。
ほかにもコメント頂いていますように、ここまで発行された時代のわからない券も珍しいと思っています。国鉄や鉄道省、大手私鉄なら特定しやすいかと思いますが、北恵那鉄道のような中小私鉄はあまり資料がなく、古い時代の様式を使い続けていたりして、ますます判りづらいというのが実状です。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
個人的には戦後の混乱期の券だと思います。
GJR字模様の紙質が悪い券で銭単位の表示がある券、円単位の券、新字体に移行した券があります。
同社の廃札券は現在でも大量に残っているようです。GJR字模様の往復券の場合、キロ数によって有効期限が異なる券があります。往復共通用当日限り、往路当日限り・復路3日有効券などがあります。
国鉄(JNR字模様)委託調弁券でも同様の事例があり、往路当日限り・復路3日有効券が存在しています。
乗車券印刷を民間へ切り替えた後(TTD字模様券、自社字模様券)も同様の券がありますので同社の独自制度だったと思っています。
3等廃止、2等券へ移行後は往路当日限り、復路2日有効券が存在することから、現行の近鉄往復券と同じ考え方だと思います。
末期(等級廃止後)は国鉄と同様の往復2日有効券が存在するため、社線独自の考え方から国鉄の規則に合わせたと考えています。
この券については全く手がかりがないのでわかりませんが、鉄道省において往復券の復路用券に「かへり」という表記をしていたのは昭和10年代中盤程度までで、昭和8年ころから「〇複」の表示に切替えられていますので、戦後の混乱期であれ、このような様式で作成されたかと思うと些か疑問がございます。
有効期間については鉄道省時代のすべての券を調べていませんのでわかりませんが、近鉄のように往路用が当日限りで復路用が2日という例も無くはありませんが、他にそのような様式の鉄道省券は確認したことがございません。また、基本的に往復券の有効期間は片道の2倍ですから、奇数の有効期間を有する往復券というものは考えにくく、仰せのようにこの券の有効期間は社線独自のルールであった可能性があります。
みやび(雅)です。
この券を拝見して最初に疑問に思ったのは運賃なんです。往復で5円60銭。
戦前、昭和10年頃の省線の最低運賃が5銭、東京-大阪間の片道普通運賃3等で約6円の時代に地方私鉄とはいえ昭和10年の券としては高すぎる感じがありました。
戦前の時刻表か当時の実券があれば、ある程度判断できるとおもいます。
私が最初に下付知駅(跡)へいったときは重機で駅舎解体を行っているときです。このときの運賃でも片道1000円程度、平成の物価と戦前の物価を単純に比較することは困難ですが極端な乖離はないと思っています。
それでも今の価値で4000円くらいになってしまうし、戦時特別運賃が加算されていないし、時代考証のできない券ですね。
仰せのことも、時代考証のひとつのカギですね。
ほかにもコメント頂いていますように、ここまで発行された時代のわからない券も珍しいと思っています。国鉄や鉄道省、大手私鉄なら特定しやすいかと思いますが、北恵那鉄道のような中小私鉄はあまり資料がなく、古い時代の様式を使い続けていたりして、ますます判りづらいというのが実状です。