コメント
Unknown
(
かんくん
)
2009-05-16 17:42:32
確かに南海フェリー(高速船を含む)経由の乗客もいたでしょうが、件の説明でもあったように小松島経由であったので、徳島駅起点での場合はやや遠回りで需要はなかったものと思われます。しかも当時は南海フェリー経由の場合通過連絡が適用できたはずで、(常備かどうかは別として)連絡券で対応していた可能性があります。徳島線・牟岐線では南海フェリー経由の券が多数あったようです。
では、何でかというと、もっと単純に考えたらいいでしょう。確かに徳島から新幹線で東京方面に行くのは船で行くのが最短・最速でした。今は南海フェリーしか残ってないので、つい南海フェリーと考えたくなりますが、当時は徳島港から大阪港・神戸港(または双方)へ向けて、高速船・フェリーが多数(いずれも複数社)出ていました。しかもそれらの多くは国鉄連絡運輸をしていなかったようです。
ですので、素直にこれらで港から直接大阪や神戸(神戸港は最寄り駅が元町であるが、ついつい阪神電車で梅田へ行ってしまう客が多かったという)へ出かけて、大阪から新幹線に乗る人のためにあったと思われます。港に行くためにもいったん徳島駅へ行くほうが便利ですから、徳島駅で国鉄切符を買う人が多かったことは十分想像できます。
その後大鳴門橋開通により、高速船の一部は淡路島の洲本発着(洲本-徳島高速バスと接続)となり、阪神間への最速は淡路島経由(でも異様に高い)という意識をつける前兆となり、明石海峡大橋開通で徳島と阪神間を結ぶ航路が全滅したのは有名な話です。
なお、南小松島など南海フェリーで行く人が多いと思われる駅にJR化後も同様の設備があったようですので、南海フェリー利用の人も必ずしも連絡では買わなかったというのはあるでしょうね。
Unknown
(
さかま記号
)
2009-05-16 18:36:54
いつも楽しく拝見しております。
貴兄の記事はとても勉強になり、また目の保養もさせていただいております。
今後も、つまらぬ煽りや検証性の欠片もない自己満足的なコメントに惑わされず、マイペースで執筆してください。
Unknown
(
かっぱ
)
2009-05-17 22:47:19
やや話題からそれますが、コメントを。
舞子駅から西明石駅は、間に朝霧、明石で3駅目です。快速は朝霧に停まらないので2駅目ですが・・・。
親戚宅の最寄駅が朝霧駅なもので・・・。
> かんくんさま
(
isaburou_shinpei
)
2009-05-17 23:05:15
今でこそ、本四連絡交通は瀬戸大橋線と共に高速バス路線網がメインルートになってきていますが、昭和50年代の新幹線岡山開業以前は宇高航路の他、小松島港からの南海フェリールートがメインルートとなっていたようです。実際、小松島線の終着駅小松島駅(実際にはもう一つ先の小松島港仮乗降場まで、急行「よしの川」が運転され、そこそこの活気があったようです。
しかし、新幹線岡山開業や小松島線の廃止に伴い、今やメインルートの面影さえもない状況になっています。
和歌山港は和歌山駅から6.1㎞、和歌山市駅から2.8㎞の距離があり、フェリー下船後は必然的に南海電車を利用することとなり、そのまま大阪まで直行するのが一般的であったようです。
そのため、多くの利用客は大阪市内からの乗車券を求めたようですが、貴殿コメントの如く、徳島本線や牟岐線の各有人駅には南海電車難波ゆきの常備券が設備されていたようで、さらに一部の駅には小松島港・和歌山港・新今宮・東海経由の3社通過連絡の東京都区内ゆき券がもあったという話も聞いたことがあります。
> さかま記号さま
(
isaburou_shinpei
)
2009-05-17 23:10:11
コメントありがとうございます。
仕事の関係で更新が不定期ではありますが、今後とも拙ブログをよろしくお願いいたします。
> かっぱさま
(
isaburou_shinpei
)
2009-05-17 23:17:45
「最速ルート」ですので、快速利用で朝霧駅通過の2駅目として記述させて頂いております。
確かに普通列車利用でありましたら、仰せの通り、朝霧駅→明石駅→西明石駅で3駅目となります。
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では、何でかというと、もっと単純に考えたらいいでしょう。確かに徳島から新幹線で東京方面に行くのは船で行くのが最短・最速でした。今は南海フェリーしか残ってないので、つい南海フェリーと考えたくなりますが、当時は徳島港から大阪港・神戸港(または双方)へ向けて、高速船・フェリーが多数(いずれも複数社)出ていました。しかもそれらの多くは国鉄連絡運輸をしていなかったようです。
ですので、素直にこれらで港から直接大阪や神戸(神戸港は最寄り駅が元町であるが、ついつい阪神電車で梅田へ行ってしまう客が多かったという)へ出かけて、大阪から新幹線に乗る人のためにあったと思われます。港に行くためにもいったん徳島駅へ行くほうが便利ですから、徳島駅で国鉄切符を買う人が多かったことは十分想像できます。
その後大鳴門橋開通により、高速船の一部は淡路島の洲本発着(洲本-徳島高速バスと接続)となり、阪神間への最速は淡路島経由(でも異様に高い)という意識をつける前兆となり、明石海峡大橋開通で徳島と阪神間を結ぶ航路が全滅したのは有名な話です。
なお、南小松島など南海フェリーで行く人が多いと思われる駅にJR化後も同様の設備があったようですので、南海フェリー利用の人も必ずしも連絡では買わなかったというのはあるでしょうね。
貴兄の記事はとても勉強になり、また目の保養もさせていただいております。
今後も、つまらぬ煽りや検証性の欠片もない自己満足的なコメントに惑わされず、マイペースで執筆してください。
舞子駅から西明石駅は、間に朝霧、明石で3駅目です。快速は朝霧に停まらないので2駅目ですが・・・。
親戚宅の最寄駅が朝霧駅なもので・・・。
しかし、新幹線岡山開業や小松島線の廃止に伴い、今やメインルートの面影さえもない状況になっています。
和歌山港は和歌山駅から6.1㎞、和歌山市駅から2.8㎞の距離があり、フェリー下船後は必然的に南海電車を利用することとなり、そのまま大阪まで直行するのが一般的であったようです。
そのため、多くの利用客は大阪市内からの乗車券を求めたようですが、貴殿コメントの如く、徳島本線や牟岐線の各有人駅には南海電車難波ゆきの常備券が設備されていたようで、さらに一部の駅には小松島港・和歌山港・新今宮・東海経由の3社通過連絡の東京都区内ゆき券がもあったという話も聞いたことがあります。
仕事の関係で更新が不定期ではありますが、今後とも拙ブログをよろしくお願いいたします。
確かに普通列車利用でありましたら、仰せの通り、朝霧駅→明石駅→西明石駅で3駅目となります。