次の朝、日の出は6時50分だったので、6時半ごろプールサイドに出てみた。
対岸の紀伊大島の向こうから日が昇りかけている。
これが夏至のころだと、もっと左手の橋杭岩から昇るのだけど。
朝焼けは無理そう。でも、雲がオレンジ色に輝き、きれい。
日の出直前。
そして、日の出。
絞って、光芒を出してみた。
朝食は7時だったので、残念ながら、朝、温泉に入る時間はなかった。
この日は、ホテルを出ると南へ向かった。
潮岬灯台かな~とも思ったのだが、くしもと大橋を渡って紀伊大島へ。
島を西から東へ横断して、東の突端にある樫野埼灯台が目的地だった。
これは日本で最初に作られた石造灯台だ。
日本の灯台の父と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが
初めて手がけた洋式灯台である。(潮岬灯台も彼が手がけている)
明治に変わった直後だ!
光芒で遊んでばかり(笑)
灯台の隣には旧官舎がある。
官舎の裏、海側の小径沿いには、ずらっと水仙が咲きほこっていて、あたりにはいい香りが満ちていた。
ブラントンが故郷イギリスを思って植えたと伝えられている。
水仙を前景に。
駐車場から樫野埼灯台へ向かう通りはエルトゥールル通りと名づけられている。
1890年、エルトゥールル号が樫野埼の東方で遭難した事件にちなむ。
600名以上が海へ投げ出されたが、樫野埼灯台下に流れ着いた生存者を灯台守が発見、
大島村樫野の住民たちが総出で救助に当たり、その結果69名が生還することができた。
この事件については、映画「海難1890」で見ていた。
エルトゥールル号の救助活動によって日本とトルコの友好があったおかげで
1985年のイラン・イラク戦争の折、テヘランに取り残された日本人を
トルコ航空が救った件とからめて描いている。
遭難120年の2010年には、トルコの初代大統領ケマル・アタチュルク騎馬像が
トルコから串本町に贈られた。
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