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見に行きましたよ!

2008年04月14日 | 生活観
こんにちは、墓石石材アイセキの増井シャンウィンです。

昨日寄居町の北城まつりに行ってきました。
もう何年ぶりかなぁ~みるのは天気の心配も有ったが結構込んでいました。

前に船も出たの記憶があるけど
山の上は攻める方? 


寒い一日なので主催の関係者たちもたいへんお疲れさまです。


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1 コメント

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私も行きましたよ (アイセキ水野)
2008-04-14 12:26:28
天正18年の天気はどうだったか知りませんが、平成20年4月13日は小雨のちらつく寒い日でした。阿波踊りの「連」を思い出しますが、いろいろな「隊」があるんですね。「農協隊」、たぶん銀行、信用組合の社員の「金融連合隊」、外人部隊の「国際隊」とか。ナレーションが史実を忠実に語っていました。豊臣連合軍、総大将は前田利家その他上杉景勝、徳川家康の武将本多忠勝。この5万の軍勢を迎え撃つ北条氏邦わずか3千5百。本家の小田原城は秀吉率いる20万もの大軍に包囲されているという。援軍は来ない。それでも関東武士の意地をみせ一戦交えるという。これは中央集権をめざす秀吉と地方分権を守りたい北条氏との戦いであったそうです。税制が紹介されていましたが北条氏の支配地では減税策がとられていて秀吉に支配されては年貢が高くなるということで農民たちも戦いに加わったそうです。この戦いが終了し大きく歴史は動きます。この時小田原に伊達政宗ら東北の諸将も参陣してますので豊臣政権の全国制覇は急速に進みます。北条氏の領地は徳川家康に引き継がれ江戸幕府へとつながる礎がつくれれます。この後の大きな征討戦は南部九戸の攻城戦となりますが、こちらは今なら虐殺と呼ばれる悲惨な戦いであったようです。ここで岩手の人たちの地方自治を守ろうとする気概にもエールを送ります。桓武天皇の時の坂上田村麻呂と戦ったアテルイ、源頼朝のときは奥州藤原氏、南北朝の北畠陸奥守青年、そして前述した秀吉のときの南部九戸氏、さらに幕末にも南部藩は最後まで薩長新政府軍に抵抗しました。しかし歴史上支配した側もやがて支配された側の文化、伝統、宗教、風習を認め地方分権的になっていくのが日本の政治の特長で、征夷大将軍は皇帝ではなくて諸侯の代表です。長期安定政権はそういった統治を行なっています。中国大陸の支配者もそこのところよく考えてほしいものです。
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