今日も8月の回想記(^_^;)
今日は、今年最強の台風21号の到来の為、私達非常勤職員は特別休暇でお休みに(*^ー^)ノ♪
と言う事で、今日はこの機会に貯まっている8月のネタを消化しようと思ってる(^_^;)
8月11日(土)、午前中に大覚寺を拝観し、その後、猛暑の中を歩いて行って寂聴庵を見学した私は、再び10分少し歩いて「清凉寺」に到着🏃♀️
因みに瀬戸内寂聴さんのお宅はこちら↓嵐山の閑静な住宅地にひっそりと佇ずむ豪邸だった✨
「清凉寺」は、大覚寺の近くの京都嵯峨野に位置する浄土宗の寺院。
境内の入り口付近にあった案内板↓
ここも大覚寺に負けない位の広さだった(*_*)
清凉寺は、宋から持ち帰られた釈迦如来立像が安置されていることから「嵯峨釈迦堂」とも呼ばれている、平安初期に建立された大変歴史のあるお寺との事。
源氏物語縁のお寺でもあるそうだ↓
表玄関にある仁王門がこちら↓
全体を撮影するのには、かなり離れた所から撮影しないといけない位大きかった(*_*)
清凉寺の仁王門は1790年代に再建された。
和様と禅宗様が入り混じった二層の門で、一層(一階)には室町時代に作られた仁王像が祀られ、二層(二階)には十六羅漢が祀られているとの事。
左側の仁王像がこちら↓
右側がこちら↓
仁王門は寺院の表玄関であると同時に、嵯峨野の丁度真ん中に位置しているため、嵯峨野の顔ともいわれている。京都府の指定文化財にも指定されている歴史的価値の高い門らしい。
境内の中から見た仁王門↓
手水舎がこちら↓
その奥には、お食事処もあった✨
清凉寺の本堂は釈迦堂とも呼ばれ、国宝の三国伝来生身釈迦如来像をお祀りしている。
本堂は江戸時代初期の嵯峨大火で一度焼失してしまったが、1716年に再建され、門と同じく和様と禅宗様を折衷した建物で、本山級の風格を持つ建物なんだそう。
遠くから見た本堂↓
釈迦如来立像が安置されている内々陣の宮殿厨子は、五代将軍徳川綱吉とその生母である桂昌院(けいしょういん)の寄進によるもの。
近くから見た本堂↓
本堂正面楣上には黄檗隠元(おうばくいんげん)禅師筆による青色の栴檀瑞像(せんだんずいぞう)の大額が掲げられている↓
京都府指定の文化財であり、清凉寺の中心となっている。
本堂の中に入ろうとしたら、大阪から自転車で来てる大覚寺で出会ったオジサマと入れ違いに(^o^;)
私が寂庵に見学に行ってる間に、こちらを拝観していたみたいだった。
「又会っちゃいましたねぇ(^o^ゞ」なんて会話した後、お別れした。
この猛暑の中、今度は何処に行くのかしら(^_^;)
熱中症にならなければ良いけど、、なんて思いつつ、本堂を拝観。
本堂の中は、残念ながら撮影禁止だったのでご紹介出来ないが、国宝の釈迦如来立像をはじめ、お宝の宝庫だった✨
本堂を拝観し、こちらの廊下を渡って境内の中を移動して行く↓
廊下から見える庭園の様子がこちら↓
廊下を進んで行くと、
放生池が現れた↓
放生池の中には、弁天堂が建っている。弁天堂は、弁天様をお祀りするもの。秋になると紅葉が見事な場所として知られているらしい。
この季節に珍しい、紅葉している紅葉が一本だけあった↓
美しい放生池と弁天堂を眺めながら廊下を更に進んで行く。
迷路の様で、何だかワクワクした(*^。^*)
その先には大方丈付属の書院が↓
清凉寺の大方丈は、住職が暮らす場所としての役割を果たしていた。書院は方丈に付属しており、宇喜多秀家の正室樹正院(じゅせいいん)が隠居した場所との事。
襖絵の一部は狩野探幽筆によるものだそう↓
こちらは、本堂の東側に位置する阿弥陀堂。
棲霞寺の名残で、清凉寺の発展と反比例するように棲霞寺は勢いを失ってしまい、阿弥陀堂だけが残ったらしい。
早春になると、阿弥陀堂前には美しい梅が咲くのだそう。こちら↓
本堂の横に建てられている秀頼公の首塚↓
清凉寺は、秀頼公再興の由緒のあるお寺と言う事で、昭和55年に大阪城の三の丸跡地発掘現場から出土した豊臣秀頼公の首を昭和58年に納められたとの事。
こちらは歴史ある鐘楼↓
鐘楼に吊るされた梵鐘には、室町時代の将軍足利義政などの銘が刻まれているのだそう。
仁王門を潜ってすぐの所には、浄土宗を開いた法然上人の銅像も↓
こちらは、法然上人像の横にある多宝塔↓
大覚寺に負けない位の広大な境内で、こちらもみどころ満載だった清凉寺。
大覚寺のすぐ近くなので、大覚寺に拝観した際は、是非こちらにも立ち寄ってみてネ(*^ー^)ノ♪
御朱印ゲット(^o^)v
清涼寺
アクセス情報
住所:京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
電話番号:075-861-0304
拝観時間:9~17時(季節によって変動あり)
拝観料:大人400円・中高生300円・小学生200円
駐車場:あり
交通案内:京福嵐山駅より徒歩5分
今日は、今年最強の台風21号の到来の為、私達非常勤職員は特別休暇でお休みに(*^ー^)ノ♪
と言う事で、今日はこの機会に貯まっている8月のネタを消化しようと思ってる(^_^;)
8月11日(土)、午前中に大覚寺を拝観し、その後、猛暑の中を歩いて行って寂聴庵を見学した私は、再び10分少し歩いて「清凉寺」に到着🏃♀️
因みに瀬戸内寂聴さんのお宅はこちら↓嵐山の閑静な住宅地にひっそりと佇ずむ豪邸だった✨
「清凉寺」は、大覚寺の近くの京都嵯峨野に位置する浄土宗の寺院。
境内の入り口付近にあった案内板↓
ここも大覚寺に負けない位の広さだった(*_*)
清凉寺は、宋から持ち帰られた釈迦如来立像が安置されていることから「嵯峨釈迦堂」とも呼ばれている、平安初期に建立された大変歴史のあるお寺との事。
源氏物語縁のお寺でもあるそうだ↓
表玄関にある仁王門がこちら↓
全体を撮影するのには、かなり離れた所から撮影しないといけない位大きかった(*_*)
清凉寺の仁王門は1790年代に再建された。
和様と禅宗様が入り混じった二層の門で、一層(一階)には室町時代に作られた仁王像が祀られ、二層(二階)には十六羅漢が祀られているとの事。
左側の仁王像がこちら↓
右側がこちら↓
仁王門は寺院の表玄関であると同時に、嵯峨野の丁度真ん中に位置しているため、嵯峨野の顔ともいわれている。京都府の指定文化財にも指定されている歴史的価値の高い門らしい。
境内の中から見た仁王門↓
手水舎がこちら↓
その奥には、お食事処もあった✨
清凉寺の本堂は釈迦堂とも呼ばれ、国宝の三国伝来生身釈迦如来像をお祀りしている。
本堂は江戸時代初期の嵯峨大火で一度焼失してしまったが、1716年に再建され、門と同じく和様と禅宗様を折衷した建物で、本山級の風格を持つ建物なんだそう。
遠くから見た本堂↓
釈迦如来立像が安置されている内々陣の宮殿厨子は、五代将軍徳川綱吉とその生母である桂昌院(けいしょういん)の寄進によるもの。
近くから見た本堂↓
本堂正面楣上には黄檗隠元(おうばくいんげん)禅師筆による青色の栴檀瑞像(せんだんずいぞう)の大額が掲げられている↓
京都府指定の文化財であり、清凉寺の中心となっている。
本堂の中に入ろうとしたら、大阪から自転車で来てる大覚寺で出会ったオジサマと入れ違いに(^o^;)
私が寂庵に見学に行ってる間に、こちらを拝観していたみたいだった。
「又会っちゃいましたねぇ(^o^ゞ」なんて会話した後、お別れした。
この猛暑の中、今度は何処に行くのかしら(^_^;)
熱中症にならなければ良いけど、、なんて思いつつ、本堂を拝観。
本堂の中は、残念ながら撮影禁止だったのでご紹介出来ないが、国宝の釈迦如来立像をはじめ、お宝の宝庫だった✨
本堂を拝観し、こちらの廊下を渡って境内の中を移動して行く↓
廊下から見える庭園の様子がこちら↓
廊下を進んで行くと、
放生池が現れた↓
放生池の中には、弁天堂が建っている。弁天堂は、弁天様をお祀りするもの。秋になると紅葉が見事な場所として知られているらしい。
この季節に珍しい、紅葉している紅葉が一本だけあった↓
美しい放生池と弁天堂を眺めながら廊下を更に進んで行く。
迷路の様で、何だかワクワクした(*^。^*)
その先には大方丈付属の書院が↓
清凉寺の大方丈は、住職が暮らす場所としての役割を果たしていた。書院は方丈に付属しており、宇喜多秀家の正室樹正院(じゅせいいん)が隠居した場所との事。
襖絵の一部は狩野探幽筆によるものだそう↓
こちらは、本堂の東側に位置する阿弥陀堂。
棲霞寺の名残で、清凉寺の発展と反比例するように棲霞寺は勢いを失ってしまい、阿弥陀堂だけが残ったらしい。
早春になると、阿弥陀堂前には美しい梅が咲くのだそう。こちら↓
本堂の横に建てられている秀頼公の首塚↓
清凉寺は、秀頼公再興の由緒のあるお寺と言う事で、昭和55年に大阪城の三の丸跡地発掘現場から出土した豊臣秀頼公の首を昭和58年に納められたとの事。
こちらは歴史ある鐘楼↓
鐘楼に吊るされた梵鐘には、室町時代の将軍足利義政などの銘が刻まれているのだそう。
仁王門を潜ってすぐの所には、浄土宗を開いた法然上人の銅像も↓
こちらは、法然上人像の横にある多宝塔↓
大覚寺に負けない位の広大な境内で、こちらもみどころ満載だった清凉寺。
大覚寺のすぐ近くなので、大覚寺に拝観した際は、是非こちらにも立ち寄ってみてネ(*^ー^)ノ♪
御朱印ゲット(^o^)v
清涼寺
アクセス情報
住所:京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
電話番号:075-861-0304
拝観時間:9~17時(季節によって変動あり)
拝観料:大人400円・中高生300円・小学生200円
駐車場:あり
交通案内:京福嵐山駅より徒歩5分