”災い転じて福となる“・・コロナ禍においても、これまでの非常時における物事の捉え方や発想、考え方、更に言動が変わる事で、軌道修正が出来て新たな道が開けて行く可能性ってあるのではないかと、コロナに振り回され続けた1年を振り返って感じる事がある。
これまで当たり前と思っていた日常がコロナによってガラリと変わり、当たり前でなくなってしまった、、、
これまで当たり前と思っていた日常がコロナによってガラリと変わり、当たり前でなくなってしまった、、、
そんな風に感じている人が私以外にも多いのではないだろうか。
先日、主人がコロナ禍で苦しんでいる人達の報道を観て、「今のところはこれまでと変わらない生活が出来ている事に感謝しないといけないな。」とポツリと言った。
本当にその通りだと思う。
この1年、コロナのせいで沢山の人達が職を失い、健康を失い、家族や親しい人を失い、住む家さえも失ってしまった人さえいる。
誰だって決して他人事ではなくて、いつ自分の身に降りかかって来てもおかしくはない。
コロナは世界中の国々との交流を絶ち、経済を立ち行かなくし、罪もない多くの人々を不幸にしているが、それでも決して悪い事ばかりではないと信じたい。
何故かと言うと、その混沌たるカオスの中でも、多くの気づきを与えてくれているのではないかと思うからだ。
その最もたるものが、“当たり前”だと思っていた日常が、本当はとんでもなく幸せな恩寵だったということ✨
朝起きて、家族が何事もなく健康で、普通に仕事に行けて、お給料を貰えて、お風呂に入れて、暖かいお布団の中で休める・・・コロナ禍において、この至極当たり前だと思っていた日常を失くしてしまった人がどれだけいる事だろう。
昨年の全国一斉の緊急事態宣言下の時の事。
私自身、仕事から帰って来て夕ご飯を食べる際、「あぁ、今日も1日無事に終える事が出来、こうやって普段通り夕ご飯を食べる事が出来る。なんて幸せなんだろう」と心から思った。
なので、その日以来、食事前の「いただきます」と手を合わせる時に必ず「神様、ご先祖様、今日も本当にありがとうございます。」と、食事を食べられる幸せを感謝するようになった。
それは、食事の時だけではなく、お風呂に入る時、母や息子の元気な声を聞けた時、ウォーキングしている時、眠りにつく前、etc…どんな時にもである。
どんな事も当たり前ではなく、有難い事なのだと思えるようになったのは、コロナのお陰かもしれないなと思う。
樹木希林さんのコトバにもある様に、人は決して驕ることがあってはならない。
常に謙虚で感謝を忘れない様にしなければならないのだ。
そう言う有難い日常生活を当たり前だと思って感謝を忘れて不平不満ばかり募らせていると、ある日突然その“当たり前”だと思っていたものを全て失くしてしまい、後悔する羽目になるのかもしれないな、、なんて、そんな風にも感じている。
だから、今、私は全ての出来事、出来る事に感謝して暮らすようにしている。
そして、これまでも、半年先の命なんて分からないと思って日々後悔しないようにと心掛けて来たが、コロナ禍になってからは更にスパンが短くなって、あまり先の事よりもせいぜい2~3か月単位で考え、今この瞬間を精一杯生きようと思う様になった。
私は薬や食物等のアレルギーがあるので、残念ながらワクチンは打てないだろう(/_;)/~~
コロナに罹ってしまったら、有効な薬治療でさえも出来ないと思っているし、もし、コロナになったら他の人よりはるかに“死”と隣り合わせになるだろう。
だからこそ、今普通の生活がおくれている事を感謝せずにはいられないし、これまでよりももっと、今この瞬間を大切にしていきたいと思っている。
何が何でも生き抜いてやろうと言う様な気持ちはないが、残りの人生を後悔しないよう出来る範囲で楽しんで生きて行きたい。
樹木希林さんが生前娘の也哉子さんに残した言葉、
『おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』
プラス、感謝を忘れずに毎日を過ごして行きたいものである。
いつかコロナが収まって、“災い転じて福となり”、我々人類にとって新しく、より快適な日々が到来するかもしれない事も信じて・・・