私は田舎育ちですが、東京周辺で暮らして50年近くになります。
先日、田舎の義理の姉が病気で亡くなり葬儀が執り行われ久しぶりに帰郷致しました。9年前に亡くなった私の兄のつれあいで、私の一つ年上の義理の姉は、私の実の兄弟以上に親しくして頂いた方で本当に残念でした。50年近いお付き合いでした。普段はお会いする機会はほとんどありませんでしたが、兄が無くなってからは、メル友として時折やりとりをしておりました。
ふと思いました。毎日顔を合わせることのなかったお付き合いでしたので、葬儀が終わって帰ってきて義理の姉とのお付き合いは今までと変わっていない。本人は亡くなっていても、私の心の中の姉は生きている。自分の都合の良い時に元気にしているかな、こんな時は姉はどう言うかななどと思う私の中に生きている。そんな感じです。
私もそのうちにこの世を去ることになる。死というものはやはり怖い。でも誰もそれから逃れることは出来ません。眠ってしまい意識が全くない状況になるのが死せる本人の状態だと想像します。でも、本人ではないまだ生きている人の心の中にずっと生き続けるのでしょう。今まで死別した方は何人もおられますが、ふとした機会に思い出します。同級生ですでに亡くなった、K君。考えてみると、私の中では、生きています。普段は思い出すことはほとんど無いけれど、同級会などでは話題に出ます。同級会には出席していないけれど、私たちの間では生きていると同じです。
別れはありますが、私、家族、友人達が生きている間は、共に生きて行くのだなと考えると悲しみも少しは安らぎます。私が生きている間は、共に生きて行きます。また、私に死が来ても、多分、関係のある人たちの心の中でのまだ生き続けると思います。どれ位生きれるか分かりませんが・・・
先日、田舎の義理の姉が病気で亡くなり葬儀が執り行われ久しぶりに帰郷致しました。9年前に亡くなった私の兄のつれあいで、私の一つ年上の義理の姉は、私の実の兄弟以上に親しくして頂いた方で本当に残念でした。50年近いお付き合いでした。普段はお会いする機会はほとんどありませんでしたが、兄が無くなってからは、メル友として時折やりとりをしておりました。
ふと思いました。毎日顔を合わせることのなかったお付き合いでしたので、葬儀が終わって帰ってきて義理の姉とのお付き合いは今までと変わっていない。本人は亡くなっていても、私の心の中の姉は生きている。自分の都合の良い時に元気にしているかな、こんな時は姉はどう言うかななどと思う私の中に生きている。そんな感じです。
私もそのうちにこの世を去ることになる。死というものはやはり怖い。でも誰もそれから逃れることは出来ません。眠ってしまい意識が全くない状況になるのが死せる本人の状態だと想像します。でも、本人ではないまだ生きている人の心の中にずっと生き続けるのでしょう。今まで死別した方は何人もおられますが、ふとした機会に思い出します。同級生ですでに亡くなった、K君。考えてみると、私の中では、生きています。普段は思い出すことはほとんど無いけれど、同級会などでは話題に出ます。同級会には出席していないけれど、私たちの間では生きていると同じです。
別れはありますが、私、家族、友人達が生きている間は、共に生きて行くのだなと考えると悲しみも少しは安らぎます。私が生きている間は、共に生きて行きます。また、私に死が来ても、多分、関係のある人たちの心の中でのまだ生き続けると思います。どれ位生きれるか分かりませんが・・・
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