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映画『東京家族』について

写経 31. 『暗黒日記 1942-1945』 (岩波文庫版) 清沢洌 (1890年2月8日-1945年5月21日) 

2013年08月18日 | 清沢洌 (きよさわきよし)

 新企画を思い付いた!(笑)







 この方が清沢洌である。にせ岩上安身ではない(笑)。

 清沢はひとことで言うと、真のリベラリストで、先の戦時下書き続けた日記が、この所謂『暗黒日記』だ。

 一例を挙げる。


 “1945(昭和20)年3月14日(水)

 重光外相が石橋(湛山)、小汀、正金〔横浜正金銀行〕の加納、柳井(?)の四人を招待し、戦争を何とかしてやめたいのだが、実業家の方面から何とかできないかと相談したそうだ。
 新しい蔵相津島は、全然話が分らないそうだ。米軍が押し寄せてくれば、これを撃退する自信が軍部にあるそうだからといって、和平論などはテンで考えようともしないそうだ。海において撃退し得ないのを、上陸の際、どうして破ることができるのか。仮にいちおうこれを破ったとしても、米国を最後的に打ち破ることが、どうして可能なのか。もし打ち破れなかったら、どうして戦争を終結させうるのか。こうした理屈は何人にも分っていねばならぬはずなのに、インテリに分らないというのはどういう訳だろうか。第一には、突きつめて考うることを好まないからであり、第二は、そういうことをいうと、禍の身に及ぶことを恐れるからである。”


 はっきりと状況が見えていて、それを冷徹に論理で突きつめて考えている。



 で、「企画」というのは、この日記から50本ぐらい英訳して英語力をつけて、今は壊れて動かない私のツイッターのページを直し、映画監督のマイケル・ムーア氏と英語で「会話」をしてみよう! というものだ。



 早速第1回目の英訳を始めようとしたが、問題が発生した。うまく訳せないのである(笑)。完璧な訳を10割とすると、今の私の力は2割ぐらいなのだ(笑)。そこで、これを5~6割ぐらいにしてから、『暗黒日記』の英訳を始め、50本こなすうちに、7~8割の力をつけて、ツイッターでの「会話」へ行こうと思う。
 あんまりのんびりもしていられないが、これも少しずつ進める予定である。
 

 



 


 
 

 

 





 

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