南直哉
ベスト新書
ハマるとは、趣味や食べ物などに夢中になって抜け出せなくなっている、という意味の俗語。穴などにぴったり入る、あてはまる、溝などに落ちるという意味の「嵌る、填る(はまる)」からきており、ぴったりサイズの穴に入ってしまって抜け出せない状況を表している。(『笑える国語辞典』より)
どうやら、みごとにハマってしまったようだ。
南直哉本にである。
最初に読んだ『善の根拠』が、わたしにとってはあまりに難物で、数ページ読んでうっちゃっておいてから約一年、わかりやすいもの、平易なもの、さほどエネルギーを使わなくても済むものへと流されがちだったわが読書生活に喝を入れるべく、Kindleのライブラリーから指名して引っ張り出し、やっとこさ読み終えると、すぐさまポチったのが『悟りは開けない』。主として「10分間読書」を中心にしてボチボチと読み進めているうちに、10分が15分になって、そうこうするうちに朝がまちどおしくなり・・・ということで今朝、晴れて読了。
そして確信した。
「ハマってしまった」と。
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私たちは、存在すること自体に最初から困難を抱えているーーー、仏教の話はここから始まります。(P.234)
切ない自己を引き受けて生きるーーー。これが仏教の話だ(同)
「自己」を引き受けた上で、今度は「他者に向かって、己を切り開く」(同)
大切なのは、他者と共に存在する場をつくり出すことです。それには、共に関わるべき「問題」を明らかに見ることです。(P.235)
およそこの世の「人間」の問題は、必ず自分以外の誰かにも関わるものなのです。そこに葛藤も矛盾もある。それをハッキリ認めた上で、「お互いさま」の話にするのです。(同)
誰が良い悪いの話を乗り越えて、問題そのものをどう扱うかに、お互い知恵を絞る。その「お互いさま」の場を見つけて実践するわけです。(同)
勇気と共に試行錯誤を繰り返しながら、その実践を続けること以外に、おそらく「相互理解」も「生きる意味」もリアルに現れない(同)
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およそ、それが書物にせよ芝居にせよ音楽表現にせよ映像表現にせよ、そもそもどのようなものに感応し、自らの腑に入れようと選択するかにおいて、その場の環境やそのときどきの心情が、そのリアクションを左右しないことなどはあり得ない。むしろ、それらに影響され潜在する意思によって「左右されてしまう」と断言したほうが表現としては適切だろう。
しかし、それが「ハマる」に至るかどうかとなると話はまたちがってくる。
そしてわたしは南直哉本に「ハマってしまった」。
『あとがき』によると、著者がこれまでに書いた本は「仏教用語をふんだんに使った理屈の多いもの」と「人によっては”お前のものとしては、読みやすいほう”と言ってくれるもの(”でも、難しい”)」とに分かれるようだ。そして、今回わたしが読んだ『「悟り」は開けない』は、「この両方を連絡させ」たものだという。
次はどちらへ行くか。
さて・・・
しばし考え迷ったあと、「ええいママよ」と前者を選んでみることにした。
ということでお次の番は、「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」。
さあ、ぼちぼちいってみようか。
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2018年に読んだ本のベストテンに入ります。
どっちにするか軽く悩んだんですが・・とりあえず「道元」には行っとかなけりゃならんだろうと。
自分も新年に南さんの「『正法眼蔵』を読む」を読んでみますね。
正月には無理です。素面じゃないとわたしは読めない。