病院食というと、「不味い」という連想が浮かぶ人は、さほどめずらしくはないのではないか。むしろ、大多数といっても差し支えないかもしれない。思うにその大きな要因となっているのは、その味の薄さゆえだろう。次に思い浮かぶのは、油脂分の少なさゆえか。ましてや、今回のぼくのように、二度の入院時の「胆石食」から三度目の「胆石術後食」に移行した人間ならなおさらだ。
家ではふだんから「塩分控えめ」を心がけ、揚げ物など脂っこい食事の摂取も、あきらかに他人より少ないと自認しているぼくでさえそうなのだから、健康な若者ならなおさら推して知るべしだ。
なぜそれがそうなるのか。そうでなければいけないのか。内蔵に負担がかからない食事を指向すればそうなっていると考えるのが妥当だろう。
身体にやさしいものを食うと不味い。もちろんそれはごく一面的な見方で、手間をかけ、それ相応の技を駆使すれば(既成の出し調味料を使えば手間をかけずともできるという「技」もある)、味が薄く油脂分が少なくても美味しい料理には成り得るが、一般的には、味が薄ければうまくないと感じる。これがふつうだろう。それは、如何に現代日本人が濃く刺激的な味に慣らされているかの証左でもある。
だがそれは、あくまで一般的な話であって、今回ぼくが3度の絶食後(2度目はなんと4日にも及んだ)に食べたものは、どれも旨いと感じた。さすがに飛び切りとまではいかないにしても、あきらかにうまかった。空腹に勝る美味なし、ということだろう。
そのときに思い出したことがある。
子どものころのぼくは、かなりの偏食だった。すべてにおいて厳しい親父が、そのことだけは叱りもせず何にも言わなかったのは、自身が極端な偏食家だったからにちがいない。そのしわ寄せがすべて行き、残飯整理係だと笑いながら残り物を食べてくれていたのがお袋だ。
長じて今のぼくは、まったくといってよいほど好き嫌いがない。いや、好きと嫌いはあるにはあるが、食べられないものはないといってよい。それが変化したのがいつだったかについては、たしかな記憶がある。学生時代だ。その原因は「飢えた」ことにある。
ここで両親の名誉のために言っておかなければならないが、「飢え」といっても本格的なそれではない。現に、倹しくさえしていれば十分に生きていくほどの仕送りはしてもらっていた。それなのに、毎月の仕送り数日前には、ほぼ絶食状態に追い込まれていたのは、他ならぬぼく自身の浪費のせいである。それは、アルバイトをし始めても同様だった。要するに、あればあるだけ使ってしまう(飲み代に)という癖が、わが身をそういう羽目に追い込む唯一無二の原因だったのである。
それはそれとして、その数年間で、ぼくの偏食がほぼなくなったのは思いがけない効果だった。それもまた「空腹に勝る美味なし」のあらわれだろう。最後に残った納豆が食えるようになったのは、それから数年経って知り合った女房殿のおかげだが、そのころにはすでに、「なんでも食えば食えるのだ」という確固たる信念が身についていた。偏食家転じて、ゲテモノ食いと言っても差し支えないように変化していたのだから、人というものはわからないものだ。
術後4日目の今朝。それまでの粥がフツーの白米になった。おかずは豆腐の煮物とほうれん草などのおひたし、それと味噌汁に、ヨーグルトがついている。うまかった。あーうまかった!と独りごちたいほどにうまかった。と同時に、この気持ちをいつまでも忘れないでいたいものだ、と思った。だが、喉元すぎれば熱さ忘れるだ。たぶん、一週間もすれば忘れるのだろう。
とはいえ、折にふれて思い出せばそれでよいのだ。
病院食、捨てたものでもない。
(要らんけどね)