【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 19 写真は土佐くろしお鉄道での移動中

2023-01-18 21:48:38 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(19日目・5月9日) 須崎市ホテルバンダガ~37番札所 岩本寺~39番札所 金
           福寺~民宿大声で『帰ってきたよ 足摺』と叫びたい気持
          ちに 
  5:30起床→6:20発→7:02土讃線 多の郷駅→7:57窪川駅→8:10 37番札所 岩本
寺:45→9:27土佐くろしお鉄道 窪川発→11;47高知西南バス→13:45足摺岬→昼
食→14:40 38番札所 金剛福寺15:20→15:50民宿泊
 終日雨、寒。36番青龍寺から37番岩本寺を経て、38番金剛福寺までの距離は約
140Km。次の39番延光寺までは更に53km。ここを歩き通すというのは修行の道場高
知県の中でも特別の『覚悟』を要する道だろう。また88ヵ所札所すべてを歩き遍路で
結願するというのは、私の今回の通し打ちとは、また次元の違った体力とメンタルと
資金の準備と『覚悟』が必要だと、1番札所霊山寺から四国の対角線、足摺岬まで遍
路を続けてきて、身に染みて実感している。札所のあちこちで『何日で回ったか、何
回回ったか、そんなことより何を得ることができたか』といった標語が張られている
が、負け惜しみでなくありがたく噛み締めている。
 自転車の時に岩本寺に入ったのは17:00ギリギリ前で、慌てて納経を頂いてまたひ
たすらアップダウンの海岸道を足摺目指して、だいぶ遅くなって飛び込みで“民宿 海
坊主”さんに泊めていただいた。しかも食事も出していただいた。翌日は四万十川河口
とか海辺の松林の道をひたすら自転車をこぎ続けた、そんなことを思い出しながら窪
川の町を歩き、岩本寺にお詣りした。あらためて境内を今回はゆっくりと見させて頂
いたけれど、在所の方たちの息遣いのようなものを感じる、町に溶け込んだ落ち着い
た寺でよかった。確か以前は善根宿があったように思うが見当たらない。しかし立派
な宿坊があり、歩き遍路さんにとっては補陀落への決死行のオアシスなのだろう。私
も当時が今だったら、時間に追われて自転車で夜間まで動き回らずに善根宿に泊まっ
て旅を続けていただろう。
(JR 多の郷駅の時刻表)
(ホテルより須崎市街の朝)
(岩本寺参道と山門)
(岩本寺本堂)
(窪川で、土佐くろしお鉄道のダイヤ表)
(土佐くろしお鉄道で移動)

 JR窪川駅で土佐くろしお鉄道に乗り換え、中村(現四万十市)駅へ。1時間以上待
って11:47の路線バスに乗り、土佐清水経由で13:45に足摺岬についた。路線バスの車
窓からの景色は私にとっては本当に懐かしく、つい最近見た景色のように蘇らせてく
れた。土佐清水では病院や養護老人施設、銀行など新しい建物は立っているけど、町
の活気はかえって静かになっている。土佐清水で自転車の時に泊まったのがホテル南
粋。まだあるようだがバスからは見えなかった。土佐清水市街から足摺岬へと向かう
地道を走り入り江にある中の浜(中浜万次郎の出生地)手前の山越えの道にある保育
所は廃園になっているようだけど建物はそのまま。在所の地道にはあちこちに遍路道
の札があり、20年前は自転車を押して登り山越えの道に出た。当時は阪神淡路大震災
の余韻も残り坂の上から見て本当に津波を心配したことや、魚や野菜の移動販売の車
が大音量で当時でも少し懐メロだった小林旭の『昔の名前で出ています』をがなり立
てながら走り回っていたこと、隣の大浜の集落も同じように入り江にありやはり山越
えの道に合流するのに押して上ったこと、等々がつい最近のように目の前に広がって
蘇ってきた。在所は、津波避難所があちこちにできて入るけど、それ以外は何も変わ
っていなかった。
(四万十川を少し遡って)
(やがて大浜の集落)
(足摺岬のレストハウスで昼食)

 在所を過ぎて、海沿いの崖の上の道をバスは走り、“黒潮最接近の
地”や亜熱帯の自然林のトンネルなど懐かしかった。『帰ってきたよ』と大声で叫び
たい気持ちになってきたけれど、心の中でつぶやいた。
 補陀落の寺金剛福寺にお詣りして、民宿に向った。終日の雨が寒い。暖を取る衣類
は何も無い。
(補陀落の寺 金剛福寺の山門)

(金剛福寺本堂)
(金剛福寺の千手観音)
(民宿へ行く途中の白水洞門)

 足摺の民宿の予約を入れる時に、最初に連絡した宿は、もう営業されて
なかったので、何軒かに連絡させていただいてやっと予約で来た民宿だった。ご夫妻
(と思っているが)で運営されておられる。まだお仕事でも現役世代の感じで、遍路
宿や民宿では比較的お若い経営者さん。マッサージチェアを置いたリラックス室や天
井の高さや、星見ベランダ(物干し場)やらセンス溢れる民宿で、雰囲気的にはハウ
ス風で大変快適。
 夕食の時に、年配の男性から
 「やあ、お久しぶりでお元気そうですね」
 と挨拶をされた。見ると、なんと焼山寺下の『ばあちゃんの旅館』でご一緒だった
方。雨中で転倒して、鍋岩からタクシーを呼んで(よく来てくれたものだ、と思って
いるが)ばあちゃんの宿に来られた方だった。私より年長で、あの時は仕事は現役か
最近まで現役だったかで、いずれにしてもそこそこのポジションで仕事をされている
のだろうという雰囲気だった。今、再会して随分と気さくでフレンドリーな感じで、
ここまでの道のりの経験を交流したりでひと時を過ごした。気さくにフレンドリーに
話せる仲間の雰囲気で、対角線で再会できたことはうれしかった。本日の宿泊客はそ
の方とあとご夫婦の自動車遍路さんと私の4名。部屋から星見ベランダに出てみた
が、雲は一向に晴れてくれない。
(民宿の夕食)
          (本日移動、約130km、 歩行、9,827歩、距離7.1km)

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1 コメント

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Unknown (スカイ よだ)
2022-08-18 07:15:23
お遍路、ご苦労様でした。
第二章が再開できるように、微力ですがサポートせさていただきます。
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