一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1056  金木犀次は婆さま立ち止まり   亜紀夫

2013年10月14日 | 

  金木犀は、静岡県の県花。面白いことに隣接している掛川市と袋井市が共に市の樹木に指定している。

  中国原産で江戸時代に渡来したというから割りと新しい。雄雌異株であるが、不思議なことに日本には雄株しかないという。だから花が咲いても実が生らない。

 銀木犀より、金木犀の方が香りが強いらしく、お酒やお茶に入れたり、芳香剤としても使われる。

 庭の道路側に金木犀を植えておけば、この句のように、散歩や買い物の人々が通るたびにきっと立ち止まるだろう。私のように写真を撮る人もいるだろう。

タイワンホトトギス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1055  振り向ける少年僧のさはやかに  和子

2013年10月13日 | 

  道元、親鸞、日蓮など現代に至るまで、多くの名僧は少年時代に出家、得度している。そして一流の指導者の下で修業して、超一流の僧侶になっていった。

 さてこの句、今どき日本に少年僧などいるだろうか。タイやインド、ネパールなど外国には、かなりの少年僧がいるから、外国のことかもしれない。いやいや、日本にも少なからずいるかもしれないし、いて欲しいと思う。

 但し、お釈迦さまは妻子を捨てて出家しているから、私達も遅いからといってまだ捨てたものではない。

イヌタデ(犬蓼) タデ科イヌタデ属の一年草(アカマンマ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1054  人去りにし穴に銀杏一つかな  佳子

2013年10月12日 | 

  「銀杏」は、「イチョウ」と読むと樹木全体を言い、「ギンナン」と読むとイチョウの実を言う。誤解を避けるため、できれば樹木の場合は公孫樹、実の場合は銀杏と書いてもらいたい。

 さて、この句「穴」と言っているが、「心の穴」のことであろう。その寂しさ、空虚さを一つの銀杏が埋めている。そこで気になるのが「穴の大きさ」。それは当然、作者のいる部屋そのものと考えて良いだろう。とすると、あのたった一つの小さなギンナンが巨大に見えてくるから不思議である。

キンモクセイ(金木犀) モクセイ科 モクセイ属の常緑小高木。ギンモクセイの変種

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1053  空腹の腹が出ている獺祭忌

2013年10月11日 | 

(くうふくの はらがでている だっさいき)

 獺祭忌は、正岡子規の忌日で、由来は、唐の詩人「李商隠」が、文章を作るのに多数の書物を座の周囲に置いて参照し、自ら「獺祭魚」と号したところから、詩文を作るとき、多くの参考書を周囲に広げておくこと。子規が李商隠に倣い獺祭書屋(だっさいしょおく)主人と号したから。

 「獺祭」とは、カワウソ(獺)が、自分のとった魚を並べることで、人が物を供えて先祖を祭るのに似ているところから言う。カワウソは、ラッコと近似種で、魚介類を食べる肉食で、泳ぎがうまい。ニホンカワウソは絶滅した。

 日本人の肥満度、メタボ率はこの十数年、次第に上がりつつある。全体的に女性より男性に肥満が多い。唯一、20代の女性に痩せ願望が強く、肥満が少ない。

 いづれにしても、日本人は「食べ過ぎ」であるが、特に問題なのは、ゴミとして捨てられている可食部分の食品が全体の40%もあるという。又、買ったままの状態で捨てられていたのは11%で、その6割が賞味期限の前に捨てられていたそうである。こんなことを続けていたら間違いなく近いうちに、私達にバチが当たることを覚悟せねばなるまい。

セイタカアワダチソウ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1052  やまんばとなりて芒の原をゆく   彌生

2013年10月09日 | 

  「やまんば」は、想像上の山奥に住む老女の妖怪。山婆、鬼婆、鬼女、山母、山姫、山女郎、などとも呼ばれるそうである。口減らしのために捨てられた姥捨てが基になって、山姥伝説が生まれたのではないか、とも言われている。

 旅人を喰らう恐ろしい妖怪であったり、山の神として多産や福をもたらす好ましい神であったりもして、民話や伝承は全国各地にあって事欠かないようである。

 さて、この句の作者はどんな山姥伝説に則って芒原をあるいているのであろうか。強風が吹いて、髪をざんざんばらに乱して歩いているように想像されるが、それ以上のことは、作者に聞かねばならないが、きっと楽しんでいるに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1051  藪からし昆虫博士は一年生   いづみ

2013年10月08日 | 

  日本の体操界が、金メダルで久し振りに活気づいている。総合優勝の内村君は当然として、亀山君のあん馬、高校生の白井君の床運動などである。オリンピックや世界選手権で金メダルを取れば、天才に入れてもいいだろうと思う。

 さて、子供を世界の超一流の天才に育てるには、いくつかの条件があるようだ。

①両親がその道に精通していて、一流に近いけれども超一流ではないこと。

②両親が、一流の指導方針を知っていること。

③幼少から一貫して楽しく訓練を受けていること。

ところが、世の中なかなかうまくいかない。「3才神童、10才天才、二十才過ぎれば、只の人」という諺があるくらい難しい。だから、この句の昆虫博士の1年生、日本のファーブルと言われるようになって欲しいのだが・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1050  同郷の薬売り来て衣被  となみ

2013年10月07日 | 

 子供の頃盛んだった富山の薬売りは、半年に1回くらい来て、減った分だけ料金を回収するシステムだった。、今でもやっているだろうか。

 最近は、私たちの町でも大きなスーパーのようなドラッグストアーが増えている。しかし、何と言っても3割負担で済む健康保険の薬があるから、富山の薬売りも大変ではないか、と想像する。いづれにしても私は、もう30年以上薬売りを知らない。

 さて、この句の作者は、「砺波」出身で俳号が「となみ」。茶色の皮をつるりと剥けば、真っ白な芋が出てくる衣被のように、同郷の薬売りが来ればお国訛りで話が弾むことだろう。

キダチチョウセンアサガオ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1049  まんじゅうの数だけお臍無月なり  敏子

2013年10月06日 | 

(まんじゅうの かずだけおへそ むげつなり)

   「三国志」に諸葛孔明が、川の氾濫を鎮めるために人身御供(ひとみごくう)に生きた人間の首を切り落として川に沈めるというそれまでの風習を止めて、小麦粉を練った皮に、羊や豚の肉を詰めて沢山の「万頭」を投げ込んだところ、川の氾濫が収まったという記述がある。従って、神をだまして本物の頭と信じ込ませることから、当時は「万頭」ではなく「瞞頭」と書いたそうである。

 だからこんなことを知ってしまうと、私達が「万頭」を食べるということは、人間の頭を食べていることにもなる。

 そこでこの句、作者は頭に臍があるというが、本来は臍ではなく旋毛(つむじ)が正しいのだろうが、勿論臍でも構わない。

  現在の中国では饅頭(マントウ)と呼ぶそうだが、日本では「中華饅頭」、「肉まん」・「餡まん」などがその流れで、「万十」「曼頭」などと書くこともあり、中に入れる具は様々。

カラスウリ(烏瓜)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1048  バーの椅子捨ててあるなり鰯雲  房枝

2013年10月05日 | 

 飲食店の浮き沈みは、いつの時代も激しい。ある夫婦が頑張って1千万近いお金を貯めて店を持ったのは良いが、特に東京などでは、相当流行っていても家賃が高いから続かない。若いうちは無茶苦茶働けるからは良いが、土台身体が持たない。だからいつの間にやら看板が変わっている。変わらないのは家主の左団扇(ひだりうちわ)だけ。

 陶芸だって同様で、いつつぶれるか分かったもんじゃない。先日も名古屋のお客さんが「やっていけるんですか」と心配してくれた。

「ここでもう30年やってますからねえ。うちはまあ、ぼちぼちですよ。美濃は瀬戸物の産地ですが、窯元や工場は随分と閉鎖しているようですね」

 そう言えば、江戸時代の「瀬戸物」と言えば、「焼き物」を指していたほど窯業が盛んだった。当時の九州唐津でも、一般家庭の焼き物は瀬戸物だった、という本当だか嘘だか分からない話がある。近くに唐津・鍋島・有田・伊万里など産地があるんだから不思議な話だが、庶民には安価な瀬戸物しか買えなかったんだろうか。

ウメバチソウ(梅鉢草)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1047  スカートは引き摺るほどや牛膝   実耶

2013年10月04日 | 

(スカートは ひきずるほどや いのこずち)

 女性がスカートを穿くこと自体、無防備だと思う。しかし、戦後ミニスカートが大流行した時、「本来女性は、危険を恐れず男を挑発することをこそ望んでいるのだ」と妙に納得したものだ。

 ところで、舞踏会のロングドレスならいざ知らず、西部劇の牧場で働く女性のロングドレスに違和感を感じるのは、私だけではないと思う。つまり、ロングドレスは、大邸宅、お金持ち、貴婦人、舞踏会、中世ヨーロッパなどとイメージが重なっても、農作業と合うはずがないからだ。

 さて、現代ではどうであろうか。この句の女性は都会生まれの都会育ち、高原の別荘にでもやってきて草原を散歩している。それは蚊や蚋に刺されなくて良いかもしれないが、一旦スカートの中に良からぬ虫が入り込んだら、きっと悲鳴を上げて走りまわることになるだろう・・・・などと心配するのは、下司の勘繰りだろうか。

 この句の作者だって、「都会のお嬢さん、そんなスカートで歩くもんじゃありませんよ」と苦言を呈しているんではないでしょうか。

まあ、イノコズチ程度の被害で済めば上等です。

シュウメイギク(秋明菊) キンポウゲ科

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1046  今日こそが終の蝉かと思いけり

2013年10月03日 | 

(きょうこそが ついのせみかと おもいけり)

  9月に入ると毎日、蝉が鳴いているのを確認してカレンダーに付けている。窓を開けて又は屋外に出て、種類を確認するだけのことなので、誰だって簡単にできる。

 今年の我が家における蝉の初鳴きは、ヒグラシで7月7日。鳴き納めは、つくつく法師で9月29日だった。期間は3カ月に1週間足りないくらい。同じ伊豆でも、平地ではもう少し長いだろう。

 「蝉にとっての夏が、人間にとっても本当の夏である」と言っても過言ではないように思う。

シラハギ(白萩)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1045  いのこづち親子も犬もまんべんに  良治

2013年10月02日 | 

  イノコヅチ(猪の子槌)は、茎の節の形が猪の膝に似ているから名付けられた(日本由来)。又、「牛膝」とも書くのは、中国由来だそうである。だから、例えばイヌノコヅチ(犬の子槌)だっていいかも知れなかった。

 「まんべんに(万編に)」と「まんべんなく」は意味は全く同じ。不思議だけれど、確かに私達は同じ意味で使っている。

 こうして今日も、知らないことだらけの私は無知を思い知らされた。だからこそ世の中、いつまでたっても面白いのだ。

コマツナギ(駒繋ぎ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1044  第205回 9月 岩戸句会 

2013年10月01日 | 岩戸句会
蛇の子の意地の顎して轢かれおり     薪

青空を半分掃けり箒雲

 

ビル群に羊の群れし残暑かな       炎火

青空に紅白の玉土埃り

                    

咲き満ちてつのる淋しさ秋桜        稱子

遠来の友と語らう夜長かな

 

仏壇に置く鬼灯と宝くじ           章子

さよならとおいでがまざる芒の穂 

 

秋の夜男も時に長電話           洋子

コスモスや惚けてはだめよまだ当分

 

切株は男の椅子ぞ赤トンボ         正太

収まりのつかぬ別れやとろろ汁

 

山門に群れて言祝ぐ曼珠沙華       豊春

夕靄や仲秋の月押し出しぬ

 

曼珠沙華ここは江戸城半蔵門       歩智

里山の化粧は薄き紅葉かな

 

爽やかに煙草の煙消へゆけり       遊石

 

コスモスの様に生きよと子に伝へ

 

にじり寄る不吉な空や野分前        鼓夢

八朔の午に微笑む古写真

 

秋日差し栗もうまいし水までも        空白

コスモスを観れば山口百恵かな 

 

雨雲の緞帳上がり望の月           雲水

秋桜ときどき撫でつ逢いに行く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする