世界の中の極々小さな断片

田舎暮らしの日常と地元を走るローカル線を短いエッセイと写真で綴る。
※ブログのタイトルが変わりました。

只見をめぐる

2017-09-17 16:08:02 | 日記


蕎麦畑を走る只見線(2423D)入広瀬











蕎麦畑を走る只見線(2423D)入広瀬












蕎麦畑を走る只見線(2423D)入広瀬












蕎麦の白い花が美しい 入広瀬











































秋の日差しに恵まれドライブの始まりです。






















只見川第八橋梁 会津塩沢駅~会津蒲生駅間











河合継之助記念館前 只見町











草が生茂る線路 河合継之助記念館前 只見町





















87番 塩沢踏切 只見町





















線路が見えないほどの草むらに。会津大塩駅











会津大塩駅のホーム































会津横田駅のホーム









































架橋を覆うつた植物





















会津越川駅

















































































流失した第六只見川橋梁 会津大塩駅~会津横田駅間











流失した第六只見川橋梁 奥は本名ダム。水害に際に放流したことも流された原因の一つとも言われている。











本名駅ホーム































流失した第五只見川橋梁 本名駅~会津川口駅間

















































































会津川口駅 只見方面





















会津川口駅 会津若松方面





















第三只見川橋梁。鉄道ファンの撮影スポットになっている。





















宮下ダム






















只見川に沿って走る只見線





















こちらでもカメラを構え待つカメラマン。









































小出から只見へ向かう只見線(2426D)入広瀬









































只見方面から薮神駅に入船する只見線(2427D)





















終点の小出駅に向け出発(2427D)



















台風が近づく秋の一日

ローカル鉄道の路線に沿ってクルマで短い旅にでかけた。

クルマを使ったのには理由が有る。

向かったのは2011年7月におきた新潟・福島での大雨での災害で

被害を受け途中区間がいまだ不通となっている現場だ。

となると、つぶさに見るためにはクルマが必要となるからだ。



ここには2014年11月の末にも訪れたが

あれからどう変わったかを確かめたかったのだ。

今回は新潟県側から252号線を走り

福島県の只見を抜け金山町までを予定していた。



現在、不通となっているのは

只見駅から会津蒲生、会津塩沢、会津大塩、会津横田、会津越川、本名の

5駅を含み会津川口までの27.6キロの区間である。

この路線は福島県の会津若松駅から

新潟県の小出駅までの総延長113.6キロのJR只見線。

寸断された主な災害地は奥会津の中心を縫って流れる只見川に架かる

只見川第五橋梁、第六橋梁、第七橋梁が流失したことが大きいが

不通となったまま維持管理のなされないまま放置されている

他の区間もこの状況が続けば、

荒廃した路線や様々な鉄道施設にも

影響が及びかねないのではと危惧する。



今回、廻った不通区間の駅や路線で目にした光景は

本当にここに鉄道が走っていたのかと思うような

線路を覆い尽くす草がはえ茂り、

錆びた線路と錆び付いた橋梁など

鉄道ファンならずとも、

その光景に刹那さを感じ得ない。

昨年の暮れに、やっと復旧の目処がたち

JR東と福島県が予算を出し合い

2020年を目処に完成させることが決まったようだが、

今回の旅で目にした印象では

流失した架橋の架け替えだけといった、

ことだけでは済まないことに気づいた。



この路線が走る奥会津の不通区間は

過疎化の進地域でもあり

そこに暮らす人々はみな高齢化しつつ有る。

彼らにとっても重要な足であることは確かであろうが

過疎という現実の中で

鉄道を使う乗客の減少という、もう一面の問題もあり

鉄道会社としての採算を考えると

巨額な資金をつかい復旧されることへの悩みを抱えて

第一歩を踏み出せずにいたのであろう。



しかし、福島県からの強い要望で

この沿線のシンボルとし

地域の繋がりをより密にしたいとの考えもあるようだ。



昔から、会津と新潟県の魚沼地域の文化的にも

人々の暮らしにおいてもその繋がりは深く

様々な交流は今も続いている。

そんな意味でも県を越えて繋ぐ役割は大きい。



復旧に向け問題を抱えてはいるが

人と人との繋がりで問題を解決し

一日でも早い復旧を願いたい。

滔々と流れる只見川の美しい流れに

自然は時に荒々しく我ら人間に襲いくるが

それをまた、受け止め立ち上がり進むのも

また人間なのである。



旅のスタートは蕎麦の白い花が咲く

入広瀬から始まり。

奥会津を巡り福島県側の営業区間を少し廻ってみた。

只見川の流域には美しい景観と鉄道が織りなす

見事な風景が広がっていた。

しかし、残念なことに日に数本の少ない運行との

時間の都合で福島側の車両には会えずに終わりました。



いつの日か全線をこの鉄道で旅することを夢見て

この旅を終える。












Posted by I.Tachi at September 17, 2017
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 見られていた・・・ | トップ | 嵐のあと »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事