小泉首相の「郵政民営化」は、学校教育を「勤倹貯蓄型」から「投資型」に切り換えるのが先決だ

2005年09月03日 01時38分33秒 | 政治
 小泉首相が意地になって実現しようとしている「郵政民営化」に重大な「落とし穴」がある。それは、文部科学省の「怠慢」により国民の多くが、ドツボにはまるように落ち込んでしまうブラックホールでもある。
 橋本龍太郎首相がクリントン大統領の圧力を受けて、日本版の「金融のビッグバン」断行を決め、小渕恵三首相が平成10年4月1日からこれを実行し始めた。これに伴い、旧大蔵省は、約500万部とも言われるパンフレットを配布して、国民に貯蓄から投資への頭の切り換えとともに株式や投資信託、外貨預金など金融商品への積極的な個人資産運用を呼びかけた。
 旧大蔵省は、預金と生命保険合わせての「貯蓄型」がいかにも悪いと言わんばかりの言い方でたしなめる一方、「アメリカ人はバランスよく資産運用している」と誉めちぎっていた。早い話が、「預金を下ろして投資しなさい」と言い、日本民族を「貯蓄型」から「投資型」に変えようとしたのである。
 だが、明治以降、学校教育において、二宮金次郎が薪を背負って「大学」を読みながら歩いている姿の銅像を全国津々浦々の小学校に建立させて、「勤倹貯蓄思想」を普及し、大東亜戦争に当たっては戦費調達を目的に「郵便貯金」を呼びかけ、戦後も、貯蓄を奨励してきた。にもかかわらず、旧大蔵省は、丸で手のひらを返すが如く、今度は「勤倹貯蓄思想」を改めて、「投資思想」に切り換えさせようとしたのである。
 ところが、あくまで男性に与えられた禁止規定であるが、日本の社会では、「酒とバクチと女に手を出すな」という言葉が、一種の倫理思想として国民の間に流布し、「酒とバクチと女」を身を滅ぼす「3悪」とまで言われてきた。バクチのなかには、「株式」も含まれ、「株には手を出すな」という言い方もされてきた。
 国民を「勤倹貯蓄型」からバクチ性の高い「投資型」に切り換えさせようと思うなら、何をさておいても、「酒と女」はともかく、「バクチ」には手を出してもよいというように教育し直さねばならない。株も投資信託も外貨預金も、米も大豆も野菜も魚も、金も銀も白金も、石油も天然ガスも、みんな価格はいつも上がり下がりしている。「上がる」のを「丁」、「下がる」のを「半」とすれば、私たちは、「丁半博打」の世界に生きている。この世界を上手に渡り、うまく儲けようと思うならば、やはり「バクチ感覚」を日頃から磨き上げておかなくてはならない。
 それが、どうだろう。家庭でも学校でも、「バクチ」を禁止しているのである。しかも、成人してまで「株には手を出すな」と言われ続けている。
 これでは、バクチに慣れているアングロ・サクソンやユダヤ民族に太刀打ちできるわけがない。旧大蔵省が盛んに「勤倹貯蓄型」から「投資型」ら切り換えさせようと努力しているのに、文部科学省は、これを一切無視し続けてきた。
 そのくせ、小泉首相は、国民の大切な個人資産である預貯金「340兆円」を株式市場など資本市場に解放させようとしているのである。投資に慣れ、賭事に慣れているアングロ・サクソンやユダヤ民族から見れば、日本国民は、か弱いウサギのようなもので、赤子の手をひねるかのように、「340兆円」を食い散らかしてしまうに違いない。
 日本版金融のビッグ・バンが始まって、7年になるけれど、文部科学省は、経済のグローバル化に対して、一体、何をしてきたのかと言えば、全くピント外れも甚だしい間抜けな「ゆとり教育」であった。英国などは、数年前に「ゆとり教育」の欠陥に気づき、学力低下を深く反省し「詰め込み教育」に切り換えている。日本は、1周も2周も遅れて、「ゆとり教育」を導入し、その失敗に気づき、慌てて元の「詰め込み教育」に戻そうとしている。
 本当に求められたのは、株や投資信託、外貨預金、あるいは先物取引といった金融商品や金融市場についての知識を学び、具体的な投資方法を含めて、グローバル化とした資本市場にどう適応するかの実践的な教育であった。   
 小泉首相が、盛んに「郵政民営化」を提唱し、何とか法案を成立させようとがんばっているのに、文部科学省は、「我関せず」の態度を変えようとしていない。つまり、日本の教育は、時代遅れになっているにもかかわらず、これに全く対応しようとしていないのである。歴代文相、文部科学相の「怠慢」は、責められてしかるべきである。
 日本版金融のビッグバンが始まった平成10年4月1日以降の歴代の文相、文部科学相は、以下の通りである。
 〔文相〕                          町村信孝(平成9年9月11日~平成10年7月30日)
 有馬朗人(平成10年7月30日~平成11年10月5日)
 中曽根弘文(平成11年10月5日~平成12年7月4日)
 大島理森(平成12年7月4日~平成12年12月5日)
 町村信孝(平成12年12月5日~平成13年1月5日)
  〔文部科学相〕
 町村信孝(平成13年1月5日~平成13年4月26日)
 遠山敦子(平成13年4月26日~平成15年9月22日)
 河村建夫(平成15年9月22日~平成16年9月27日)
 中山成あきら(平成16年9月27日~)

 小泉首相自身は、このことに果して気づいているのであろうか。トビ職であり、バクチ打ちでもあった祖父・小泉又次郎元逓信相に可愛がられ、花札とサイコロで遊んでもらった小泉首相には、バクチは習い性になってはいても、普通の堅気の家庭に育った大半の国民にとっては、バクチは、あくまでも素人である。340兆円を解放するからには、その大前提として、国民にバクチを教授、伝授して欲しいものである。これは、小泉首相への要望である
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「北朝鮮による日本人拉致被害者の救出」を訴えない候補者は、国事に携わる資格がない

2005年09月02日 12時54分24秒 | 政治
 横田夫妻が、拉致問題に熱心な候補者の応援にでかけ、全国を駆けめぐっている。
 だが、全体的にみて、「拉致問題」を訴えている候補者が、前回総選挙と比べて、めっきり減っている。
 街頭で配布されるパンフレットやチラシにじっくり目を通してはっきりと気づくのは、どの政党のパンフレットやチラシにも「北朝鮮による日本人拉致被害者の救出」という文字が見当たらないということである。
 前回の総選挙では、たとえば、安倍晋三幹事長(当時)が、JR吉祥寺駅前で、鳩山邦夫元文相の応援演説をしているのを聞いていると、大部分を「拉致問題」について訴えていた。この選挙区は、民主党の菅直人代表(当時)が立っており、鳩山元文相は、自民党が送り込んだいわゆる「刺客」だった。安倍幹事長は、菅代表を盛んに非難していた。
 今回は、「拉致被害者の救出」や「北朝鮮に対する経済制裁」について、訴える候補者は、極めて少ない。小泉首相の口から飛び出てくる言葉のほとんどが、「郵政民営化」であり、拉致の「ら」の字も出てこない。もうすっかり忘れてしまっているのかと疑われるほどである。これでは、拉致被害者が、ガッカリし、絶望的になるのは、当たり前である。
 「郵政民営化」も大事である。「年金」も大事である。だが、国事にかかわろうとしている候補者に「拉致問題」を忘れてもらっては困るのである。
 国土・国家を外敵から守り、国民の生命・身体・財産を守るために一身を投げ出し、命を賭けて政治を行うのが、政治家であることは、改めて言うまでもない。とくに国政の枢機に携わる国会議員(衆参両院議員)は、それだけの覚悟を持って国事に奔走する必要がある。あってはならないことではあるが、凶刃、凶弾に倒れる危険にも晒されている。
 総選挙の最中、多数の候補者の個々の政治哲学や政治思想、具体的な政策を点検してみると、「国土・国家を外敵から守り、国民の生命・身体・財産を守る」という肝心なところが、腑抜けている感が強い。絶叫の裏で、自分が当選したいだけの「私的な欲望」のみが、剥き出しになっている。
 国会議員は、地方議員と違って、「外交」「国防」「資源エネルギー」「食糧の安全」「教育」「環境」といった国家の基本にかかわる政策について特段の力を発揮して貰わねば困る。「拉致問題」は、言うまでもなく、「国防問題」である。我が国土に不法侵入(領土侵犯罪)して、日本国民を拉致(監禁罪)して、北朝鮮に連れて行き(誘拐)、長期間拘束し、なかには、殺された人もいる(殺人罪)かも知れないのである。しかも、この状態が続いているのであるから、「犯罪」は、現在も進行中(継続犯)である。
 候補者は、何をさておいても、拉致問題に対しての見解、救出の方法、見通しを国民・有権者に語らねばならない。
 この拉致問題をネグレクトして、「国防政策」を語ることはできないのである。「歯の浮くような口先だけの政策」をタラタラと並べられても、肝心要のところがいい加減では、信用できない。国会議員たる資格の有無は、この点にリトマス紙を当てるだけでも、かなりはっきりする。
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