日本人が囚われた「仕事は苦痛を伴うからこそ意味がある」というヤバい価値観
誰も見ない書類の作成、不要な仕事を生み出す上司、嘘に嘘を重ねた広告、価値がないとわかっている商品を広める広報……世界中でこうした「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」が増えています。
12/15/2021
クソどうでもいい仕事」という病 また、クソどうでもいい仕事とわかっていても、やめられず、苦しみ続ける人々が多くいるのです。さらには、クソどうでもいい仕事は高給である一方で、社会的価値の高い仕事ほど報酬が低いということもわかっています。
そうした世界的現象の「謎」をひもといたのが、大阪府立大学教授の酒井隆史さんによる『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』です。
以前、酒井さんは週刊現代の取材のこのように答えています。
---------- 日本では、労働は苦痛を伴うからこそ意味がある、という倒錯したモラルが特に根強い。たとえ無意味であってもその苦痛に耐えてこそ、道徳心や倫理観が養われるという考えがある。 こうした考えは人間としての可能性を狭めていると言えます。長時間労働と無駄な仕事により、悩まなくてもいいことに悩んでいる。 もっと人々がやりたいことを突き詰められれば、本来はより文化的に豊かな生活を送り、人間社会の可能性も広がっていくはず。しかし残念ながら、そうなっていないのが現状です。(『週刊現代』2021年3月13日号)
---------- 労働は苦痛を伴うからこそ意味がある、無意味であってもその苦痛に耐えてこそ、道徳心や倫理観が養われるという考え方は、なぜ定着してしまったのでしょうか?
---------- 50年ぐらい前(1960年代)には、ほとんど働かないですむような世界を多くの人たちがもとめはじめた時代がありました。そして経済学者の予想した通り、客観的にも、可能性としては、その実現は遠いものではなくなっていました。 ところが、世界を支配している人々からすると、それが実現するということは、人々が、じぶんたちの手を逃れ、勝手気ままに世界をつくりはじめることにほかなりません。そうすると、じぶんたちは支配する力も富も失ってしまうことになります。 そこでかれらは、あの手この手を考えます。 そのなかのひとつが、人々のなかに長いあいだ根づいている仕事についての考え方を活用し、あたらしい装いで流布させることでした。
その考え方とは、仕事はそれだけで尊い、人間は放っておくとなるべく楽してたくさんのものをえようとするろくでもない気質をもっている、だから額に汗して仕事をすることによって人間は一人前の人間に仕立て上げられるのだ、と、こういったものです。 こういった考えを強化させつつ、二度と仕事から解放されようとか、自由に使える時間が増やそうとか、人生のほとんどの時間を生きるためにだれかに従属してすごさなくてすむとか、考えないよう、支配層にある人たちは、その富の増大分をほとんどわがものにし、仕事をつくってそれに人を縛ったうえでばらまくのです。
こうすると、なにかおかしいな、とおもっていても、でも仕事をするということはそれだけで大切だ、むなしかったり苦痛だったりするけれども、だからこそむしろ価値がある、というふうに、人は考えてしまいます。なにかこの世界はおかしいけれども、それがおかしいと考えることがおかしいんじゃないか、と多くの人が疑念を打ち消すことによって、この砂上楼閣のような世界はかろうじて成り立っているのです。(『ブルシット・ジョブの謎』より)
---------- では、理想の働き方、普遍的な仕事の仕方というのは、どういうものでしょうか?
---------- 実は、労働するとは、だれかがじぶんの時間を買ったことだ、だから、その時間内は労働をしなければならない――たとえすることがなくても――という発想は、けっして普遍的なものではありません。それどころか人類の歴史のなかでは、きわめてマイナーな、しかもごく最近生まれた「常識」であり、慣習でしかありません。 それでは、より普遍的な仕事のあり方はどのようなものか。それは「周期的激発性」といわれるようなものです。 つまり、仕事にふさわしいとき、それが必要なときに集中的に仕事をして、それ以外は、ぶらぶらしているとか、好きなことをしているとか、寝ているといったありようです。(『ブルシット・ジョブの謎』より)
---------- 要するに、狩猟採集民や農民、職人、作家などは、繁忙期に集中的に働き、そうでないときには休息をとったり繁忙期に向けた道具の手入れやこまごまとした準備をしたりして過ごすというものです。
後編「手書き文書、無能上司のケア、FAX注文、朝礼、印鑑…日本でも『仕事のための仕事』がこんなにあった!」では、日本の「クソどうでもいい仕事」の具体的事例を取り上げていきます。