八事交差点をほぼ南に、天道バス停まで坂道を下る。
幼稚園が併設された、当然町名の原点であるはずの「天道山ー高照寺」がある、臨済宗の寺で享保9年(1724年)天道山高照寺と改め、寛保元年(1741年)愛智郡八事邑の現在地に、とある。
大きな松の木を擁した、境内に本堂があり陶製の象が縁下に配され、横には弘法堂を並べた広がった空間の寺であった。
八事交差点をほぼ南に、天道バス停まで坂道を下る。
幼稚園が併設された、当然町名の原点であるはずの「天道山ー高照寺」がある、臨済宗の寺で享保9年(1724年)天道山高照寺と改め、寛保元年(1741年)愛智郡八事邑の現在地に、とある。
大きな松の木を擁した、境内に本堂があり陶製の象が縁下に配され、横には弘法堂を並べた広がった空間の寺であった。
今回は天白区をあるきます。
八事交差点を東に望んで、国道153号線の右手の細い上り坂が「八事旧道」があります、そして此処八事は坂の街でした。
塩付街道に残る、馬頭観音です。名古屋市博物館の東南の裏道にあります、道中の安全を祈り「中馬」的交通時代の特色で,賃馬、中継場が語源だそうです。
大正初年から10数年かけて築造された山荘です、伊東信一氏の遺贈との事、昭和11年より名古屋市の所有。
茅葺門をはいると、丁寧に造られた庭に玄関があり、脇にある門をくぐると茶室と前庭にでる。
山崎川に向かった傾斜ちに自然林を配した庭園を含んだ、幽玄な雰囲気の山荘である。
江戸初期、塩浜(現在の南区役所辺りから南西に広がる海岸)から取れた「塩」を運んだ道、途中「飯田街道」や「山口街道」ー出来町通りか?
を経由して、信州、美濃への「道」であったその名残のある一本松の風景です。