社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

9月11日(水)

2013年09月12日 23時17分11秒 | 2013年

  7時起床。最近、鼻の粘膜が弱っていて、鼻血が出やすくなっている。今日も、起きて何となく鼻がむずむずすると思ったら、案の定出ていた。かれこれもう1ヶ月近く症状が続いているのだが、病院に行ったほうがいいのだろうか。

  午前中は会議。とある事業の実施について話し合いを行ったのだが、何となくピンと来ない感じがして、おそらく他のメンバーもそうだったのだろう、全体的にふわふわとした空気に包まれていた。この違和感をうまく表現できればいいのだが、それが出来なかったために私自身は終始ムズムズとしていた。

  昼食は、いつもの中華料理屋のニラレバ定食。相変わらず、ここのニラレバの美味しさは安定感がある。

  午後は、来客応対と事務処理。集中して取り組むことが出来たので、想定より事務処理が進んで気が楽になった。やはり、やりたくない作業はさっさと終わらせたほうが精神衛生上良い。

  ほぼ定時で退社し、18時半前に帰宅。夕食は、昨日と同じ材料を、今度はトンテキソース(ガーリック風味)で炒めてみた。すると、素材は同じなのに味が全く変わって、新鮮だった。

  デザートは、女満別空港で買ってきたお土産の夕張メロンゼリー。彼女と食べるはずだったものなのだが、先に手を付けてしまった。ごめんなさい。でも、美味しい。


9月10日(火)

2013年09月12日 22時12分48秒 | 2013年

  7時起床。連休明けというのは、リフレッシュしたことによる明るい気持ちと、久しぶりの出勤に対する強化されたサザエさん症候群の入り混じった、複雑な気持ちになる。

  今日は、月に一度の丹沢山登りデー。普段は山に登って自然と触れ合えるのを楽しみにして行くのだが、ここ数日間北海道の自然を満喫したばかりなので、今日はあまり新鮮さを感じることが出来なかった。まあ、仕事だからそんな文句を言ってはいられないのだが。

  昼食は、海老名にある居酒屋「おーるすたぁず」の豚タン塩焼き定食。500円という安価な値段設定にも関わらず、味も量も満足のいくタンが出て来た。これだけのものをこの値段で出すというのは、実は結構な企業努力の結果なのではないだろうか。

  一旦オフィスに戻ったものの、すぐに新横浜へ出張に出て、事業の打ち合わせ。打ち合わせの後、私が尊敬している若手の経営者さんと2人でゆっくりと話をすることができ、今後の事業構想や新しい取り組みなど、面白い話をたくさんお聞きした。この方は親から事業を引き継いだというわけではなく、自分で起業されているので、経営者としての心構えや覚悟といったものが確固としてあり、非常に魅力的である。今回は、新しい事業について微力ながらお手伝いが出来そうなので、少しでもお役に立てるよう頑張ろうと思う。

  19時半過ぎに帰宅。夕食は、生姜焼き風肉野菜炒め。生姜焼きのタレを使って豚肉と野菜(人参、カボチャ、ピーマン、ナス)を炒めたら、かなり美味しい肉野菜炒めが出来た。特に、ナスがタレをよく吸収していて美味しい。また、食後には、山形県産の幸水を食べた。これからは梨の季節だ。万歳。


9月9日(月)

2013年09月12日 21時50分55秒 | 2013年

  6時起床。起きてすぐ、温泉へ。朝になってお風呂の場所が入れ替わり、今度は1階の湖畔の露天風呂を楽しむことが出来た。目の前に阿寒湖が広がっていて、風も気持ちよく、ついつい長湯してしまった。

  朝食は、バイキング。料理そのものは特筆すべきものもなかったが、窓際の席に座ってゆっくり食べる朝食は、何とも優雅な時間だった。また、地元の農家で搾られた牛乳が美味しくて、2本も飲んでしまう。

  8時前に宿をチェックアウトし、昨日の「寿し忠」の大将からおすすめされたオンネトーへ。時間や場所によって湖面の色が変化するらしく、実際エメラルドグリーンの場所やコバルトブルーの場所があった。また、朝早い時間だったこともあって他の観光客も少なく、澄んだ湖の空気をゆっくりと全身で感じることが出来た。

  オンネトーのすぐ近くにある雌阿寒温泉もおすすめされていたのだが、時間が早過ぎて日帰り入浴の受付が始まっておらず、残念ながら入ることは出来なかった。残念だが、次来る時の楽しみにとっておこう。

  温泉の代わりといっては何だが、オンネトーから阿寒湖方面へ戻る途中の道で「白藤の滝」という看板を見つけたので、立ち寄ってみる。ここは滝のすぐ近くまで車で行けるので、熊越の滝のように熊への恐怖に恐れおののく必要もない。ただ、昨日の雨の影響で水が濁っており、あまり綺麗とは言えなかった。


滝の周辺は、こんな大きな葉っぱの植物がたくさんある。

  網走へ戻る道中で、相生鉄道公園という場所を見つけ、立ち寄ってみる。国鉄時代に走っていた相生線という路線(1985年に廃止)の終点、北見相生駅を公園として、当時の線路や車両がそのまま残されていた。駅舎のほうは、バスの待合室に使われているらしい。また、一部の客車はバイクライダー向けの簡易宿泊施設としても使われている(いた?)ようだ。こういう鉄道の歴史がきちんと残されているというのは、鉄道マニアとしては非常に嬉しいことである。


当時の雪掻き用車両。


当時の運賃表。


当時の時刻表。


当時の様子が再現されている。


今は、バスの待合室になっている。


この車両が、ライダーの宿泊施設。

  公園に隣接する道の駅に立ち寄り、何となく目についたキャンディを買ってみたら、キャンディというよりはサクサクした砂糖菓子で、とても美味しかった。食感としては、ラムネやボーロのような感じである。この飴、関東圏でも売ってないだろうか。

  かれこれ1時間半近く車の運転し、網走の少し手前、大空町へ入る。女満別空港があることからこういう名前になっているのかもしれないが、実際にこの町で眺める大空は美しい。大空町の名にふさわしい景色である。

  網走市に入り、博物館網走監獄へ。旧網走刑務所の建築物を移築して作った博物館で、当時の囚人たちの生活ぶりを感じることが出来た。今の刑務所とは違い、当時は囚人たちに「もう二度とここへは戻ってきたくない」と思わせ再犯を防ぐというスタンスだったそうで、ここではかなり厳しい服役生活を強いられたらしい。一方で、辺境の地にあるため、面会者がわざわざやってきた場合には、充実した面会が実現するよう最大限の配慮がなされたそうだ。また、見学してひとつだけ腑に落ちなかったことがある。囚人たちは、普段は複数人でひとつの房に入っているのだが、それとは別に懲罰房というのがあって、そこだと個人で過ごせる。懲罰中は役務も房内での内職的なものだったらしく、それだけ考えると、懲罰房のほうが居心地が良さそうだなと思ってしまった。ただ、一方でそれとはまた別に更なる懲罰用の房もあり、そこだと1週間暗闇で過ごし、なおかつ食事は重湯だけという非人道的な扱いを受けたそうだ。まあ、何はともあれ、思った以上に興味深い施設だった。


裁判の様子も再現されている。


日帰りでは帰れない役務の時は、こんなところで寝泊まりした。
これが、その後のタコ部屋の原型と言われている。


トイレも随分開放的。


面会の様子。


監獄は、パノプティコン的な監視システムになっている。


これが普通の監房。


これが懲罰時に入る独房。


室内作業がある(左)にしても、こっちのほうが快適じゃない?


昭和の脱獄王・白鳥由栄が入っていた房。


本当にこうやって脱獄したのだろうか。


この鉄格子に毎日味噌汁を吹きかけ、錆びさせて外して脱獄したらしい。すごい執念。


お風呂も、集団で規則的に入っていたらしい。


入浴、体を洗う、入浴という一方通行の入浴方式。


こんな感じで監視されながら入っていても、囚人にとっては至福の時間だったらしい。


こっちの懲罰房は、さすがに辛そうだ。


仕舞いには、1週間一切光の差さない牢に入れられる。

  昼食は、隣接する「監獄食堂」の監獄食。どんな質素な料理が出てくるのかと思いきや、ホッケは美味しし、麦飯も煮物もちゃんとした味だった。確かに質素といえば質素だが、刑務所で出てくる料理としては予想よりはるかに良いものだと感じた。

  女満別空港へ戻る途中、網走湖に立ち寄る。湖畔をふらふらと散歩していたら、カヌー乗り場のおじさんが、「サケが来てるよ!」と教えてくれた。このあたりでサケの稚魚を放流しているらしく、大人になると戻ってくるのだそうだ。サケたちは我先にと上流を目指して泳ぎ回っていたが、その先のルートを見る限り、本当にここから先へ進めるのかどうかは疑わしい。まあ、時間によって水位が変わるのであれば、進めるかもしれない。


本当に、この先へ進めるのだろうか。

  レンタカーを返却し、女満別空港へ戻る。女満別15:00発のJAL1188便に乗り、羽田へ戻る。帰りも、ほとんどの時間を寝て過ごした。


白い恋人のチョコレートドリンク。笑っちゃうほど甘ったるい。


帰りは奮発して、クラスJに乗った。

  18時過ぎに帰宅。今回の旅行は、いつにも増して盛りだくさんだった。それと同時に、今後の自分の生活について、時間を掛けてゆっくりと考えることが出来た。まあ、ちょっと大袈裟だけど。