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先住民か渡来人か? 「ケネウィック人」のルーツ論争が遂に決着!?=アメリカ

2015-07-15 | 先住民族関連
BIGLOBEニュース-tocana7月14日(火)20時15分
※画像は「Indian Country」の記事より
1996年に米・ワシントン州ケネウィックのコロンビア川湖畔で偶然発見され謎の人骨——。「ケネウィック人」と名づけられたこの骨の生前の姿はインディアンの祖先なのか、あるいは別の場所からやってきた渡来人なのか、長く続いていた論争に一応の決着がつけられようとしている。
■DNA分析「ケネウィック人はネイティブアメリカンの祖先である」
 デンマーク・コペンハーゲン大学の古生物学者、エスケ・ウィラースレフ氏が主導する研究チームが6月18日の「Nature」オンライン版で発表した論文は、「骨の遺伝子を分析した結果、ケネウィック人はネイティブアメリカンの祖先である」と結論づけた。ネイティブアメリカンの中でも特にコルビル族(Colville tribe)ときわめて近い関係があり、ケネウィック人が直接の祖先であると考えられるということだ。
 アメリカで発見された9000年前の骨がネィティブアメリカンの祖先のものだった——。特に疑問もないことのように感じられるニュースだが、なぜこんなにも大きく報じられているのか......。そこには発見当初から巻き起こった激しい論争があったのだ。
 発見当初の「ケネウィック人」はせいぜい数百年前のアメリカ人の遺体と思われていた。頭蓋骨の形や高い鼻から白人のものだと見なされていたのである。
 しかし炭素年代測定を行なってみると9000年ほど前の古代人の骨ということが明らかになり、学者たちの注目を集めることになった。そこには、ケネウィック人がネイティブアメリカンよりも先にアメリカ大陸にいた"正真正銘の先住民"であるかもしれないという期待が無かったと言えば嘘になるだろう。
 しかしネイティブアメリカンの団体は、このケネウィック人は当然我々の祖先であると主張。開拓時代以前の遺体はネイティブアメリカンに帰属するため、その伝統に従ってこのケネウィック人は再び手厚く埋葬されなければならないというのが彼らの言い分だ。
 しかし、スミソニアン研究所のダグラス・アウズリー氏をはじめとする科学者たちはさらなる調査分析が必要であるとして、ケネウィック人の骨を研究継続のために保管すべきであると反論。これが最終的には法廷闘争に持ち込まれ、2002年に裁判所は、「ネイティブアメリカンの祖先がケネウィック人であるとは判断できない」として、科学者たちの言い分に軍配をあげることになる。上訴の末に2004年に再び同じ判決が下され法律上の決着を迎える。
 以来、長らくケネウィック人の骨は謎のまま学術資料として保管されることになったが、事が動いたのは昨年のことだった。今回の論文を発表したコペンハーゲン大学の研究チームが、ケネウィック人の骨のDNA調査に乗り出したのだ。そして昨年の段階で「ケネウィック人はネイティブアメリカンの先祖であることが濃厚である」という見解を発表している。この発表により、ネイティブアメリカンの団体、特にワシントン州に居留地のある「コルビル族保護部族連合(Confederated Tribes of the Colville Reservation)」が再びケネウィック人の骨の返還要求を検討しはじめたのだ。
■ケネウィック人と一番近縁なのはやはりネイティブアメリカン
 しかしこれにはダグラス・アウズリー氏も黙ってはいなかった。
「彼のデータは挙証にならない」としながら、ケネウィック人とネイティブアメリカンにとても近しい関係があるとするならば、他の古代人のDNAとも比較すべきだと研究の信憑性に疑問を投げかけている。そして仲間の研究者らと出版した共著『Kennewick Man: The Scientific Investigation of an Ancient American Skeleton』で、ケネウィック人は日本のアイヌ人およびポリネシア人と深い関係があると結論づけた。
 しかし今回のコペンハーゲン大学研究チームの論文では、ケネウィック人のアイヌ人およびポリネシア人との遺伝的関係性を否定している。
「(ネイティブアメリカンの人々のDNAのほかに)我々は特にポリネシア人、アイヌ人、ヨーロッパ人のDNAを入念に調べましたが、やはりケネウィック人と一番近縁だったのがネイティブアメリカンでした」と論文主筆のモータン・ラスムッセン氏は「Washington Post」の記事で言及している。頭蓋骨の形が白人種に似ているのはどうしてなのか? という疑問に対しては"単なる個体差"であるとラムッセン氏は説明している。
 2004年に判決が下りいったんは決着を見たはずの"ケネウィック人論争"はまたこうして再燃することになった。今後、ネイティブアメリカン団体が再びケネウィック人の骨の返還を求めて訴えを起こすかどうかに注目が集まる。
■ケネウィック人の骨が弔われる日は来るのか...
 実は近年、アメリカのネイティブアメリカンの団体と各地の博物館との関係は何かと物議を醸すものになっているという背景がある。
 1990年に米国で「先住民人骨遺物の返還」を定める「アメリカ先住民埋葬地保全返還法(Native American Graves Protection and Repatriation Act、NAGPRA)」が制定され、先住民族の遺跡などの発掘で収集された文化遺産を当該の先住民部族に返還する法律が制定され、特に先祖の"遺骨"は再び埋葬して供養しなければならないという部族の主張が受け入れられるようになった。しかし1994年にはハワイの「ビショップ博物館」の保管庫からハワイアンの人骨標本が謎の消失を遂げるなど、博物館と特定の先住民コミュニティとの間に秘密裏に取引が行なわれていた疑惑も浮上。その土地に根ざす先住民文化や貴重な歴史的・文化的史料を保存したい博物館側と、一刻も早く先祖の霊を弔いたい先住部族の側に様々な軋轢を生み出すことになった。2000年には古代ハワイアンの遺物を収集した「フォーブス・コレクション」をめぐって激しい返還闘争も起った。
 アメリカばかりではない。2012年にはフランス・パリの歴史自然博物館で展示されていたマオリ族のミイラの頭部20体がニュージーランドに返却されたり、イギリス・ロンドンの自然史博物館はこれまで展示していたオーストラリアの先住民・アボリジニの人骨をオーストラリアに返還することをこの3月に発表している。
"ケネウィック人"と名づけられたこの遺骨もいずれ弔われる日がやって来るのだろうか。アメリカの人類学、歴史学を揺るがしたケネウィック人の先行きが気になるところだ。
(文=仲田しんじ)
※画像は「Indian Country」の記事より
http://news.biglobe.ne.jp/trend/0714/toc_150714_8135142771.html

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白老町のポロト湖散策中にクマ目撃 キャンプ場営業中止

2015-07-15 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2015年 7/14)
立ち入りが制限されているポロト湖遊歩道
12日午前9時10分ごろ、白老町のポロト湖周辺の遊歩道で男性2人がヒグマを目撃した。通報を受けた町は同日、遊歩道への立ち入りを禁止し、ポロトの森キャンプ場の営業も中止。道猟友会苫小牧支部白老部会に要請し、遊歩道を中心に1週間ほどパトロールを行う。
 遭遇した同町在住の男性(51)によると、目撃したのは植物観察用の浮き橋から約500メートル離れた遊歩道。野鳥観察をしていたところ、約20メートル離れた場所に体長1・5メートルほどのヒグマが現れたという。
 男性は持っていたデジタルカメラでヒグマを撮影。数枚撮った時点でクマがシャッター音に気づき、目が合ったため後ずさりしながら逃げた。至近距離での遭遇に「あぜんとした。すぐにビジターセンターに逃げ込んだが、気付けば手が震えていた」と振り返った。
 町内では6月以降、ヒグマの目撃が相次いでおり、今回で6件目。12日は100人ほどが同キャンプ場に滞在していたが、事情を説明して直ちに営業を中止。当面、予約も受けないことにしている。
 また、町は、ポロト湖インフォメーションセンター前と、アイヌ民族博物館横のカムイ入り口の両方の遊歩道にゲートを設置。1週間ほど立ち入りを禁止するほか、注意喚起の看板も新たに取り付けた。
 町生活環境課は、苫小牧署や白老消防本部など関係機関への情報提供も進めながら、対策を講じる考えという。
http://www.tomamin.co.jp/20150727860

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