北海道新聞2024年12月2日 21:51(12月2日 22:12更新)
講演会で「中村要吉がアイヌ語と日本語の通訳をたびたび担っていた」と語る欠ヶ端和也学芸員
帯広百年記念館の博物館講座「近代文学者の見た十勝アイヌ」が11月30日、同記念館で開かれた。同館の欠ヶ端和也学芸員が市民44人を前に、明治期にアイヌ民族のコタン(集落)を調査した文学者や新聞記者らを紹介した。
明治の小説家、岩野泡鳴(ほうめい)や新聞記者の山本露滴(ろてき)が、それぞれ音更のコタンを訪れたことを記した文章などを紹介。十勝の郷土研究団体「蝦夷(えぞ)考古会」に山本ら新聞記者と、音更のアイヌコタン出身の中村要吉が所属しており、欠ヶ端学芸員は「蝦夷考古会がアイヌとの調整役を担っていた」と説明した。
ただ、当時の文章にはアイヌ民族に対する差別的表現や間違った記述もあり、・・・・・・