コメント
イエスバットのイエスは…
(
さら K
)
2018-07-09 03:25:57
質問よろしいでしょうか?。
日本人は『見かけイエスバット』をよく使います。
人の提案に対し、『そうねそうね でもね』と。
この時の『そうねそうね』は社交辞令であり、
『あなたの言いたい事の概要はわかりました(一生懸命言っているあなたをむげに否定するのは気の毒) でもね(本当は私こう思うのよ)』
若しくは
『あなたの言いたい事の概要はわかりました(大筋は認めるんだけど) でもね(その考えのここが練れてないと思うのよ ここが疑問なのよ)』
どちらかと言えば『ノーサンキュー ビコーズ』。
その受け手のニーズを考えないで『それはイエスバットだ。そんなんじゃ発展的な考えはうまれない』と 相手に対する否定ばかりする 自称アドレリアンも少なくないようです。
純粋な『イエスバット』は、
『そうねそうね(あなたの言っている事は正しいわ 賛同するわ) でもね(面倒だわ 私は変化が怖いのよ)』
だと受け取っています。
この場合でも決して相手を否定せず、一歩踏み出す事へのメリットをプレゼンし、『そうねそうね やってみたいわ』と変化させる努力をする事こそ、正しいアドレリアンの進む道だと感じています。
人間は、
『痩せたい痩せたい でも食べたい』のように 単純ではありません(これはこれで 本人には大きな葛藤がありますが)。
痩せたければ食べ方を考えれば良いのだ(それが嫌なら運動を頑張ればいいのだ) という考えに拒否反応をおこす人は、まずいないと思います。
しかし、人間の信条や思考はとても複雑で、一つの理論だけでは説明できない事が多いと感じています。
『イエスバット』から『イエスエンド』に軋轢なく変革させる、
この事は アドラー心理学を正しく広めていくにおいて 必要だと思うのですが。
私の考え(受け取り方)は 間違っているでしょうか?。
『イエスバット』から『イエスエンド』に変革させること
(
岩井俊憲
)
2018-07-09 07:15:00
さら K様
私はさら Kさんの書かれたことに賛同します。
私は、イエス・バットを自己変革を伴う、自分に対する言い方に関して書いたつもりですが、対人関係にも当てはまることをさら Kさんから学びました。
さら Kさんも後半に書いていらっしゃいますね。
コメントありがとうございました。
Unknown
(
さら K
)
2018-07-10 10:46:55
お忙しいなか ご返答頂きまして ありがとうございました。
某団体でカウンセラー1級を取得しましたが、カウンセラーに必須な 自己一致、共感的理解、無条件の肯定的配慮、その上での傾聴、それらの訓練のため心理学を勉強しており、こちらに行き着いたしだいです。
岩井先生が書きためてこられたこのブログ、心してお勉強させて頂きます。ありがとうございます。
是非アドラー心理学も
(
岩井俊憲
)
2018-07-10 21:37:56
さら K様
ご丁寧なメッセージをありがとうございました。
非支持的カウンセリングのお勉強をなさっていたようですね。
そちらを基本としながらもアドラー心理学で味付けをすると、かなり幅が広がりますよ。
今後のご研鑽に期待しております。
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日本人は『見かけイエスバット』をよく使います。
人の提案に対し、『そうねそうね でもね』と。
この時の『そうねそうね』は社交辞令であり、
『あなたの言いたい事の概要はわかりました(一生懸命言っているあなたをむげに否定するのは気の毒) でもね(本当は私こう思うのよ)』
若しくは
『あなたの言いたい事の概要はわかりました(大筋は認めるんだけど) でもね(その考えのここが練れてないと思うのよ ここが疑問なのよ)』
どちらかと言えば『ノーサンキュー ビコーズ』。
その受け手のニーズを考えないで『それはイエスバットだ。そんなんじゃ発展的な考えはうまれない』と 相手に対する否定ばかりする 自称アドレリアンも少なくないようです。
純粋な『イエスバット』は、
『そうねそうね(あなたの言っている事は正しいわ 賛同するわ) でもね(面倒だわ 私は変化が怖いのよ)』
だと受け取っています。
この場合でも決して相手を否定せず、一歩踏み出す事へのメリットをプレゼンし、『そうねそうね やってみたいわ』と変化させる努力をする事こそ、正しいアドレリアンの進む道だと感じています。
人間は、
『痩せたい痩せたい でも食べたい』のように 単純ではありません(これはこれで 本人には大きな葛藤がありますが)。
痩せたければ食べ方を考えれば良いのだ(それが嫌なら運動を頑張ればいいのだ) という考えに拒否反応をおこす人は、まずいないと思います。
しかし、人間の信条や思考はとても複雑で、一つの理論だけでは説明できない事が多いと感じています。
『イエスバット』から『イエスエンド』に軋轢なく変革させる、
この事は アドラー心理学を正しく広めていくにおいて 必要だと思うのですが。
私の考え(受け取り方)は 間違っているでしょうか?。
私はさら Kさんの書かれたことに賛同します。
私は、イエス・バットを自己変革を伴う、自分に対する言い方に関して書いたつもりですが、対人関係にも当てはまることをさら Kさんから学びました。
さら Kさんも後半に書いていらっしゃいますね。
コメントありがとうございました。
某団体でカウンセラー1級を取得しましたが、カウンセラーに必須な 自己一致、共感的理解、無条件の肯定的配慮、その上での傾聴、それらの訓練のため心理学を勉強しており、こちらに行き着いたしだいです。
岩井先生が書きためてこられたこのブログ、心してお勉強させて頂きます。ありがとうございます。
ご丁寧なメッセージをありがとうございました。
非支持的カウンセリングのお勉強をなさっていたようですね。
そちらを基本としながらもアドラー心理学で味付けをすると、かなり幅が広がりますよ。
今後のご研鑽に期待しております。