コメント
大切にするこころ
(
未来
)
2008-06-28 10:10:46
先生、今日の記事ありがとうございました。
根底にあるのは「大切にする」ということなのですね。
「共同体感覚」というのは、漠然とした抽象概念ではなく、私自身がそういった「目に見えるもの」をどう扱っているかにさえ、しっかり反映されてしまうものなのですね。
逆に言えば、私のように共同体感覚音痴な人間でも、出合った人々、いま机の上にある一本の鉛筆を「大切にしよう」考えられている限り、私は共同体感覚に近づいていけてるのかな??
この「大切にするこころ」には、
何かしっくりくるものがありました。
鉛筆1本でも大切にしよう
(
岩井俊憲
)
2008-06-28 22:06:56
未来様
コメントありがとうございました。
鉛筆1本でも大切にしようと思い、それに基づく行為をしていれば、共同体感覚に近づいているのです。
共同体感覚
(
ハウオリ
)
2008-06-28 23:27:13
岩井先生、こんばんわ。
共同体感覚=私も欠如してるかも?
人の思いを大切にくめているんだろうか?
いろいろ考える機会を頂きました。
ありがとうございます。
もっと勉強する事があるって、嬉しい事ですね。
欠如している前提で
(
岩井俊憲
)
2008-06-29 06:00:42
フラダンサーのハウオリ様
コメントありがとうございます。
「共同体感覚が欠如している」、その前提で生活する方が大切にするこころが養えますよね。
大切にするこころを育む
(
hkimi
)
2008-07-01 10:19:32
ブロック製作のクラスで子どもを観察していると、ブロックと対話しながら、雑念は入らない状態で手をうごかしている子どもがいます。一時的にでも多くの子どもたちにそういう状態が出現します。
そして、そういう時間をすごした後は、片づけをきちんとするし、出来上がった作品に対する愛着がわきます。(壊さないでくれということが多い)
もの、人、自分を大切にするこころのさらに根底には対象と「なじみ」になっている状態が必要だと思います。
だから、もの、人、自分との深い対話こそ、「大切にするこころ」を育むのだと思います。対話が共感を生み共感があれば、ものや人を大切にすると思うからです。
ぼくは子どもたちがどんな分野でも深い対話の体験をある程度すれば、そこからイマジネーションをいろんな分野に働かせることができるのではないかと思います。そういう体験に満たされた人なら、世界遺産に落書きなどしない(できない)でしょう。
いまは、たくさんの習い事やスポーツや勉強を広く(浅く)かじってみてその中から自分の子どもに合うもの(つまり成績を取れる分野)を選ぼうとする、どうなるかというと、あれもこれも捨てがたいということになって、深い体験になかなか入れない状況になっているように思います。これを親御さんが(愛情あるがゆえに)主導されているという印象があります。
自分にも言い聞かせないといけないことだけど、あれもこれもと自分や子どもをせかさないで、静かに何かと、誰かと、自分と対話する時間を確保してあげる必要があるのではないでしょうか?
じっくり「フロー体験」をさせること
(
岩井俊憲
)
2008-07-01 11:58:05
hkimi様
モノ、人との関係でじっくり「フロー体験」と愛着心ができれば、それぞれに対して愚かなことはできないでしょう。
その意味でhkimiさんのお仕事は、未来の人財を作るために大変価値があると認識しております。
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根底にあるのは「大切にする」ということなのですね。
「共同体感覚」というのは、漠然とした抽象概念ではなく、私自身がそういった「目に見えるもの」をどう扱っているかにさえ、しっかり反映されてしまうものなのですね。
逆に言えば、私のように共同体感覚音痴な人間でも、出合った人々、いま机の上にある一本の鉛筆を「大切にしよう」考えられている限り、私は共同体感覚に近づいていけてるのかな??
この「大切にするこころ」には、
何かしっくりくるものがありました。
コメントありがとうございました。
鉛筆1本でも大切にしようと思い、それに基づく行為をしていれば、共同体感覚に近づいているのです。
共同体感覚=私も欠如してるかも?
人の思いを大切にくめているんだろうか?
いろいろ考える機会を頂きました。
ありがとうございます。
もっと勉強する事があるって、嬉しい事ですね。
コメントありがとうございます。
「共同体感覚が欠如している」、その前提で生活する方が大切にするこころが養えますよね。
そして、そういう時間をすごした後は、片づけをきちんとするし、出来上がった作品に対する愛着がわきます。(壊さないでくれということが多い)
もの、人、自分を大切にするこころのさらに根底には対象と「なじみ」になっている状態が必要だと思います。
だから、もの、人、自分との深い対話こそ、「大切にするこころ」を育むのだと思います。対話が共感を生み共感があれば、ものや人を大切にすると思うからです。
ぼくは子どもたちがどんな分野でも深い対話の体験をある程度すれば、そこからイマジネーションをいろんな分野に働かせることができるのではないかと思います。そういう体験に満たされた人なら、世界遺産に落書きなどしない(できない)でしょう。
いまは、たくさんの習い事やスポーツや勉強を広く(浅く)かじってみてその中から自分の子どもに合うもの(つまり成績を取れる分野)を選ぼうとする、どうなるかというと、あれもこれも捨てがたいということになって、深い体験になかなか入れない状況になっているように思います。これを親御さんが(愛情あるがゆえに)主導されているという印象があります。
自分にも言い聞かせないといけないことだけど、あれもこれもと自分や子どもをせかさないで、静かに何かと、誰かと、自分と対話する時間を確保してあげる必要があるのではないでしょうか?
モノ、人との関係でじっくり「フロー体験」と愛着心ができれば、それぞれに対して愚かなことはできないでしょう。
その意味でhkimiさんのお仕事は、未来の人財を作るために大変価値があると認識しております。