コメント
ヒットしました。
(
スーママ
)
2008-06-20 06:18:03
岩井先生、おはようございます。
地震お見舞いありがとうございました。
今日の記事は昨日同様、まさに我が意を得たりでした。
いつもありがとうございます。(^^)
早起きなのですね。
(
岩井俊憲
)
2008-06-20 06:30:03
スーママ様
スーママさんも私と同じく早起きなのですね。
先日は、「地震お見舞い」とすべきところをあわてて「自身」と書いてしまいましたね。
ともあれ、その節もスーママさんの勇気を与える発信力に感激しました。
納得!
(
鈴木 稔
)
2008-06-20 11:19:00
「怒りが問題なのではなく、怒りを破壊的・非建設的に使用することが問題なのではないか、そして、怒りを失ったとき、陰性感情の怒りがなくなるとともに、陽性感情の喜びも消滅し、感情を持てない無機質な人間になるのでは、と。」この文章にえらく勇気づけられたというか、感動を覚えています。私の師匠丹養塾幼児園 故吉田良次先生は子供達への詩の朗唱で「憤」を重視しておられました。それは、正に「社会的正義」「志」より発したものです。
な~るほど・・・と腑に落ちた感じがします。ありがとうございました。
「私憤」より「公憤」
(
岩井俊憲
)
2008-06-20 12:02:25
鈴木 稔様
お忙しい中コメントを賜りありがとうございました。
これからも自分の支配性から発した「私憤」よりも、「社会的正義」「志」より発した「公憤」を失わないで生きて行きたいものですね。
私憤と公憤
(
hkimi
)
2008-06-20 17:49:47
すこし筋ちがいかもしれませんが、これにはぼくは結構、考えるところがあります。
教室でたまらず怒ってがしまうことがあります。意識的に怒りを「使う」こともあります。そのときはその子のためを思ってとか、その場の秩序を保つためとか考えて。
けど、正直あとで後悔することが多いです。あの怒りの目的は自分を動かすためだったのか? 子どもを自分の思う通りに動かしたかったのか?
やはり、もう少しやり方があったのではないかと。
今日のログはこれとは次元がちがうとは思いますし、
抑えすぎて人間らしい情緒を失ってしまうのは嫌です。
でも、今感じている怒りが本当に、本当に、公憤なのかよくよく吟味しなくてはと思います。
小さな正義は争いのもと。理想の共同体に照らしての公憤なら、迫力が違うと思う。
ところで、秋葉原の事件は本当に悲しくなりました。
ぼくは秋葉原が好きです。秋葉原が好きな子どもたちも好きです。ニュースをこんなに悲しく感じたことはありません。
今日Nスぺでやりますね。
怒りについて
(
ハウオリ
)
2008-06-20 21:33:38
岩井先生の文章を読んで、まさにそうだなぁ。と感じました。
私は未熟ゆえに、主人から、子供達に対して「怒ると叱るは違う」と何回か過去に言われました。
今日は私の踊りの先生が、怒っておられましたが、まさに、私たち人生の後輩に対して、諭して下さってる怒りでした。すごく怖かったけど、ありがたいと感じられました。
いらっ!と来た時、今日の岩井先生のお言葉を思い出したいと切に願います。
私憤と公憤 について
(
岩井俊憲
)
2008-06-20 21:56:36
hkimi様
しばらくぶりのコメントですね。
確かに私憤と公憤は区分の難しいところで、公憤を装った私憤というのもありますね。
hkimiさんは、秋葉原に思い入れがあるようですね。
Nスぺ見てみます。情報提供ありがとうございました。
ハウオリ様
コメントありがとうございました。
確かに「怒ると叱るは違う」ようですね。
叱られたことがしみじみと勇気づけになることがありますよね。
わお!
(
ルルル
)
2008-06-20 22:39:03
素晴らしくタイムリーです。話が長くなるので詳しくは書きませんが、今朝、通勤電車の中でブログ拝見しました。まさに今日のこれからの私に必要なことが、知りたいことが書かれていました。ここのところ「怒り」の取扱いについてずっと考えていたのです。私のライフスタイルとも関係しているようで、悩んでもいました。でも、今日のブログ読んで、すーっと腑に落ちました。勇気が湧いてきて、ひとつ壁を乗り越えることができたと感じています。
「怒り」の取扱い―「怒不争」
(
岩井俊憲
)
2008-06-21 06:48:11
ルルル様
おはようございます。
「感情はコントロールできる」のセミナーを開発して以来、「怒り」の感情をさまざまな観点から洞察していました。
その中で気功の盛先生からいただいた「怒不争」(怒ることがあっても無益な争いをしない)という言葉がやたら気に入っています。
「怒而争」(怒って争ってしまう)からややこしくなるんですね。
怒不争
(
ルルル
)
2008-06-21 09:33:21
私もこれまで、怒りを出すのは未熟だと考えていました。「怒不争」、私も気に入りました。
掲示板、パスワードはOKなんです。違うところに問題があるみたいです。ほんとパソコンはわからなくていやだわ。楽しいけど。
「こころのマーケティング」
(
あだち
)
2009-11-15 21:20:26
失礼します。
「心・身を強くするメッセージ」
ご笑覧ください。
http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/
(営利活動ではありません)
早速ブログ拝読
(
岩井俊憲
)
2009-11-15 22:07:30
あだち様
コメントありがとうございました。
早速ブログ拝読しました。
あだちさんと私とでは、かなり共通点があることにも気づきました。
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地震お見舞いありがとうございました。
今日の記事は昨日同様、まさに我が意を得たりでした。
いつもありがとうございます。(^^)
スーママさんも私と同じく早起きなのですね。
先日は、「地震お見舞い」とすべきところをあわてて「自身」と書いてしまいましたね。
ともあれ、その節もスーママさんの勇気を与える発信力に感激しました。
な~るほど・・・と腑に落ちた感じがします。ありがとうございました。
お忙しい中コメントを賜りありがとうございました。
これからも自分の支配性から発した「私憤」よりも、「社会的正義」「志」より発した「公憤」を失わないで生きて行きたいものですね。
教室でたまらず怒ってがしまうことがあります。意識的に怒りを「使う」こともあります。そのときはその子のためを思ってとか、その場の秩序を保つためとか考えて。
けど、正直あとで後悔することが多いです。あの怒りの目的は自分を動かすためだったのか? 子どもを自分の思う通りに動かしたかったのか?
やはり、もう少しやり方があったのではないかと。
今日のログはこれとは次元がちがうとは思いますし、
抑えすぎて人間らしい情緒を失ってしまうのは嫌です。
でも、今感じている怒りが本当に、本当に、公憤なのかよくよく吟味しなくてはと思います。
小さな正義は争いのもと。理想の共同体に照らしての公憤なら、迫力が違うと思う。
ところで、秋葉原の事件は本当に悲しくなりました。
ぼくは秋葉原が好きです。秋葉原が好きな子どもたちも好きです。ニュースをこんなに悲しく感じたことはありません。
今日Nスぺでやりますね。
私は未熟ゆえに、主人から、子供達に対して「怒ると叱るは違う」と何回か過去に言われました。
今日は私の踊りの先生が、怒っておられましたが、まさに、私たち人生の後輩に対して、諭して下さってる怒りでした。すごく怖かったけど、ありがたいと感じられました。
いらっ!と来た時、今日の岩井先生のお言葉を思い出したいと切に願います。
しばらくぶりのコメントですね。
確かに私憤と公憤は区分の難しいところで、公憤を装った私憤というのもありますね。
hkimiさんは、秋葉原に思い入れがあるようですね。
Nスぺ見てみます。情報提供ありがとうございました。
ハウオリ様
コメントありがとうございました。
確かに「怒ると叱るは違う」ようですね。
叱られたことがしみじみと勇気づけになることがありますよね。
おはようございます。
「感情はコントロールできる」のセミナーを開発して以来、「怒り」の感情をさまざまな観点から洞察していました。
その中で気功の盛先生からいただいた「怒不争」(怒ることがあっても無益な争いをしない)という言葉がやたら気に入っています。
「怒而争」(怒って争ってしまう)からややこしくなるんですね。
掲示板、パスワードはOKなんです。違うところに問題があるみたいです。ほんとパソコンはわからなくていやだわ。楽しいけど。
「心・身を強くするメッセージ」
ご笑覧ください。
http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/
(営利活動ではありません)
コメントありがとうございました。
早速ブログ拝読しました。
あだちさんと私とでは、かなり共通点があることにも気づきました。