コメント
待つことは自分をモニタリングするいいチャンス
(
カリス魔保育士
)
2008-07-21 12:17:20
岩井先生こんにちは
水谷さんも「待つこと」の大切さをよく仰ってますね。
私も不登校児とは常にかかわってますが、大人にも子どもにも人にはペースがあって、皆違って皆いいという姿勢を持つことにしてます。 one's own pace
待つこと、安心感を与えることが相互信頼を生むのでしょうね。
アドラー氏の写真を御ブログで度々拝見しますが、博士の顔からは包容力(待って受け止める)のある安定感と寛容さがうかがえます。
昨晩、里親のドキュメントをテレビで放映してました。里親と孤児(2才児)が初めて会った日から、互いの人間関係を深めていく内容でした。
子どもを産めない両親が子どもを里親制度で預かります。里親は念願かつ初めての子育てですが、期待感から自分の要求通りに子どもを育てようとしていました。
子どもとどう接していいかわからずイライラしていたところ、支援員の方から電話で、
「子どもの行動を制御しないで、まずは何でもやらせてみて安心感を与えよう。安心すれば子どもから要求が増えてくるからまずはゆっくり待って、子どもの行動を楽しもう。」
とアドバイスを受けました。その後里親と子どもの関係が向上したのは言うまでもありません。
親や大人からしつこくかかわるのではなく、子どもたちからしつこがれる大人でありたいと保育者として常に考えてます。
おっと、今日はカリス魔の魔が、真心の真になってしまった。σ(^◇^;)
たまにはいいか、のカリス真保育士より
one's own pace
(
岩井俊憲
)
2008-07-21 13:41:08
カリス魔保育士様
お暑うございます。
one's own pace、学ばせていただきました。
私のいた塾は、子どもを預かると、まず放っておきました。すると、子どもの方から「何かしてほしい、何かしたい」という気持ちになるのでした。
このところ子どもと関わることが少なくなって、あのころを懐かしく思います。
信頼に忍耐が必要?
(
SLHC
)
2008-07-23 03:02:49
久しぶりにコメントいたします。
本当に真の『信頼』出来ていたら、忍耐は必要でないのでは?
『信頼』出来ない『何か』があるから、何か言いたくなったり、やってやりたくなったり、ほっておけない気持ちがあがってくるので、それらを押さえために忍耐が必要なのではないのだろうか?
忍耐で押さえた偽りの『信頼』って本当に信頼なんですか?
最近その辺りが気になります。そういうのって意外と子どもや感受性のするどい人って見抜くのでは?
コテサキ『勇気づけ』にはなっていないか振り返り中です。
おっしゃるとおりです。
(
岩井俊憲
)
2008-07-23 06:37:43
SLHC様
コメントありがとうございます。
SLHCさんのご指摘のとおり、本当に真の『信頼』出来ていたら、忍耐は必要ありません。
厳密に言えば、「信頼の訓練のためには忍耐が必要」と言うべきかもしれません。
「無条件に信頼する」と言いますが、無条件の、真の信頼ができるようになるためには、過度的に忍耐をも学べねばならないことを私は言いたいのです。
SMILEを学び始めたお母さんが、最初から「真の信頼」ってできるのかなー。
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水谷さんも「待つこと」の大切さをよく仰ってますね。
私も不登校児とは常にかかわってますが、大人にも子どもにも人にはペースがあって、皆違って皆いいという姿勢を持つことにしてます。 one's own pace
待つこと、安心感を与えることが相互信頼を生むのでしょうね。
アドラー氏の写真を御ブログで度々拝見しますが、博士の顔からは包容力(待って受け止める)のある安定感と寛容さがうかがえます。
昨晩、里親のドキュメントをテレビで放映してました。里親と孤児(2才児)が初めて会った日から、互いの人間関係を深めていく内容でした。
子どもを産めない両親が子どもを里親制度で預かります。里親は念願かつ初めての子育てですが、期待感から自分の要求通りに子どもを育てようとしていました。
子どもとどう接していいかわからずイライラしていたところ、支援員の方から電話で、
「子どもの行動を制御しないで、まずは何でもやらせてみて安心感を与えよう。安心すれば子どもから要求が増えてくるからまずはゆっくり待って、子どもの行動を楽しもう。」
とアドバイスを受けました。その後里親と子どもの関係が向上したのは言うまでもありません。
親や大人からしつこくかかわるのではなく、子どもたちからしつこがれる大人でありたいと保育者として常に考えてます。
おっと、今日はカリス魔の魔が、真心の真になってしまった。σ(^◇^;)
たまにはいいか、のカリス真保育士より
お暑うございます。
one's own pace、学ばせていただきました。
私のいた塾は、子どもを預かると、まず放っておきました。すると、子どもの方から「何かしてほしい、何かしたい」という気持ちになるのでした。
このところ子どもと関わることが少なくなって、あのころを懐かしく思います。
本当に真の『信頼』出来ていたら、忍耐は必要でないのでは?
『信頼』出来ない『何か』があるから、何か言いたくなったり、やってやりたくなったり、ほっておけない気持ちがあがってくるので、それらを押さえために忍耐が必要なのではないのだろうか?
忍耐で押さえた偽りの『信頼』って本当に信頼なんですか?
最近その辺りが気になります。そういうのって意外と子どもや感受性のするどい人って見抜くのでは?
コテサキ『勇気づけ』にはなっていないか振り返り中です。
コメントありがとうございます。
SLHCさんのご指摘のとおり、本当に真の『信頼』出来ていたら、忍耐は必要ありません。
厳密に言えば、「信頼の訓練のためには忍耐が必要」と言うべきかもしれません。
「無条件に信頼する」と言いますが、無条件の、真の信頼ができるようになるためには、過度的に忍耐をも学べねばならないことを私は言いたいのです。
SMILEを学び始めたお母さんが、最初から「真の信頼」ってできるのかなー。