アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
左手にハンデを負いながら日常生活を送り、週に2回リハビリ治療を受けている最近、ふと思い出した詩があります。
「ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた患者の詩:『病者の祈り』」
大事をなそうとして
力を与えて欲しいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった
人生を享受しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
数十年前にある本で触れ、コピーしてメモ帳に貼っていたことがありました。
私の生活の一部であるこのブログを右手一本で書きながらも、喪失感を中心に、もどかしさ、やるせなさ、悔しさ、腹立たしさ、情けなさを味わうことがあります。
これらの感情を総称すると、アドラー心理学でよく使われる「劣等感」。
その劣等感が舞い散るときが、正直あります。
そんな時、私を勇気づけてくれるのが、最後のフレーズです。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
神に祝福された存在ならば、感謝と共に生きよう。
感性が研ぎ澄まされて、お陰様で小さなことにもありがたさを感じられるようになりつつあります。
大雨の昨日も、家で妻から施してもらった数々のことも、そして上高田ちば整形外科・小児科(http://chiba-cl.net/)での理学療法士の駒木尊裕さんの施術と千葉先生の助言も、留守中の私をフォローしてくれているスタッフの貢献も、メールやメッセンジャーでのやりとりも、ありがたいことばかりでした。
心底、有難うございます。
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