おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(10月27日)は、自宅から一人で某大企業を訪れ常務執行役員の方と人事の部長と課長とアドラー心理学に基づく組織変革のことで話し合いをしてきました。
先方の問題点も聴き取れ、ヒューマン・ギルド側のご提案もしっかりできました。
一人ランチをしてから東中野のいつもの理髪店に。
私は、理髪店で自分の顔を見たり理容師と話をすることを好まないので、だいたい目をつむっています。
すると、子どものころに母親から小学生の頃に玄関先でバリカンやハサミで髪を刈ってもらっていたことが思い出されました。
中学生になって野球部に入って丸坊主になってからは近所の理髪店に通うようになりましたが、その前の小学生の時は「お母ちゃん」と呼んでいた母が床屋さんでした。
思い返せば、お母ちゃんの床屋さんの時間は5人の子どもの育てていた母と末子の私との貴重なコミュニケーション・タイムだったかもしれません。
小学校4年生の時は体罰教師が担任で、多動の上に問題児だった私は一番の殴られ役、頭には円形脱毛症ができていました。
世の中にこんな憎悪すべき人間がいることを担任から知りました。
ほとんど9歳だった私は、体育のドッチボールの時間で担任が仲間に入ると、彼をめがけてボールをぶつけようとしました。
担任は、大人げもなく全スピードで私にぶつけ返しました。
そんなバトルが2人の間で繰り返されていました。
すでに復讐心を覚えていた時期でした。
私は、教師にひどい体罰を受けていたことを母にほとんど訴えることはなかったけれど、母は、ミミズばれになっていた私の頬を見たり、床屋さんをしながらもすべてお見通しだったことでしょう。
私はたった一度、母に「あんな学校に行きたくない」と泣いて訴え、それまでの成績表を母の目の前でびりびり破いていたことがありました。
私はずっと母が無力であったと思い込んでいました。
ところがふと、当時PTA副会長だった母は、校長に訴えたと物語が変わりました。
母は、正義感の強い人でした。
私には言わなかったけれど、当時のO校長に訴えたのです。
体罰教師は、5年生になって隣のクラスの担任になり、私の担任は宮沢先生に代わりました。
なお、私の小学生後半の話は、2016年8月14日のブログに お盆で回想したこと:宮沢先生が寄せてくれた信頼 をご参照ください。
「素直な髪だね」
床屋さんをしながら母はいつも語っていました。
私のねじ曲がりそうになっていた心を髪を象徴として私に語っていたのです。
私の目と髪は、母の遺伝子を受けて老眼とは無縁ですし、頭頂こそ薄くなっていても、染める必要のない髪でいられます。
そう捉えると、母は大切なことを息子の心と体に刻み込み、無条件の愛で私をずっとずっと見つめてくれていたに違いありません。
あ母ちゃんありがとう。
晩年の父母のツーショットにそっと手を合わせます。
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