享年83歳、庭先で洗濯物を干しているときに熱中症で倒れたようで、いわゆる孤独死という状況。DAYサービスの方に、庭先で倒れている母を発見してい頂きました・・・。
母は戦時中に産れ、翌日には、知り合いの家に幼女にだされたような生い立ち。
自分が小学校に入るまで、父は同居していましたが、入籍はしておらず、 私生児として、我々姉弟を育ててくれました。
幼い頃は本当に貧乏で、食べていくのに精一杯の生活。
鹿児島県、鹿屋市の郊外、自分の家だけでなく、そういう家は、周りに沢山ありました。
今回も子供たちに看取られることなく、母は亡くなりました、親不孝の息子です・・・。
コロナ前に帰省して、最後に母と撮った最後の写真。
いろいろな想いがこみあげる、帰省した1週間でした。
いまは、心も身体も健康に産んでくれた母に感謝しています・・・。