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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

藤原頼通と平等院、宇治十帖

藤原一族めぐり、、、昨日、お約束したとおり、「藤原頼通」にて打ち止めとしたく存じます。m(__)m

まずは、基本事項をネットより引用しますね。(^。^)

藤原頼通は、父・道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇、後冷泉天皇の治世にて、関白を50年の長きに亘って務め、父道長と共に藤原氏の全盛時代を築いた。現代に残るその栄華の象徴が頼通が造営した平等院鳳凰堂である。

しかし天皇の后にした娘が男子に恵まれなかったばかりか、刀伊の入寇、平忠常の乱、前九年の役など戦乱が相次ぐなど、朝廷の内外からそれまでの絶対的な権力体制を揺さぶられる事態が生じた。それに加えて晩年には頼通と疎遠な後三条天皇が即位したこともあり、摂関家の権勢は衰退へ向かい、やがて院政と武士が台頭する時代へと移ることになる。

にゃるへそ🐈‍⬛

ついに、この頼通をもって、二百年余り続いた藤原北家の摂関政治も終焉を迎えたわけですね!( ; _ ; )/~~~

しかし、平等院鳳凰堂という十円玉を通じて、現代の日本国民に最も親しみ深い寺院を建てた、その功績は大きいですよね!!(◎_◎;)

その「平等院鳳凰堂」があるのは、京都府宇治市、、、「光る君」はもちろん、原典の「源氏物語」の中でも、「宇治十帖」と呼ばれるストーリーで有名です。(^_^)

その「宇治十帖」は次のとおり。(^。^)

源氏物語54帖のうち、橋姫から椎本 (しいがもと) ・総角 (あげまき) ・早蕨 (さわらび) ・宿木・東屋 (あずまや) ・浮舟・蜻蛉 (かげろう) ・手習・夢浮橋 (ゆめのうきはし) までの最後の10帖の総称。 光源氏の死後の物語で、宇治を舞台に薫 (かおる) 大将の半生を描く。

にゃるにゃるへそへそ!🐈‍⬛🐈‍⬛

宇治十帖は、光源氏亡きあとの物語なんですね!、、、知らなんだ!٩( ᐛ )و

宇治川一帯には、この「宇治十帖」の石碑が多く、平等院から宇治公園へ向かうと橘橋があり、宇治川の左岸(西側)に沿って続く道は「あじろぎの道」と呼ばれ、喜撰橋を過ぎると「宿木」の古蹟があります。(^。^)

また、宇治川の右岸(東側)から、放生院、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアムへ続く道は「さわらびの道」と呼ばれ、「早蕨」や「総角」の古蹟があります。(^-^)

そして、宇治川右岸沿いには「朝霧通」があり、朝霧橋の東詰には「宇治十帖」のモニュメントがあります。(^_^)

写真は、宇治橋の西詰にある、有名な「紫式部」の銅像ですね。( ^_^)/~~~

「茶の花や網代に浮かぶ宇治十帖」 祖谷馬関

(注)網代は冬の季語。主に鮎の稚魚である氷魚を捕るために用いられた。読んで字のごとく網の代わりに柴、竹などを編んで端に簀を設け魚を捕る漁法である。宇治川、滋賀県の田上川の網代がよく知られる。

(注)茶の花は冬の季語。ツバキ科の常緑低木。白色五弁の小さい花を初冬に開く。黄色の蘂が特徴的。現在産地としては静岡や鹿児島が有名であるが、かつては、「宇治は茶所、茶は政所」と謳われた。
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