見出し画像

我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

そして、の呪い?

まだ小学校も低学年の頃、夏休みの絵日記を見た母が、馬関少年に向かって言いました。m(__)m

「そして、が多い!」٩( ᐛ )و

確かに、自分の絵日記を見ると、、、

今日は、朝早起きしてラジオ体操に行きました。
そして、家に帰ってから朝ごはんを食べました。
そして、朝顔に水やりしてから観察をしました。
そして、絵日記を書くことにしました。
おわり。

確かに「そして」のオンパレード!

しかも、絵日記を書いていることまで、その絵日記に記すという、ある意味、斬新な趣向!!(◎_◎;)

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

この「そしての呪い」が再び訪れたのが、小学5年生の終わりのことでした。( ; _ ; )/~~~

折から卒業式のシーズンで、6年生の先輩たちを送る言葉、いわゆる「送辞」を、馬関も読むこととなったのです。(^_^)

「馬関も読む」ですから、他にもメンバーはいて、当時の児童数は多かったですから、ひとクラスから10名程度、6クラスありましたから、計60名で、ひとつの送辞を読む、、、つまり、送辞の文章を細かく分割して、各自が順に読み上げて繋いでいくシステムだったのです。(^-^)

この話のうち、「馬関が送辞を読む」という部分だけが母親に伝わり、早合点した母は、卒業式当日、息子が5年生を代表して送辞を読む、その晴れ姿を楽しみに小学校までやってきたのでした。(^。^)

しかし、固唾を飲む母の前で、集団送辞のリレーが始まり、その上、馬関に割り振られたパートといえば、、、

「そして、時々は」 (°▽°)/

そう、こんな流れでしたね。

(前の前の女子) 「中学校に進学されても」
(前の男子) 「勉強にスポーツにがんばってください」
(馬関) 「そして、時々は」
(後の女子) 「この小学校にも遊びに来てください」

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「そして、時々は」、、、

えっ!、それだけ?٩( 'ω' )و

これが「そしての呪い」

母はといえば、、、何も言いませんでしたが、ヒット曲のタイトルを借りるとすれば、、、

差し詰め、「そして、僕は途方に暮れる」

だったでしょうね!( ^_^)/~~~

「浅き春そしての次が言えぬ恋」 祖谷馬関

(注)春浅し、浅き春は、初春の季語。立春をすぎたのに、まだ春めいていない感じをいう。暖かいところでは梅が咲き、目白などが飛び交っているが、東北の日本海側などではまだ厚い雪に覆われている。風も冷たく、時には厳寒のころの気温に戻ったりもする。雪の中から蕗の薹を見つけるのもこのころ。「早春」よりも主観の入った季語と言えよう。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る