こんばんは、安井ふみです。
夕方から出掛けていて19時半頃、もうこの時期暗い中を帰って来ました。
駅からの帰り道、この後何も予定のない私はクーラーの室外機からの熱風のような外気の暑さしか考えることがなく、ただひたすら耐えることだけを考えながら歩いていました。
“あー、こういう時は一緒に同じところに帰れる恋人でもいたら気がまぎれるのになぁ”とまたも無いものねだりをする私。
その思考を制止する私もいる。
“いや待てよ、こういう時は案外、恋人同士(夫婦)なんてお互いうっとうしいかもしれない。
暑いからこそ、お互いの存在がさらにうっとうしい。暑さにいらいらしてうっとうしい。
よく考えればわかること。”
『私に無いものに幸福がある』なんてつい思ってしまう私の悪い癖。
なんてちょっと反省して歩いていたら、なんと向うから、歳はそこそこ言っている感じで長身の白Yシャツのメガネ男性と、いい感じの身長差の桃色のシャツを着た女性のカップル(ちゃんと二人とも下も履いています…)が並んで歩いてきていて、その手はなんとしっかり握り合っているではないですか!
しかも大人しめだけれど会話も弾んでいるような様子。
暑くないのか??
私はたださえ暑いのに、この二人を見ていてさらに暑い。暑苦しい。
この二人にとって、きっと暑くはないのは確かなのだろう。
暑ければ手を繋がなくてもいいのだから。
手を繋ぎつつもUの字やVの字のようにできるだけ体を離れさせているカップルもいるが、この二人は体もかなり寄り添わせているのだ。
暑いのに何をしているのか?
手だけの暑さでなく、体から発せられる熱気も伝わってくるから夏に手を繋ぐメリットは何もないのではないか。
手だけの暑さでなく、体から発せられる熱気も伝わってくるから夏に手を繋ぐメリットは何もないのではないか。
…まぁ、手を繋ぐ二人はきっと暑さなど忘れて会話に夢中と言うより、二人でいることに『幸せ』を感じていて、二人には暑さは感じていないのでしょう。
“しかも熱さは感じなくとも繋いだ手の『ぬくもり』を感じていることだろう…”、
なんてこうして書いている私、嫌だ嫌だ…。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
『幸せ』云々のスピリチュアル系っぽい考え方では関係なく単純に、『握り合う手の平がかなり熱くなっているのでかえって外気が涼しく感じるだけになっているだけかもしれない』ですね。
スイカに塩をかけて、甘みを引き出すのと似ているような。