IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「身辺整理整頓」に一歩踏み出す

2024-11-27 10:31:50 | この頃思う事

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我が屋敷は、周囲を山や藪に囲まれているので、夏はともかくも、冬の日照時間は非常に短い。
よって、庭に植えられた草木は、当然の姿として日差しを求めてひたすら上に伸びるし、花が咲くけれどその数は少ない。
それでも、それなりに季節季節を教えてくれている事に感謝(かな?)しているが、この小菊に関しては、ちょい不満があった。
と言うのも、日差しを求めてひたすら天に届くかの如く、ひょろひょろとした茎が伸びるのは良しとしても、ちょっとの雨、乃至、風でも倒れてしまうのが困る、つまり、しっかり支柱を立てないと、すこぶるみじめな姿になってしまうのである。
そこで、数年前から、挿し芽で増やした苗を、日当たりの良い畑の花壇に移し始めたところ、支柱を全くなくすことは出来ないが、かなりしっかりとした茎になったので、簡単に倒れることも少なくなり、小菊と雖も、かなり華やかに花を付けるようになった。
ところが・・・である、今年の夏の異常な暑さと雨量の少なさでカラカラとなった畑では、菊の株は成長を止めてしまったようて、今年の菊は背丈は低く、極めて貧相な(花が小さい)花付きとなってしまったのだ・・・ホント、人間の浅知恵は、とうてい大自然に叶わないと実感させられる。

 


 



本日のブログが、多分、11月中の最後のブログUPとなりそうだ。
最近、寄る年波でか、どうしても愚痴勝ちなブロブになってしまう事に、自分自身でさえ嫌気を感じてしまい、以前のように、気軽にUP出来なくなっている状況なのだが、本日は、どうしても11月中にブログUPして、自分自身の愚痴交じりの気持ちの「整理整頓」を試みようと思う。

昨年あたりから、私自身も含めて老境に入った友人らに振り回される出来事が多くなって、その対処方法を悩むようになっていた。
それぞれが歳を経て生ずる問題には、それなりに承知していたから、問題発生自体に戸惑う事は無かったけれど、それに対処出来る我が体力に限界を感じ始めたのだ。
たとえば、その問題が一つ一つ順番に発生したならば、何とかクリアして行けるのに、同時に、二つ、三つと重なると、気持ちはあっても体が動かない・・・つまり、気分的に焦りと怒りに支配されるようになるのだ。
常に怒りを抑えている自分が、相手に対して穏やかな気持ちを示せないから、ついつい、断定的な強い言葉を投げかけてしまう。

昨年暮れから体調不全で手術をした友人が、その甲斐なく今年2月に亡くなった・・・顔を見る度に同じ愚痴を言う友人に、私が最後に掛けた言葉に優しさはあったのだろうか・・・
それでも一段落した気持ちになった私は、最近、認知症の状況が顕著に見られるようになった50年来の友人を、本人は100%の承服はしていなかったけれど、老人施設への転居を促した(実質的手続きは親類がした)・・・その後、友人からの連絡は一切無し。
身体的にも気分的にも解放された私は、胃瘻で入院生活中の先輩友人を、一年半ぶりに見舞ったが、私の呼掛けには、当然ながら、何の反応も見られない。
但し、これらの件については、友人らが入居や入院した施設の内部事情も、多々、関連しているのだろうという認識はある。



ある日に、「高齢者となったら友達は作らないこと」とスレが立った記事を読んだ、なにやら仏陀の教えとか・・・まぁ、殆ど宗教の有難さ・有意義さを理解出来ないし、勉強もしない私には、その仏陀の教えの本質的なことは分からないが、「そうなの?」とちょい首を傾げた気持ちにもなったが・・・だが、よくよく今年になってからの我が身周辺の出来事を考え合わせると、私が友人らに取った行動に何の意味があったろうか・・・と思えて来て、考え込む日も多かった。

現在、まだまだ結論は出ていない。
しかし、ある方向へは動き出したと言えるかも・・・今、良し悪しで判断を下すのではなく、ただ行動が面倒になったという理由で、我が身辺の整理整頓を始めたのである、つまり、友達としての付き合い方の整理整頓。
亡くなった友の墓参りはしない、便りの来ない友人にはこちらから連絡を入れない、胃瘻中の先輩のお見舞いに行かない等々、人間として常識が欠けた行いと思われそうだが、後の事は、その場、その場で対処すればいい・・・とね。

その流れで、今月は、友人・知人らとの泊り旅はこれにて最後と決めた旅(一泊)をした、十数年間続けた遊びの会を閉会した。
この決断が、果たして、己自身にどんな影響を生づるかは不確実だが、ともかく前を向いて(自分ではそう思って)、一歩だけ、歩を進めたのである。


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11月の進捗は・・・?

2024-11-04 09:25:20 | この頃思う事

ご近所さんの畑の脇に植えられている「藤袴」

 

我が故郷は、都会とはかけ離れ孤立されている地方とは言えないものの、却って、都会との距離が近いからこそ若者が都会へと出易い環境なのかも知れない、そんなこんなの事情から、もう「三ちゃん農業」化して久しいと思う。

当地での農業専従さん等も、殆どが「三ちゃん農業」化していたが、最近では、三ちゃんの内「かあちゃん」も近隣に働く場所を得て、「二ちゃん農業」か「外部委託(ご近所に貸したり、耕作を手伝ってもらったり農業」となっているようだ。
その上、大体の農家が農産物を市場へは出荷せず、自家消費する程度の作物しか作らなくなって来ており、耕作面積は、必然的に少なく狭くなるという状況になり・・・でも、何も植えてないからと言って放置して置けば、空地は草畑と化してしまうのだ。
農業を専用に従事して来た人の心境としては、草茫々状態の畑(田圃も含めて)を見るに堪えられなく心苦しいものだろうと推測できる。
で、多くの畑では、多分、雑草対策の意味合いからも、空いた場所にちょっとした木や花が植えられている(我が家も、しかり!)。


我がご近所さんの畑でも、三分の一ほどの面積に「藤袴(上記写真)」のほか、様々な季節の花が植えられていて、我が畑に出向く際には、ただ通るだけの私を楽しませてくれるのだ(時々、野菜なども貰えたり出来るのも嬉しいが)。
今、咲いている「藤袴」は「渡り蝶:アサギマダラ」が飛来するので知られているが、ご近所さんでも、かつて一時期、かなり「アサギマダラ」の飛来があり、近隣から見学に来る人もあったくらいだったが、ある時期に「藤袴」が枯れてしまうと、もう一羽の蝶も来ることがなかった。

それを残念に思われたご近所さんは、少しだけ残っていた「藤袴」を丁寧に管理され、小さな株を増やして現在に至った。
その期間はどのくらいだったのか、残念ながら私には確かな記憶がないが(つまり、あくまでも傍観者であって思い入れがないという事)、現在の「藤袴」の姿は、以前に勝ることは無くても、かなり近い姿になったとように見える。
まだ「アサギマダラ」の飛来は見られないが、その姿を見ることが出来るのも、そう遠くないだろう。
ご近所さんが自分の畑を「アサギマダラの一大飛来地にしたい」という希望を持って努力された事に、尊敬と感謝を表したい気分である・・・何事も、目標目指してコツコツと・・・大事なのですよね。


そこで、我が11月の目標としては、何事も「整理整頓」をコツコツと・・・今月は、終活関連で二つの会の係わりを終了する予定。

 

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10月末の決断?

2024-10-31 09:20:07 | この頃思う事

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ご近所さんの畑で咲く「コスモス」・・・どこにでも見られる「白色」と「ピンク色」の定番の花だけれど、周辺に漂う秋の訪れを感じて・・・もう、今年も終盤だな・・・と、一抹の寂しさに襲われるのも定番の感情なのである。

 

 

 


 

 

今年も、もう10月が過ぎようとしている、余すところ後2か月。

毎年同じように感じている事なのに、「何と季節の移り変わりが早い事!」と、一層の自覚を強いられた訳で・・・ま、9月、10月と腰痛に支配された日々であったことで、予定していたことが、何事も、思うように出来なかったという思いが強い為かも知れない。

何事でも予定が狂うと次の事案に移れない・・・という悪癖を持つ私が、自らで生じさせたイライラ感で、全く行動できないでいたのもこの10月であった(それに加えて、チャリに乗ることを止めたから、自由に、気儘に、行動しづらくなった事もあるだろう)。
ここ数年間、同級生の友達から、お手製のマーマレードをたくさん頂いて重宝していたが、空瓶が溜まってしまい返却しなければと思いつつ、一日伸ばし、否、一年延ばしにしていた。
我が身の身辺を整理しつつ、空瓶返却時にお礼も込めて街で食事でもしようと考えていたものの、何故か、友達への連絡が決断できない、多分、どこかで、食事のために街に出向くのは面倒くさいな(永年その街に住んでいた友人が別の街に転居したことで、街自体に興味が無くなったのも一因か?)という感覚もあったし、同級生(元々は地元の人間で)が実家に来るようだったら寄って貰おうかなどと都合のいい事まで考えていた。
カレンダーを見て、いやいや10月も終わりではないか・・・と急に焦って来て、ようやく、同級生に電話を入れたのである。
動いて見れば、至極、簡単な事であり、彼女は「空瓶は廃棄して欲しい、現在忙しく自分の時間が取れない」と言う。
早速、今までのお礼品としてネット注文して宅配(翌日配送)して貰った・・・費やした時間は、ほゞ1日、それで終了。

その勢いで、老人施設に転居した友人に「はがき」を郵送。
実は、転居した友人は少し認知症が入り、多分、入居後の自身の様子などを世話になった知人らに報告するなど思い起こさなかったのだろうが、入居後3か月近くなるが、何の音沙汰もない(理解はしていても、多少、不満もあった)。
ご親戚の方からは電話も持たせて無いし、施設では、原則として郵便物は本人に渡さないのだとか。
ただ、私からの手紙だけは本人に渡してもらいたい旨、依頼してある・・・と言うのを聞いて、これにも、暫く決断が付かなかった。
シェークスピアではないが、「出すべきか、出さざるべきか(結構、ある事ない事をつらつら思うんですが、案外、我が身の保身で)」と、ひと月ほど考えた末に、ともかく、一度だけ手紙(ハガキだが)を出してみようと決断したのも昨日(10月30日)になってからだったのだ。

考えてみれば、ただ、自分の肩の重荷(自分勝手な判断で)を退けたかっただけ・・・だが、この決断がどう出るかは、今のところ不明。
「後のことは後で」考えればイイし・・・今はそう思っている。

さっぱりとした気分で11月を迎えたい・・・そんな気分が行動の後押しをしたみたいだ。

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9月の心残りが・・・自己満足の世界?

2024-10-26 13:27:18 | この頃思う事


9月10日撮影 「ニラの花」

今から19年前(昔風に10年一昔的な思考で行けば、既に二昔前の話)の9月に、東京での会社勤務を定年を迎えたと同時に終了にして故郷に戻った。

カッコ良く言えば、当時、一人暮らしをしていた母の老後の面倒を見なければならない・・・という口実だったが、今思うに、案外、永年の会社勤めに飽き飽きしていたからだったようにも思う。

故郷に戻って、最初に任されたのが、当時、新鮮な鶏卵を得るために(あくまでも家内消費用に20~30羽いた)飼育していた鶏小屋の管理・清掃だったが、これが、「たかが鶏小屋」と侮れない程、私に取っては重労働で・・・まず、別の空いている小屋にすべての鶏を移動し、空になった小屋の中の敷き藁と共に鶏糞を肥料小屋に集め、箒で小屋の隅々まで掃いたり蜘蛛の巣を払ったりしてから、新たに稲藁を3等分から4等分に切断して、掃除の済んだ小屋に敷き詰める、ついでに鶏糞が付いて汚れた餌箱や水飲み容器も洗って備え付け直し、元にいた鶏を移動させる・・・という一連の作業(当初、小屋は2カ所だったが、その後、3カ所に増えた)は、殆ど肉体労働から離れていた私にとっては、結構、体力と時間(疲労感も)を要した。

我が家ではその鶏のエサとして、配合飼料に「ニラ」を加味していたのだが、これが面白いことに、産卵数に結構な効果があったのである。
で、母は、畑に鶏の食糧用として(私が関与している時には人間の食糧として消費したことは無かった)結構な面積に「ニラ」が植えてあった。

もう十数年前に鶏を飼う事は止め、同時に「ニラ」も刈り取ってしまったが、その名残りが上記画像の「ニラの花」。
現在でも、畑や花壇の隅や、かつて鶏小屋があった付近で、数株の「ニラ」がまるで山野草のような面持ちで復活するのを見ると、何とも「ニラ」の生命力の強さに感嘆するのである。

 

 

9月22日 日曜日 18:06撮影

夕刻、台所の片づけをしていた時に、戸外が異様に赤い様子に不思議な雰囲気を感じて、表に出てみた。
空を見上げると、空が一面(と言っても我が家から見える空の範囲は限定的だが)夕日で赤く染まっているのに感動!
で、「今なら、赤富士が見られるかも」と思ったけれど、残念な事に我が家から他の山が邪魔をして「富士山」は見えない。
だからと言って、富士山の見える場所まで歩いて行く(5分か10分なのに)気持ちにもならない(腰痛が有ったしね)。
ただただ、赤く染まった空、それも限定された空だけれど、異世界の中のようで現実離れはしているが、何故か癒される・・・じっと見つめているうちに、体も気持ちも空に取り込まれて行くようだった。

 

そんな訳で、この2枚の写真を、もう時期外れのものだと削除することが出来なかった。
まぁ、あくまでも「自画自賛」の「自己満足」の世界に過ぎないのだけれど・・・でも、こんな風に思いを引きづる気分って、案外、悪くは無いものかも、特に、何でも過去を整理することがbetterと考えてきた私にとっては・・・ね。

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涼しい気候は、作業するには何よりだが・・・

2024-10-22 12:05:06 | この頃思う事

 

 ←キバナノホトトギス(拡大可能)

随分以前の話だが、南伊豆に「天神原植物園」という山野草の自然植物園(風?)があり、何時頃だったのだろうか、先輩友人に「サギ草」が満開だと聞いたから見に行こうと誘われて、先輩友人の運転する車で探し探ししながら(当時ナビなど無かったような)訪ねたことがあった。
ようよう、その園を探し当て、「サギ草」大好き人間だった私は、はやる気持ちを抑えながら、園内を歩き回ったけれど、いったい「サギ草」は何処に?状態で元の入り口に帰って来てしまったのだ。
よくよく聞いてみると、「サギ草」は既に咲き終わってしまったのだと言う・・・いやいや、入園する前に言って欲しいな(一応、有料)と思う気持ちが顔に出ていたのか、そこの園長さん(かな?)からお土産にどうぞ・・・と、頂いたのはこの一株の「キバナノホトトギス」だった。

あれから何年経ったのだろうか・・・鉢植えのまま植木の日陰に放置して置いた所為か、あまり清々と花を付けることがなかったので、今年は、少し日当たりの良い場所に移動してみたところ、多分、今までの内で、一番、華やかに咲いたように思えるが、果たして、来年は・・・如何に。

 

 


 

 ←10月22日現在の九条ネギ

現在、我が畑にある唯一の農産物である「九条ネギ」に、全神経を注いでいる。
とは言っても、ま、別に必死な思いで育てている訳でも無いが、ネギの手入れをするという作業が生活の指針になっている気もある。
まず、畑においては、ネギの手入れを済ませてから、花壇の草取り、及び、植木の剪定(庭にある植木程数は無いけれど放置は出来ないので)と、常に、脳細胞にはネギが優先地位を占めているのである。

昨日の段階では、明後日は雨が降ると聞いていたので、本日(22日)の必須作業となった今年3度目の追肥と土寄せをした。
現在の生育状況は、一応、手前勝手に上出来と認め、後は、11月、12月でどのくらい成長するかだが、まぁ、現状から判断すれば、そう期待はしない方がいいと見た>
これは農作業の指針(というより、最早、生活上の指針)であるから、何はともあれ、このまま枯れないでいてくれたら言う事なし・・・としよう。


朝晩など、ちょい寒!と感じる日が多くなった。
午前3時頃、余りにも寒くて目が覚めた。
「トイレに行きたいが寒いから起きたくない」「でも冷えてしまうともっとトイレに行きたくなるし」「も一枚布団を掛けて暖まりたい」など意味のない逡巡をして、ぐずぐずと決断できないのは、正しく冬の訪れの象徴。
良くなりつつある腰痛にも悪いと強制的に我が身を鼓舞して、押し入れから追加の毛布を引っ張り出してくるまった・・・その後、少し眠ったようだ、再び、目が覚めたのは午前6時だった。

ここから再々度、我が身を鼓舞して「今日は畑だよ、作業は今日しか出来ないよ」と言い聞かせるのである。
で、ようやく、農作業着に着替え、追肥用の肥料と鍬をもって畑に向かったのは午前8時近かった・・・なんとまぁ、エンジンの掛かりが悪くなったものだと、我ながら呆れている。
因みに、農作業は1時間程で終わり、帰り道にご近所さんとの井戸端会議に1時間(もっとかな?)・・・涼しくなったとはいえ、なかなか、以前のような作業は出来ないという我が身の現在を確認した次第。

朝食抜きで畑に出たので、トーストと野菜ジュースで朝食を摂り、珈琲を一杯・・・あれ、もう午前11時になっている、さてお昼だよね、何食べようかねぇ・・・

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ちょっと前向きになったかも・・・?

2024-10-16 15:01:12 | この頃思う事

 

我が家の「秋海棠」は、元々、我が家の誰かが購入したものなのか、或いは、どなたからか頂いたものなのか、全く、不明。
現在、庭のあちらこちら至る所で増殖しまくっているが、場所により、時折、「白い花」が咲くのが、お得感な気持ちになってちょっと嬉しい。






10月15日。
「腰痛完全治癒」とは言い難いものの、長い時間、中腰など同じ姿勢を続けないとか、重いものを持たないなど注意していれば、殆どの日常の作業は出来るようになった。
で・・・早速、気になって仕方なかった「九条ネギ」畑の草取りと、花壇で大きく成長して既に枯れ始めている草を始末しようと畑に出向いたのは午前8時過ぎ。
真夏では、もうこの時間帯は暑すぎて、畑など出られなかったのに随分と涼しくなったものだ・・・と、感慨深いものが有る一方、やがて訪れる冬が恨めしい気もある、何と言っても、もう暑さ寒さには抗しがたい体力という事だよね。
ま、それでも、予定していた一通りの作業を終わらすことが出来て、まずは一安心!
後は雨降りの様子を見ながら(20日前後だったら言う事なしなのだが)今月の追肥をするつもりでいる。
花壇の方は、もう急いだって意味がない作業なので、我が気分次第ってことにして帰宅する・・・午前11時だった。
今年になって3時間も作業したのは初めてかも知れない。


こんな訳で、目の前には、やらねばならぬ作業はいっぱいあるが、当面の案件(畑の草取り)が済んだら、すっかり、気持ちが楽になった。
毎度当然の如くに午後はひたすら静養で・・・「youtube」で無料映画を探したところ、睡眠するのにちょうど良い1時間半程の米国映画があり、それを見ながら(多くは、聞きながら)うたた寝をしていたが、ふと、映画の中から聞こえてくるクラシックピアノ曲が気になって・・・そう、これ聞き覚えのある曲なんだけれど、何という題名だったか?・・・思出せない、つまり何かイラつく訳でして。

何せ無料映画だから詳しい説明なんかないし、それで、我が私蔵する(知人から頂いたもの)「音のカタログ(クラシック曲が出だしだけ1分未満の100曲収められている)」を、およそ100分かけて聞きまくったが、該当なし。
それで納得することが出来ないから、映画の題名をWEBで検索したけれど、映画はヒットしたが、曲は判明しない。
ふと、思いついたのが・・・この曲は、もしかすると「ショパンのノクターン」かも?・・・だった。
それから「ショパン・ノクターン」で検索し、もう片端から聞くしかないと覚悟し構えていたところ、何と最初にヒット!「ノクターン第1番」だったのだ、あぁ神様!ありがとう・・・って感謝しましたよ、もう我慢のエネルギーが切れそうだったものね。
これで判明したのは、我が脳細胞には、かつての知識は何も存在していないという事実。

まぁ、こんな風にどうでもいいような事に、微弱になり希少になりつつある我がエネルギーを浪費するなんて・・・それでも、私としての「体力の回復」は見込みは少ないものの、「精神面(解明出来るまでしつこく追及する)は完全復帰」したと判断しましたよ(どうかな?)。

とは言うものの、私の性格上、予定した事柄を放置したままでいるのは苦痛だけれど、やっぱり、無理せず楽して、穏やかで、のんびりと暮らす方を選択するでしょうね・・・それが紛れもない現実!

 

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十月ですよねぇ~‼

2024-10-03 10:36:09 | この頃思う事

 

もう10年くらい(?)前に、同級生の友達から、一株、貰った「酔芙蓉」だが、現在、鉢植えと地植えとに増えた。
地植えの方は、枯れてもいいようにと寄せ植え的に植えた三株(当初は四株だったを密着し過ぎと、一株取り除いた)が、まるで大木のごとくに大きく育ってしまって、ちょいと扱いに困っている状況だ。
例年、根元から50cmくらいに切り取り剪定をしているが、何故か、毎年、毎年、大きくなっているように思える。




⇧:午前8時9分 撮影


 

以下は「酔芙蓉」の一日「ほろ酔い変化」


⇧:午前8時4分 撮影

⇧:午後2時57分 撮影

⇧:午後4時43分 撮影

 

 

 

10月に入り、日中でもかなり涼しさを感じるようになり、戸外の仕事がやり易くなったものの、相変わらずの腰痛(かなり良くはなってきているが、気分は一向に奮い立たない)を言い訳にして、唯々、TV(正確にはPC)の前でため息を吐いているのみ(つまり、3社も契約している配信映画も、さっぱり面白くないから)。
時折、「一日一作業」ぐらいは為さねばならぬ・・・と、庭の掃き掃除か足元に絡む雑草を取り、若しくは台所の床や廊下などの雑巾がけ(年、数回しかしないのに)等を気まぐれに手を出している。

本日は、毎週一回ある「プラスチックゴミ回収日」なので収集所に持ち運びながら(私は月2回くらいしかしない)、ついでに畑と花壇の様子を見てきたが、どうヨクメに考えても、来週辺りには草取りは必需と思われる・・・やるしかないのかなぁ⁉

 

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最近、いろいろ考えさせられて・・・

2024-09-25 11:50:43 | この頃思う事

ご近所にある畑(田圃)の土手には、毎年、「彼岸花」が咲く。
有名観光地(埼玉県にあったような?)に見られるような群生して咲き乱れる訳でもないが、ところどころに思い出したように咲いている、その多くは「赤色の彼岸花」だ。
但し、今年初めて「白色の彼岸花」が咲いていることに気が付いた、若しかすると、ご近所さんのどなたかが個人的に植えられたものかもしれない・・・何にしても、この季節には外すことが出来ない風情のある植物である。

 


 

9月24日・・・雲一つ無い(ホントは、レンズ外に雲は出ていた)正真正銘な秋の空


9月21日、明日(22日)雨が降るのは確実と予報が出ていたので、まだ、腰痛は完治していない(起床時の痛みは55%くらい収まったような)ものの、今日を逃したら、時期的にも遅くなってしまうと思い、ありったけの力を振り絞って「九条ネギ畑」の草取り・追肥・土寄せのために出向いたのが朝の6時過ぎ。

ともかく無理をせずにと、這いつくばって草取りをし、取った草を畑の脇に片付けた後、畝ごとに化成肥料を追肥、それから、鍬で少しづつ土寄せしては立ち止まり、息を整えて、また土寄せをするという具合に、何とも捗がいかない作業が終わると、もう、立っていられなくて、傍にある梅の木の日陰で仰向けに寝転び、背筋を伸ばして一休み・・・が、これから起き上がるのには、もう辛くて大変で・・・そう、叫んだところで誰も助けに来てもらえないから、両腕に力を込めて(腰に負担を掛けないように)必死で我が身体を持ち上げたのですよ。
暫くの間、梅の木の下に座り込んで息を整えた後に、重い体を引きづりながら(坂道があるからね)自宅に戻った。
時計を見ると、まだ8時にもなっていなかったのに・・・もう、我が身の衰えのみが脳細胞にインプットされる!


衰えと言えば、最近の我が周辺での出来事に、考えさせられることが多い。
まず、春に亡くなった友は幼馴染みの同級生、少し認知症が進んでしまい一人住暮らしは無理と感じて施設入居した友人は、私とほゞ同年代、脳梗塞の為に現在入院中で、遺漏を続けている先輩友人は90代半ば、ご主人(多分、80代初め)の自宅介護で疲労困憊しているのも同級生、膠原病の娘を抱えている我が姉は今年80歳になった等々、やたら頭を掠めることの何が問題かというと、年中、腰痛でヒイコラ愚痴っている私自身がすべての根源なんだと思う。
順調に老いていると承知しながら、特にこの半年間は、ホント、以前のように思うような動きが取れなかったという現実。

私自身も、それぞれの人たちも、皆、一所懸命に生きようとしている、生きていると思っているし、それは正しい事だよと認識もあるが、少し悲しい気にもなるのは何故だろうか・・・まぁ、生きるってことは簡単(容易)でもなく、思い通りでもなく、ドライに割り切った判断も取捨選択も出来るものでもないと認識している私だが、それでも自分自身の終末はドライで楽でありたいと思いつつ・・・でも、どうなるかは誰にも分からないって事・・・ま、この歳にして、いまだ迷い有り(達観無し?)という事かな。


もう来週は我が誕生月10月が来る・・・そう、更に一歩、大台に近づくという事だ。

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もう9月も中旬となってしまって・・・!

2024-09-15 15:52:31 | この頃思う事

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十年前くらい前だったか「寄せ植え鉢教室」に参加した時のもので、この植物だけが残って(これと言った世話も無しだから)いますが、未だに、何という名前かも知らない、否、調べようと思ってもいないのです。
でも、8月も終わりに近づくと、花茎がす―っと伸びて来てふんわりと花が咲く風情が、何とな~く、涼しさを感じ、夏の終焉を告げ秋の近い事を暗示しているようで気に入っているのです。

 

 


 

 

7月から8月の疲れ(ちょい大袈裟!)が、清々と解消されなくて、9月になっても、グダグダと過ごしているうちに、既に中旬(15日)になって来てしまっている。


それでも9月に入ったら・・・と、あれこれと計画していることもあった。

① ご近所友人と「月一お茶(ランチを含む)」に行く
② 老人施設に入居した友人の様子を確認する。
➂ ここ1年半程、ご無沙汰している先輩友人の近況を聞く。
④ 畑と畑の花壇の草取りをする。

と、これだけは何が何でも実行せねば・・・と固い決意だけはあるのだけれど、気持ちがさっぱり動かないのを、叱咤激励して・・・

①:日時を決めさえすれば、たとえ雨降りだって実行出来ると、ともかくメールを入れて半ば強制的に誘った(9月4日)。
②:入居の手続きをしたご親戚の方に、何時、確認電話を入れようかと迷いに迷って1週間、ようやく入居先施設の名称を知ったので、ネット検索をしたら施設は2ヵ所にあるらしい。そこで、直接電話でどちらの施設かと問うと「個人情報なので教えられない」のだとか・・・先に進む気力を一気に失う(よって未確認)。
③:先輩友人とご無沙汰していた訳は、病院にに入院したけれど家族以外の面会は不可だったからで、延ばしに延ばして一年半が経ち、如何にしても、もうこのままだと会えないで終わってしまいそうと思い、ご家族に連絡してみると、現在は見舞いはOKだが、殆ど意識的な反応は無いと言う。
それでも行くべきかどうかを、またしても悩みに悩んで、このまま放置出来ないのは自分であると認識し、結局、見舞いに行った、何度も呼びかけてみたけれど、あまり手応えはなかった(9月8日)。

実は、先輩友人の見舞いに行く前日、近所でご家族(男性)の介護をしている友達から電話が入り「SOS」と言う。
急いで向かうと、自家用車から車椅子に乗り移ろうとして時にへたり込んでしまってどうにも動かせないと言うのだ。
運よくたまたま通りかかった知人(女性)と友達(女性)と私(女性)の3人でやっと車椅子に引き上げ室内に運んだという出来事があり、その時には気づかなかったが、私自身の腰に負担が掛かっていたらしく、2,3日経ってから腰痛発作で悶え苦しめハメとなった(これは、真実、大袈裟でなく)。
そんな訳で
④:作業に掛かるのは難儀中の難儀な事であり、それでも、意地と意地(しか無いからね)を持ってして、地面に這いつくばって行ったのが10日(下記写真)だったのだ。
今月末までには、「追肥と土寄せ」をしたいと思うが・・・

 

 ←九条ネギ(9月10日現在)

それでも、自己判断ながら、かなりいい具合に成長している「九条ネギ」を見て、努力した甲斐があったよね・・・と、自分で自分を褒める。


こんな苦境の私を天の神はご覧になってか、13日金曜日(数十年前は縁起が悪い日だと勝手な事で騒いだが)に同級生から「お茶とランチ」のお声が掛かって、痛い痛いと腰をさすりながらも、ちょい滅入った気分を転換することが出来た。
いずれにしても、もう若かったかつてのように気軽に仕事も遊びも出来ないのは周知の事実となり、でも、まだ自ら楽しもうと言う気持ちが失せていない事があるだけでも喜びたい、否、喜ぶべし?

しかし、腰痛は治らず・・・起き上がる度に悲鳴を上げている、ホント、横になるのがコワイ!

 

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「台風10号」が迫って来ているけれど・・・

2024-08-29 14:12:47 | この頃思う事

雨の気配で咲き出す「サフランモドキ」の花。
一時期、庭のアチコチで咲いており(放置してても球根が増える)、結構、その華やかさを楽しんでいた「サフランモドキ」だったが、ある時から、何故か急に気になるようになった・・・そう、庭にあふれる華やかなピンク色と「この花が咲くと、絶対、雨になる」という事実に、心穏やかにはいられなくなってしまったのだ、そして、殆どの球根を処分した。
そんな訳で、現在では、処分を逃れた数個の球根が、思い出したように芽を伸ばし、やはり雨に日に、ひっそりと咲くのみ・・・ま、考えてみると、私自身、ピンク色自体が好みの色でない事と、開花と雨降りという法則のような現象に振り回されていると感じたからであり、「サフランモドキ」には何の罪もないのが明らかな事。


 


 

台風が接近しつつある秋の空と雲(8月28日撮影)

最近は、殆どTVを見ることが無い。
その理由は、ともかく放送自体が「ウルサイ!」と感じて煩わしくなるからだ。
これは正しい選択ではない・・・という認識はあるが、朝から晩まで(否、夜中まで?)危険を煽られているように感じてしまいご清聴に耐えられないのだ、歳を取ったせいかな?と思ったりもする。
そんな訳で、世間を騒がせている台風10号が、我が地方にも間違いなく訪れる気配で、気を付けるしか道がない事も明らか、でも、「どういう風に気を付けたらいいのだろう」と、この歳になっても「準備は万端」と言えないのが現状なのだ。
とは言いながらも、最大級の大型台風とかいうから、とりあえずコンビニで、インスタントラーメンやカップ麺(令和の米不足もあってだが、常時では用意したことも無い)を購入し、冷蔵庫内に飲料水を多めに保管した、後は天に祈るのみ。

       7月中旬に植えた「九条ネギ」の8月末現在の姿

そうそう、台風が来る(つまり雨が降る)というので、乾ききったネギ畑にも多少の潤いがあるだろうと、雨が降る前の畑に大急ぎで向かい、目立って来た雑草をイイ加減に引き抜いてから化成肥料を追肥して土寄せをした。
7月の酷暑の中での植え替えは「ダメ元」で良し・・・と考えていたから、現在のネギの状態(上記写真)には、かなり満足している、これから気候が落ち着いたら成長するだろうと思う、次の追肥は1か月後の予定。。

今日(8月29日)は朝から雨降りだが、時折、陽が出たりもしている、変な天気だ。
台風による本格的な雨降りは今夜から9月2日頃迄らしいが、何しろ、台風の速度が自転車並みだそうで、まだまだ、落ち着けそうもないが、「九条ネギ畑」の懸念が消えた事だけでも良い事としよう、つくづく、我が行動力に(思考にも)、エネルギーが不足している感、大いにあり・・・で、台風対策は何もしていない。

 

コメント (2)
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