IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

おばさん二人中国紀行(後記)

2008-09-11 18:46:15 | 旅の足跡

1988年4月・東京で
―ラサでの入院(1/3)・・・Wさんの手記より―

1986年7月24日、初めて西蔵(チベット)の地を踏む。
それから2年近く過ぎた。
日常生活に追われ埋没している今、西蔵に対する憧れは、西蔵を訪ねる以前より、ますます強くなったように思う。
西蔵に対する思い入れ故に、西蔵での自分の気持ちを、今、書こうと思うと、全て嘘になってしまいそう・・・。
そこで、西蔵での忘れ難い体験談、「ラサの病院に入院」した事について書いてみよう。

拉薩(ラサ)滞在も残すところ2日になった夜、生まれて初めてといっても大袈裟でない程の下痢に見舞われ、七転八倒・・・・眠れないまま朝を迎えた。
原因は・・・と考えると、毎日毎日食べ続けたスイカか、それとも、昼間、写真家の大先生(日本人)からご馳走になった青麦の酒(チャン)のためか・・・タダ酒と思う故、たいして強くも無いのに飲んでしまった卑しさ・・・はたまた、喫茶店で食べたヨーグルトか・・・北京で食べたヨーグルトのあまりの美味が忘れずに飛びついてしまったのだが・・・そういえば、あの店、冷蔵庫から出してくれたけれど、電気コードがはまっていなかったし、味もかなり異様だった。

朝になり、Yさん(同行者)がいろいろ治療法を試みてくれたが、貴重なる梅干が入った白湯さえ吐き気を催すほどである。
入院という最悪の事を考え、Yさんは銀行へ走った。
私はベッドで寝て居ても、どうにも我慢がならず、這うようにして服務員の所へ行き、医者に診てもらいたい旨を伝えた。
この場合、へたな言葉より、その顔色が苦しさを伝えるのか、都市以外では車をチャーターするのが非常に難しい中国で、速やかに車が手配された。
その上、運転手の外に、二人の男女服務員が私に付き添って病院まで行ってくれるという。

病院までの道すがら、今にも吐きそうな気分のくせに、同行の三人に対して、何とか感謝の気持ちを伝えなくては・・・と、乏しい語彙の中から「ありがとう」を探し、尚且つ、「ラサの高度は日本一の山と変わらない」なんて事まで語り続けた。
もしもその為に、私が車の中で吐いてしまったら、もっと迷惑が掛かるというのに・・・間違ったサービス精神なのだ。

病院での挂号(受付)を同行の服務員さんが済ませてくれ、いよいよ診療室へ・・・女医さんである。
先生、まず、私に紙を持っているかと聞く。
はぁ?・・・何の事か分からない。
てっとり早い方法として「没有」と答えた。
すると、先生は傍にあった紙を折りたたみ袋状にした。
そして、「これで便を取って・・・」と言う。検便である。
一瞬驚いたが、女性服務員に付き添って貰い、外にあるトイレへ行く。
戸外にあるトイレは、例外なく、仕切りは無し・・・。
この形式のトイレにも、すっかり抵抗感はなくなっていたが、ただ、憔悴している体には、どこにもすがる所の無いのは辛いものだ。

無事、検便を済ますと、又、別の診察を受ける。
そして、しばらく待つ。女性服務員が、自分の上着を脱いで、私に掛けてくれた。
体も気持ちも弱っている時、何気ない心遣いがジンと響く。
多量の薬を渡された後、入院の必要ありと宣告された。
お金の支払いは別の場所で、再び車に乗って向かう。
入院の保証金として300元必要だと言う。
財布を逆さに振って、やっと支払った。
300元(当時のレートでは12.000円程)と言うのは、一般人民にとっては大金である。
医療面にも、外国人料金が、すっかり行き渡っているものと察する。

払い込み事務手続きに、又、時間を費やし、ようやく入院病棟へ・・・ところが、ただ今、昼休み中。
病棟の門は閉まっており、門番の子供は服務員の説得にも拘わらず、頑として門を開けようとしない。
そこで、こちらも実力行使と、柵を乗り越えて鍵を開けた。

ここまでに費やした時間は1時間半、診療時間は10分。
私が重病患者だったら、とうに死んでしまっているだろう。(次回へ続く)

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郷愁のおばさん二人中国紀行(64日目)

2008-09-11 08:04:04 | 旅の足跡

1986年9月11日(水)
―北京より帰国の途へ―

タクシー代(市内~空港) 45元
(レート 1元=約42円)

Wさんは、しばらく、北京に滞在する。
私は、本日、帰国。

飛行機は来た時と同様に空席が目立つ。
一時に比べて、中国旅の熱が落ち着いて来たのだろう・・・今回の旅では、あまり団体の日本人観光客に出くわす事が無かった。
隣の座席には、北京に単身赴任をされているご主人の、お見舞いに来たというご婦人、何度も北京に来ているらしい。
彼女、「北京は何もありませんね。お買い物も楽しくなくて・・・ずっとお部屋に居りました」と話す。
そうね、確かに、いわゆるブランド商品が並んだ店は無かったし、ウィンドショッピングを楽しむような通りも無かったかも知れない。
でも、奥様、北京の街を、ゆっくりと散歩をして見ました?。そこには、日々を一生懸命生きている人々が見えると思いますよ。
それを見つけると、体制を超えて、何かほっとしたものを感じます・・・あぁ、みんな頑張ってるなぁ・・・私も、もうちょっと頑張ってみるかな・・・私は、そう感じました。

それに、この旅で出会った人たち、地元の人、通りすがりの人、すれ違った旅人、中国人、日本人、香港、パキスタン、オーストラリア、ドイツ、フランス、etc・・・ただ座って待っても、出会うことは無い人たちだ。
出会った事の偶然を楽しんだ旅だった。
出会えた皆さん、お世話になった皆さん、ありがとう。
何より旅を可能にしてくれたWさん、ありがとう。
お疲れ様でした・・・そして、Oさん本当にごめんなさい。

夕刻、成田空港に着陸。
リムジンバスで東京駅へ・・・運転手が道路の混雑状況を無線で連絡し合っている・・・話の内容が分かるのが、いやに耳に障って、煩わしく感ずる・・・中国旅ではBGMだったものなぁ。

午後8時、我が家に帰宅・・・これにて「おばさんにも出来る地球の歩き方・中国編」は終了となる。

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