多分、「さざんか」だと思います。
花は、かなり、優雅な姿なのですが、すぐに、あまりキレイでなく変身してしまうのです・・・元来の姿なのか、手入れが悪いのか・・・きっと、手入れが悪いのですね
少し真面目(罪の意識で)に「世界遺産」を研究してみたが・・・ウマく行かないものですねぇ
いろいろ、「余計な事」をしているのです。
自分の、「本来すべき事」が、何であるかさえ把握してないから、「余計」と「本来」の区別を付けられないこともあって、「私がやらねば・・・」という思いだけに駆られているのですね。
そもそもは、先日の書道教室の日、先生の都合が付かなくて、会議に代わりで出席してくれないか・・・という要望に、すぐさま、「私も用事があるから」と断った事がシコリになっていて・・・
この件は、先生からのお願いであって強制ではないのですから、断る事自体には、罪の意識も後悔も持つ事はないのです。
ただ、その理由に「用事がある」と言った事に、罪の意識(大げさです・・・ちょいと、心が痛む程度なのです)を感じるのです。
そう、実は、用事は無かったのですよね(その時点では、用事は、まだ確定ではなく、結果的にはキャンセルとなった)。
受けられた筈なのに・・・私の悩みの根本は、何時も、こんな事が理由なのですね、単純なのですよ。
何時も、「やって出来ない事はない」という状況にあるから、断った後の後味の悪さを考えると、受けた方が、よほど、気分がイイ訳なんです。
長年、ず~っと、そうして来ましたが、今年の強度の落ち込みは、また、そうした事が原因だったから、「もう、余計な事は止めよう」と思っていたのです。
しかし、断った事がこんなに吹っ切れないならば、ホント、「自分の心に従う方が楽だ」と感じてしまう訳なのですね。
で、肌寒いながら、静かな雨の日曜日(私には、日曜も、月曜も関係ないけれど・・・)、TVの音を消し、屋根に当たる雨の音をBGMにしながら、またしても、余計(かも知れない)な事に取り組んでいるのです。
昨日、悪戦苦闘した「差し込み印刷」もその為ですが、ただ、唯我独尊的傲慢さが為せる事なので、文面に、一筆、加えました。
「何か不都合がありましたら、どうぞ、私にご連絡下さい」・・・それで、責任の所在を表明したつもりでいるのです。
つい最近まで、この「さざんか」の回りも、草に覆われていて、花が咲いているのさえ分からないくらいでした・・・ゴメンナサイ!