IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

約束の「瀧山寺」に行きました!

2017-04-16 09:02:37 | この頃思う事

岡崎市滝町の川沿いにある「桜」は、満開を多少過ぎていますが、はらはら(残念ながら風の為せるワザで・・・)と舞い散る風情を存分に楽しむ事が出来ました・・・この街には、屋敷脇や道路端に桜の木が、ごく自然に見られるのですね、とても良い風景だと思いました。

 


 (瀧山寺パンフより転載)

目的であった運慶・湛慶作の鎌倉仏、写真左から・・・帝釈天、聖観音、梵天の三尊像(重要文化財)です。


運転免許返上した友人と、「岡崎瀧山寺・鎌倉仏三尊像」を観に行こうという約束をしていたのですね。
で、その約束を果たすために、豊橋(新幹線)経由東岡崎(名鉄)に出掛けました。

友人は、かつて、関西に勤務した時代に、休日毎、奈良、京都のお寺参りをして以来、仏像好きになったのだそうです。
友人との40年程の付き合いのお蔭で、連れだって出かけている私も、仏像を尊崇とまではいかないけれど、彫刻として興味を感じるようになったのです。

何故、この鎌倉仏に興味を感じたかと言うと、写真の如く、実に鮮明な彩色が未だに残っている・・・からでした。
元来、どの仏像であっても、彩色されていたと聞いていますから、色があっても不思議ではないけれど、この鮮明さはどうしてなんでだろう・・・と思っていたのです。
友人は、私のような罰当たり者では無いですから、仏像の持つ「慈悲」であり「憤怒」であり、そのものの理解をして、その上、更に彫刻としての「美」も理解する感性を持つ人だから、ひたすら、その「美」に触れ合いたいという強い思いに、私も乗ってみました。

何故、彩色が・・・という疑問は、江戸時代だか、明治時代だかに、塗り直したのだそうです。
そうですよねぇ・・・と、納得しましたが、其々の仏様の肌の色に違いが見える事から、元の彩色とは違うかも知れないというお話でした。

実際に「尊崇対象仏像」として市井にあるものは、「文化財」としてよりも、より「崇拝出来得る」像に直したとしても、非難の対象にすべき事ではないと、私は思うのですね。
プロ写真家が撮った写真とは違う雰囲気だった事に、多少落胆はあったけれど、この件は、致し方ないことでしょう。
でも、私自身は、彩色があっても、無くなっても、それなりの美しさがあると、仏像に限らず、何時もそう思って観ています。

 豊橋では、当然の如く、「ちくわ」をお土産に買いました。

友人は、途中下車して、浜松のお寺にも寄りたい・・・と言うのですが、私は、「今日は、喫茶店にでも寄って、この街を楽しみましょうよ。先(寿命の)が短いからといって急ぐことはないと思うし、また改めて、浜松に出掛けたら良いと思うよ。その時は、私でなくても、別の人を誘ってみるのはどうかな?、一人旅(日帰りツアーとか)にも挑戦してみても良いのでは?、ツアーは嫌と、今、自分が思っている事とは違う反応が有るかも知れないし・・・」と話したのです。
勿論、友人とは、これからも、何件かの約束がしてあり、私は実行する積りでいますが、毎回毎回、友人の希望を叶えるお供は無理だし、私自身が、友人と同じ感性を持っている訳では無いのですから・・・。

お互いに縛られない自由な感性でいられるためにも、個々での自立した行動は必要だと考えるのですね。
自立というのは、大げさな出来事をいうのでは無いと、そう思う私ですが・・・如何?

 


 

コメント (8)
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