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昨年(?)だったか、以前の半分ほどの大きさに剪定した「金木犀」に、今年も多くの花が咲いた。
香りには、好き好きもあろうけれど、秋空には欠かせない香りだと思っている・・・一枝、両親と妹の写真の横に
飾り、秋を報告する。
秋も深くなると、山々の動物たちが冬支度を始める。
我が家周辺では、季節を問わず、イノシシが大忙しのようだ。
家の敷地内に、以前は、小さいながら畑を耕して、当座に間に合うよう野菜を作っていたが、収穫時になると、野生の小動物に食べられてしまうようになったので、野菜作りを止めて、草畑となっている。
それでも、イノシシが山から這い出て来て、かろうじて植え残っている「コンニャク芋」の地面を掘り荒らして行くのだ(芋を狙ってでなく、ミミズを探しているらしい)。
目的のものが手に入らない腹いせ(という事ではないだろうが)に、庭木の中や花畑の柔らかな地面を漁り、掘りまくって去って行く・・・ホント、毎度の事ながらも、その穴の埋め戻しの度、ため息を付いている。
でも、我が家周辺の農業従事者(そのすべてが農業収入で暮らしを立てている訳でもない)の山に近い畑では、その被害は甚大なものらしい。
たまたま、ご近所さんと井戸端会議をしていた時、山の畑から戻って来た人が我らの輪に加わって言うのには、このまま放置して置けず、畑の周囲に電気を流すよう設備をしてきたのだそうだ。
ご近所さんもその人も、イノシシ(他の小動物もいるだろうが、元凶はイノシシ)被害を被っているし、私も多少であっても被害者で、あれこれ対策を話したりしてはいるものの、ただ私は、個人的に防御するのには限界があるように感じる、もっと行政で本格的に共存対策をせねば・・・と話した。
他の知人も、植えても取られ、植えても取られの繰り返し・・・で、畑での耕作は止めたと言っていた。
里山を開発して人間が移り住み、必然的に、野生動物は人間社会に飛び込んでくる。
だから、イノシシ等を何とか始末せねばならないと考える。
でも、たとえ迷惑な(人間にとって)イノシシを全滅に追い込んだとしても、大自然は、また違ったサイクルに人間を取り込むだろう事は、まさに「想定内」の出来事なのだ。
人間と野生動物のセメギ合いは、世界中、どこにでも存在するだろうが、多分、何処でも、双方に都合の良い(と言うものの、本音は、人間にとっての都合を優先?)解決策はないのでは思うが・・・如何?
今、我が家では、屋敷内の畑は放棄し、ちょい山からは離れた畑で自家消費用野菜作りをしているが、やはり、日々の目が届かない場所では、ついつい、手抜きが生じて、思うような収穫が出来ない。
この地に住んで七十有余年、時代が進む毎、利便さは改善・進歩・発展しているだろうけれど、悲しい哉、実際の我が家に於ける住環境は、年々、悪化しているように思える・・・そう、小売店は無くなり、公共交通手段も無く、野生動物が跋扈するし、畑も耕せず、周囲の山は荒れ果てて太陽光を遮り・・・ホント、これを嘆かずして何を嘆くか・・・まぁ、そう言いながらも、悲観論は横に置いて、こんな環境でも楽しめる事を探し続けている。