IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「備える」事とは・・・

2022-09-20 12:35:32 | この頃思う事

 拡大可能

我が家に至る道の脇にある竹藪に、数年前から気になっている山野草がある。
最初に、この花を見つけた時には、何かとtも良い香りが漂っていたように感じて、花に近づいて匂いを確かめたりして、若しかすると、「ジャスミン」の原種ではないか・・・なんて勝手に想像していたが、どうやら、日本中に自生しているという「センニンソウ」のようだ。
驚くことに、花や茎の汁に毒があるのだという・・・やあらあちこちで見られるのに、何に対してそんなにも防衛しているのだろうか・・・と、ぼんやり考えた。

 


 

 

9月に入ってすぐに、我が地区でも「地震発生に伴う訓練」を行ったが、私は参加しなかった。

「新型コロナ」に関しても、すでに発生から3年も経っているというのに、やけに、危機感だけが脳細胞にインプットされてしまい、未だに、身動きが取れないという人もいる中、私は、出かける機会を作り始めている。

先週から今週にかけて、類まれな(と言われている)大型台風の接近が、日本列島定番コース的に移動しでおり、当然、我が地域もその真っ只中に位置しているが、我が家(私の家)では、とりわけ対策もしていない。
普通の人間であれば、その備えをするのが当然で、その行為を笑うことも非難することも不当である。

が、私だけの存在に限って思うには、我が命をおろそかにするわけでもないが、どう考えても、この先十年がいいところだろうと推測して、では、その十年は何のために生きるのだろうか・・・という考えにも至る。
では、生きる理由が見つからないからおさらばするかとは思わないものの、ここで我が命が途絶えたとしても、何の不都合も生じはしない・・・という思いもある。
数年前に母を見送ってからは、ある程度(どこまでをある程度と定義するかはそれぞれだとして)の危機も想定内(有っても仕方ない)という考えになっている私である。

ま、何を言いたいかと言えば、「備えあれば憂いなし」に違いないが、余りにも「備え」に執心し危機排除に努めても(コロナも含めての災害時に、自分が出来る範囲で備えをしていても)危機感は拭え切れず、外出もできずに不安な状態にいることが切ないと思うのである。
それぞれにその理由を問えば、もっともな事と理解はできるが、何につけても、常に危機感に囚われている状況は苦しいと思うし、我が年齢ともなれば、何か少し限度を受け入れてもイイのでは?とね・・・すごく楽に生きられるような気がするのだ。

まぁ、危機感を持っているからこそ、「人間と言う種」が地球上に存続しているのかも知れないが・・・だからと言って、この上ない素晴らしい環境でもないし・・・なぁ。


 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする