我家の屋敷内に咲いた「彼岸花」
いやいやいや、何としたことか!
全く、頭が回転しない。
目の前にある事だけは、片づけなければどうにもならない・・・と、何とか維持しつづけて来たが、わが身の事になると、全く、気力が出てこない。
洗濯もしたくないし、食事の片付けも嫌だし、浴槽を洗う事も面倒だから、自分自身はシャワーで済ませたいし、まして、創造性のある考えなど浮かぶわけも無し。
この病い、以前から、度々、発病している事なので、特別、意識はしていないものの、同居人があると、そう、気ままにしている訳にもいかず・・・。
嫌々、行動しているから、一層、嫌になる・・・またまた、現実逃避のDVD漬け日々を過ごしていた。
で、はっと正気に帰ったら、今日は9月30日。
残り少ない我が人生を、こんな無駄な時間に費やして良いものか・・・なんて、ちょっと、目覚める。それ自体が意味はないことだが・・・。
家の周囲を眺めてみると、やっぱり、9月も終わりという感じが、そこここにある。
昨日まで気づかなかった(否、目が死んでいるから、脳にインプットしなかった)彼岸花が、庭の片隅で、すくっと、存在を誇示している。
それを見ていたら、「もう、私には、存在を誇示する時も場所もないなぁ」なんて、落ち込んでしまった・・・病いの最たる症状だ。
9月の書道教室が、27日に、一回だけあった。
宿題ではないが、通常は、数枚乃至十数枚の復習をして、1、2枚を、清書として提出をしてきたが、この日に提出出来るものはない(当然!)から、以前に書いたものを、如何にも、今、書いたような顔をして持って行く・・・こんなだもの、上手になんてなる訳ない(これも、当然!)。
この教室では最高齢の先輩の、二作品を拝見した。
つくづく、ひたすら前向きで、人生を楽しまれている先輩の姿に、我が身の不甲斐なさを認識させられるが、ちょっと、前向き気分を貰えた気がする。
10月からは、この低迷から抜け出すことを目指そうと、今、思っている(この「思う」というのが、一番、怪しい感覚だなのだ)。
今日は「十五夜」、中秋の名月は・・・台風が上陸するとかしないとか・・・きっと、無理ですね。
先輩の力強い文字に、私は「力」を貰っています