庭の花が、そろそろと増えてきました。今年は、やたら、春が待ち遠しくて、花を見つけると、ホッとします。
する事が無いと、何とな~く、何時も食べている(その証拠に、体重が、この3か月で5キロも増えた)。
雑用をしてあげた知人から電話が来て、「お礼にランチを奢る」という。
お礼を貰う程の事でもないし、お腹も空いていないから、「軽くなら・・・」と言ったら、「きちんと食べたい」と言う・・・多分、私を慮って事だと推測する。
何しろ、することが無いのだから、行こうという事になった。
知人は活動的な人で、じっとなどしている性格ではないから、当然、近場のファミレスでの食事では無い。
車を飛ばして来たちょいと遠出の「レストラン」でランチを頂きながら、マスカラまで使って、しっかり、キチンと化粧している知人の顔を見ていた。
ま、これは「当然の事」なのだろうが、一方、私は、ノーメイクの上、体重増加の為、着られる服がなくて、イイ加減に羽織ってきただけで・・・
傍から見たら、オカシな連れと思われているかも・・・と、自分でも思う。
で、思い出したのが、先日、新聞で読んだエッセイだったか・・・ジムの帰りに「お茶」に誘われて、スッピンだからと、ちょっと迷ったけれど、行ってみて後悔したという話だった。
そこは、「お茶する」には、素敵な場所だったそうで、それなりの装いで来なかったため、寛げなかったというのだ(自分自身がそう思っただけで、だれに指摘された訳ではない)。
もう一つの話、毎日、TV(TVばかりでないが・・・)では、「アンチエージング」「エイジレス」「ホウレイ線」「白髪」等々、老化を現象を否定するようなコマーシャルに、私は、ウンザリして(更に、イライラしてきて)、その場面になると、チャンネルを変えてしまうのが常である。
私がオカシイのだろうか・・・自分の至らなさを指摘されている気がして、無意識のうちに、拒否反応をしているのだろうか・・・
確かに、「キレイ!」と言われる方が「キタナイ!」と言われるより、気分が良い事は分かっているつもりだ。
ただ、何故、ノーメークは恥かしいのか、何故、男性のノーメイクは何も言われないのか、何故、老いがキレイでなければイケないのか・・・そう思う。
私自身、スッピンに自信がある訳ではないから、これらの事には、承知・納得しているけれど、時には、声を出して「反発した~い」という衝動が起きてくる訳でして・・・
「老い」も「キレイ」も、見かけでの判断をしないで、人として生きてきた証しでとらえたいと思うのは、理想というか夢想というか・・・だわな。