IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

これも一つの楽しみ方と・・・

2015-05-21 20:10:47 | この頃思う事

  

「東慶寺」境内の宿り木?「風ラン」かな?と思いましたが、ホントは分かりません・・・スミマセン。


 

鎌倉で調達したいものがあったので、どうせ行くならと、友人を誘ったところ、即答で、「行く」と乗って来た。
「東慶寺の水月観音を見たい」という希望で、早速に、ネット検索したところ、予約が必要とある。
で、電車の都合やら何やら考えて、午後2時30分に予約した。
のんびり出発し、現地で昼食を取っても良いし・・・と、それを友人に知らせたところ、「横須賀に運慶の仏像があるので、そこを先に見たい」と言う。
時間さえ大丈夫なら、それも良し・・・と、三島発8:33に乗車して、まず、横須賀に向かった。

横須賀駅に着いてから、さて、どっちに向けばいいのと、友人が持って来たガイドブックを調べて貰うと、徒歩15分だという。
歩いても良いけれど、なにせ、真夏のような暑さだし、友人も車に乗る人だから足も心配だったので、タクシーで行くことにした。
お寺の名前を言っても、運転手さんは分からないようで、結局、住所をナビにインプットして向かった。
行けども行けども姿(お寺)は見えず、どの位走ったのか(料金は3700円くらいだったかな)、漸く、目的の寺に到着した。
徒歩15分というのは、一体どこからだったのか・・・

いやいや、見たい会いたいと、何とまぁ、遠くに来たものだと思いながら、寺に拝観を申し入れると、予約が必要で、今日はダメだと言われてしまった。
無理強いはしたくないから、すぐ、バスで逗子駅に向かう。
友人は、「私がよく調べなかったから悪かったのだ、無駄足させてゴメンね」と頻りに謝るが、私は「ゼンゼン、全く、構わないよ。今日は、横須賀をドライブ出来たから、それも楽しかったしね」と答えた。
でも、そのお詫びにと、その後の経費(昼食は除く)を、一切、友人が支払ってくれたのだ・・・こちらの方こそ申し訳ない気持ちなのに。

私は、用意周到は好みでないし、ま、旅でのハプニングは、あっても当然と思い、それを楽しむ事に代えてしまうのが得意だから、何の不満も無い。
が、友人の気持ちは、素直に受け取った。

      本日の主目的 東慶寺水月堂 「水月観音菩薩半跏像」・・・東慶寺絵葉書から転載

そんな出だしだったが、再び電車で「逗子」から「鎌倉」に、「鎌倉」からは「小町通り(私の用事のため)」「昼食(ビール付)」「東慶寺」「円覚寺」と徒歩で回り「北鎌倉」に、そして、横須賀線、東海道線と乗り継いで、「三島」に戻ったのが午後5時半。
私は帰宅制限時間が無いし、友人も、今日は炊事当番がいるからというので、友人お勧めの「蕎麦店」で、夕食(これも奢りで)をとった。


          「天蕎麦とビール(今日は2杯目)」  

遠出した割には、のんびりと出来た1日で、こんな鎌倉の楽しみ方も面白いよね・・・と、友人と語り合った次第で・・・友人は80歳を超えている。
さすがの私も、負けを認めざるを得ない程の、バイタリティの持ち主である。

 


 

  

同じく「東慶寺」の切り通しに群生する「岩タバコ」・・・蕾はたくさん見えますが、開花するのには、まだ時間がかかりそうです。

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「ボランティア」をするとは・・・

2015-05-20 09:02:46 | この頃思う事

  

 「コガクウツギ」だと、思っています・・・荒れた竹藪の中にありますが、束の間、優雅な気分にさせてくれます。

 


 

昨日の新聞で、74歳女性の投稿された文の中に、「傾聴ボランティア」をしていると載っていました。
お年寄りの話を、じっと、聴いている・・・という事と思います。
知人にも、このボランティアをしている人がおりました(数年前に聞いた事だったので、現在も続けているかは分かりませんが・・・)。
知人は、ホントに、良く出来た方(お世辞ではありません)で、他人を怒らせる事なんて無いのだろうと思える程、穏やかな人なのです。
きっと、打って付けの活動だろうな・・・と、納得していました。
他人の話を聞きたくない私には、絶対(世に絶対は無いと言いますが、この件に関しては、絶対です)出来ない事だと確信出来ます。

仕事も辞め、母の介護も終わり、何の拘束も無い時間が余る程ある現在、私は、何をすべきなのだろうか・・・と、よく、考えます。
年一回だけの「ごみ拾い」と、年二回(草取り・水遣りを含めると年間15回程)の花壇植替え・・・「ボランティア」等とは言えない程度の事に行き詰っているのです。
ある人から、「お金を貰わない仕事なんて馬鹿らしい」と言われた時、「ボランティア」は、金銭の問題で無く、心に余裕が無いと無理なんだと思いました。
余りある時間を退屈しながら過ごしている私自身、目的(生き甲斐?)を見失っているのですね、心に余裕が無いのです。

「ボランティア」を楽しんで・・・という気持ちと、仕事を受けた以上は責任がある・・・という気持ちがせめぎ合っています。
大体は、「責任」が優先します。
多分、まだ、「仕事に係わりたい」という思いに、未練があるのかも知れません。


もう70代は目の前です。
冒頭の女性のように、私にも、気負わないで出来る事はあるのでしょうか・・・

あまりにも、「自由」過ぎるから、こんな事で、悩んでいられるのです、そう、実感しています。

 


 t 

 正真正銘の「ウツギ」です・・・蕾から開花するまで、結構、楽しめる花ですよ。

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珍しく「詩」に興味を・・・

2015-05-19 07:48:13 | 晴耕雨寝

 

  友人(ホントはご主人が・・・)が畑に植えた「麦コスモス(麦なでしこ?)」・・・風に揺れる姿に、しばし、足が止まります。

 


 

 何日前の新聞だったか・・・今日、相変わらずの斜め読みをしていると、「長田弘さん 死の前日、最後の言葉」の見出しの上に

日常愛とは、生活様式への愛着です。
戦争や災害の後、人は失われた日常に気づきます。
平和とは、日常を取り戻すことです。

という言葉が掲載されていた。

私は、全く、文学的センスも素養もない(自慢にならない!)ことは周知の事実だ。
時折、「山頭火」や「放哉」等の俳句は齧ったりするが、「詩(ポエム)」に関しては、無知も同然であると確信している。
が、新聞のこの言葉を見た時、ガ~ンと、何かに打たれた感じを持ったのだ。
突き動かされるように、amazonを開いた。
「長田弘全詩集」(みすず書房)を探した・・・が、「一時的に在庫切れ;入荷時期は未定です」。

何なのだろう・・・と、自分でも不明だが、そうなると、どうしても読んでみたくなる。
市の図書館を探ってみようと思っている(自分のPCからネット検索できるので・・・)。

「言葉」の怖さは、十分、勉強もしたが、「平和とは、日常を取り戻すことです」という、言ってみれば、当たり前の言葉に引寄せられたのは、この当り前の事が、当たり前でないからかも知れない・・・という事なのだろうか。

 

雨の日の朝、「さて、今日は何をしようか・・・」としか考えないノンキなオバサンだが、時折、目が覚める刺激を受ける事に気づくのは、まだ、少しは、社会性が残っていると、好意的解釈をしたい。

 


 

      
  

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オバサンたちの「昼食会」

2015-05-18 07:35:12 | この頃思う事

 

 何年か前、「寄せ植え講習会」に参加し、一鉢というか一籠というか、何種類かの花を植えた籠を持ち帰った。
 その内、草花は、当然、朽ち果ててしまったけれど、一種類だけ残ったものと、園芸店で買ったものとを合わせて植えて置いたら、同じような花が
 咲いた・・・案外、同じ種類だったのかも知れない。

 


 

5月16日、朝。

畑に植えなおした「バラ」に病気が付いたのか、元気がないので、毎日、顔を見に出かけている。
今朝も、「バラ」の様子や畑の草の状態を見て帰宅しようとしたら、ご近所さんから声が掛かった。
勿論、人生に於いても、学生時代に於いても、農作業に於いても、すべてが先輩のご近所さんであるが、私が、故郷に戻ってから、真に気さくに声を掛けてくれる。
だから、私も、調子に乗って、幼馴染みのような、同級生のような気持ちで、付き合わさせて貰っている。

先輩ご近所さんは、「このところ、自分の体調が悪くてどうしようも無い状態だったけれど、もう立ち直ったから、今日、お昼でも食べようよ。私が作るから、手ぶらで来てね」と、誘ってくれたのだ。
当然の如く、「あら~嬉しい! 今日は(ホントは今日も・・・)冷蔵庫がカラだから、お昼が無かったの」と、私は答えた訳で・・・

ま、手ぶらで・・・と言われても、ホントに手ぶらでしか行けない私は、先日、上野・東照宮で撮った「牡丹」をプリントして持参した。
彼女の指示に従って、食卓の用意をしていたら、他の方々も集まってきた。
60代後半(というより60代終了寸前)の私が一番の若手で、後は70代3名、80代1名、計5名。

「焼鮭を混ぜたおにぎり」「里芋の煮っころがし」「採り立てソラマメの塩茹」「レンコンとシメジのきんぴら」・・・まだ、有ったような・・・メインは「春キャベツのお好み焼き(イカ・小柱の2種)」、そして、私用にと「白ワイン」も用意してくれた。

なかなか、諸先輩方々のお話が面白い。
嫁に来たら小姑達が7人だか8人がいて騙されたとか、川でしじみを取って食べたとか、呑兵衛オヤジに手を焼いたとか・・・愚痴ではない笑い話的に語る面々が、実に爽やかだし、精一杯頑張ってきたという誇りすら感じる。
私にも、「うんうん、そうだったよねぇ」と共感できるものもあり、ホントに、気晴らしの出来た時間だったし、何より、飲み放題だったし・・・ね。
お誘いくださった先輩と私で、2本のワインを空けた。

あ、ご心配召されるな、大丈夫、大丈夫・・・さすがに、意識不明にはなれませんよ、その位の常識は持っていますから。



  

  玄関入口に鎮座している名も知れぬ(聞いたけれど忘れた)花だが、結構、気に入っている。

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TKさん講義其の二、「15代将軍 徳川慶喜の決断」

2015-05-17 00:45:55 | 三六趣味の会便り

  

      徳川慶喜(左側)と本人が撮った写真(右側)



(15代将軍 徳川慶喜の決断)・・・36会TKさん講義から


少し寄り道をします。
元々、この国は天皇(朝廷)が治めておりましたが、それぞれの地方を治める武家達が力をつけ、武家が国を治めるようになり、その本元が幕府と名付けられました。
江戸幕府とは、武家が治める主なる政府といったところでしょうか。
しかし、江戸幕府といえども、全国すべてを直轄していた訳ではありません。
ここが歴史を見る上でポイントになるのかなと思います。

幕府直轄の代表的な所では、横浜、駿河(静岡)、大阪、京都、長崎。
御三家と呼ばれる紀州徳川家(和歌山)、尾張徳川家(愛知)、水戸徳川家(茨城)等です。
その他の地域は、他の大名が直轄していました。
主な大名を挙げますと、仙台:伊達家、 彦根(滋賀):井伊家、赤穂(広島):浅野家、長州(山口):毛利家、 福岡:黒田家、薩摩(鹿児島):島津家、土佐(高知):山内家といったところでしょうか・・・

会社組織で考えると、もっと分かり易いかも・・ですね。
代表取締役社長・徳川さん、取締役・親戚の御三家の徳川さん。
ロクな権限もない役員・・伊達、井伊、浅野、毛利、黒田、島津 山内
こんな感じでしょうか・・・以上、参考までに。


さて本題にはいります
善意をこめて、徳川慶喜を見てみましょう

慶喜は1837年 水戸徳川家、徳川斉昭(なりあき)の七人目の子として、江戸の水戸藩邸で生まれました。

徳川幕府は歴代15人の将軍がいました。
最後の将軍、徳川慶喜を考察する上で重要な事は、歴代将軍の中で、これ以上ない最悪の時に将軍の座に就いた事です。
将軍としての在籍期間は、わずか1年でした。
まさに風雲、急を告げる状態であったことを考慮する必要があります。
一歩間違えれば、国が植民地化されるかもしれない、大変な国難の中での舵取りを任されていた事を認識して頂けたらと思います。

たとえ家康であっても、舵取りは困難を極めたであろうと想像されます。
時代が動く大きなウネリの中で、国内の勢力だけでなく、目の前には大国の力が見え隠れしていた訳ですからね。
1853年のペリ-来航で、日本の政治は混乱期に突入。
当時、江戸幕府は鎖国を続ける道を探っていました。
幕府は、欧米諸国がインド、中国を植民地化した事を知っており、その外圧に屈し、開国の道を歩み始めたのですね。

1862年、慶喜は将軍の後見職を命じられ、将軍を補佐し、欧米諸国や朝廷との複雑な交渉に奔走し、幕制改革にも力を注いでいました。
この幕制改革には、フランス公使ロッシュの軍事援助を受けながら、衰退の一途をたどる徳川幕府の権力強化を図ったのです。
ここで注目すべき点は、幕府はフランスの援助を受けていたという事実です。
援助額を増やしてもらい、倒幕派と徹底抗戦する道もあったかも知れません。
慶喜はその道を避けました。
これ以上、フランスの影響力が増す事に懸念を感じたのでしょう。
幕臣達からは、「東照宮さま(家康)の再来」とまで称される程であったとされています。
しかし、既にこの時点では、幕府を再興する道は前途多難の状態でありました。

1866年、14代将軍家茂が死去すると、崩壊寸前の幕府の立て直しには、慶喜以外に見当たらず、慶喜は第15代将軍に任命されました。
しかし、時すでに遅く、倒幕派が大勢を占め、時世は「幕府を倒し新しい国を作る以外に道はない」と迄に進んでいました。
慶喜は、大政奉還(政権を朝廷に返還)以外に徳川家を存続させる方法はないと決断しました。
大政奉還をすることを大名達に伝え、二条城にて正式に朝廷に願い出ました。
これで長期に渡り続いた徳川幕府に終止符が打たれたのです。

大政奉還には「土佐藩・坂本竜馬が一枚噛んでいた」とされています。
しかし、決断したのは、将軍である慶喜です。
将軍でなければ朝廷に大政奉還を願い出ることは出来ません。
また、竜馬は、大政奉還の1ヶ月後に暗殺されてしまいます。
大政奉還により多くの敵を作ってしまったのでしょうか? 詳細は解りませんが・・・。

大政奉還に於いて幕府側の思惑は、多少なりとも倒幕運動にブレーキをかける目的があったとされます。
大政奉還は叶ったとはいえ、朝廷側には、すぐに政権を担当できる能力はありませんでした。
次第に、幕府と薩摩・長州の倒幕派の志士達との対立が深まっていったのです。

「一時的には、旧幕府が武力で政権を奪い取ることも可能であった」とされています。
しかし、慶喜は京都から江戸へ戻り、謹慎の意を表明しました。
後に慶喜は自分の腹心であった者に「あの時は、ああするしか為すすべがなかった」と言っています。
自分が将軍としての職務を固持すれば、国は割れ、大混乱になると考えたのでしょう。

その後慶喜は、水戸、静岡、東京と転々と居を移し、政治には関わりませんでした。
見方によっては「将軍としての職務を放り出した」と見られたかも知れませんが、承知の上で謹慎生活に入ったのでしょう。
慶喜が、大政奉還をし、真摯に朝廷の命令に従う態度を示した事が、結果として、江戸の焦土化を防いだのです。
旧幕府軍・勝海舟と倒幕軍・西郷隆盛による江戸城無血開城へと事は進み、江戸が解放され戦火を逃れました。

しかし、最後まで抵抗した「新撰組」のように、戦いと犠牲はありましたが、欧米諸国による日本の植民地化も防ぎました。
その意味でも、徳川慶喜の決断と行動は、幕末の混乱期から明治維新へ移り変わる激動の中、日本が国としての体裁を整えることに成功したのだと思います。

徳川幕府を開き、国を統制した家康、幕府を閉じて、新しい方向に国を導いた慶喜・・・対照的な二人の大将軍の歴史がこの国にはあります。
維新後は明治35年(1902)、慶喜は公爵の位を授かりました。


世の中が激しさを増し、激流のように流れていった時代、策士、策略、謀略、諸々あったでしょう。
それを踏まえた、私なりの考察です。

慶喜は家茂の後見職を務め、外国との折衝に当たった経験から外国が虎視眈々と国を狙っている様子を通じ、その国力の強大さを痛切に感じていたのだと思います。
国を二分する戦いをすれば、国力は衰え、外国の侵略を受けてしまう・・・最大の懸念は、まさに、ここにあったのでしょう。
次の新しい時代への軟着陸が必要だと考えていたのかも・・ですね。
そんな思いで将軍の座に就いたのでしょうか・・つまり、徳川幕府はいずれ立ち行かなくなる。
ならば、混乱を最小限に留めよう。それが将軍として最後の使命であると・・

「慶喜は晩年、写真撮影に没頭された」とありますが、晩年の日常生活の中においても「将軍であった」という重責を背負い、過ごされたと思います。
趣味の写真撮影などを通じて、新時代の息吹を実感し、満足感を持って世を去ったのでは・・・と思います。

大正2年(1913年)11月22日77歳で亡くなっています。

 

 ※ 文が長すぎましたぁぁぁぁ・・・まぁ、とにかくご覧くださって、ありがとうございました(TK)

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突然の手紙に・・・

2015-05-16 08:35:50 | この頃思う事

  

 「紫蘭」が咲き始めたと思っているうちに、満開になってしまいました・・・このところの高気温のせいでしょうか。

 


 

5月15日 午後3時過ぎでした。
何時ものように、郵便配達さんが廻ってきて、一通の封書を、郵便受けに入れて行きました。
手に取ると、月に1回ほど訪ねている知人からでした。

これは、誰が見ても確かな事で、私は、医者でもなく、セラピストでもなく、専門介護者でのないから、人の正しい処し方など分かりません。
ただ、目の前で助けを求めている人がいれば、無視する事は出来ない性分であることは確かなのです。

知人の手紙を開けると、便箋2枚に、びっしりと文字が連ねてあり、私が知人宅に訪れるのは、知人を自由に支配する為で、全く、知人を見下していると書いてありました。
それだから、私が来るとストレスが溜まって、かえって病気が悪化するから、もう、来ないでくれと言うのです。

私は、その内容には納得しました・・・何時も、同じ愚痴を繰り返す知人に、イライラして厳しい口調になっている事に気づいていたからです。
知人が、どうする事も出来ない過去を繰り返し愚痴って、日々を鬱々を暮らすより、生きている間は(もう、知人も私も先は短いのですから)、少しでも前向きに、心穏やかに暮らして欲しいと、時には、叱咤(激励はしなかったですね)もしましたし・・・
それを、こんなにも違った解釈をしていたという事に、半ば、感嘆すら覚えます。

午後4時、次回に行く時に持参しようと思っていたタオル等(夏は汗をかいて肌が荒れると言っていたから)を持ち、軽い夕食を買って、知人宅に向かいました。
知人は、丁度、配達された介護弁当で夕食を取っていたので、持参したものを冷蔵庫に保管するようにと渡しながら、「来て欲しくないと言っていたけれど、今日は、謝りに来た。私のする事がストレスになっているとは分からなかったので、本当に、申し訳ない。すべてに対して謝ります」と言いました。
知人は私の顔を避けるかのようにTVを見たまま、「わざわざ来ることは無い」と言うから、「もう、私から来ることはしない。貴方が、私に出来ると思う用事が出来たら電話して・・・その時はいつでも来る。ただ、けんか別れはしたくないから、ちゃんと、顔を見て謝りたかった」と、私にしては、すこぶる穏やかに話したのです。
それ以上、知人も話をしようとしないので、「もう帰るけど、元気でいてね。さよなら」と、滞在時間10分程で帰宅したのです。

他人から見ると、私は、自由気儘に、お金の心配もなく(退職金や年金を余る程貰っていると言われます)、ノンキな生活をしていると思われています。
人がそう思うならば、あえて、私は否定しません・・・否定しても、ウソだと思われるからです。
一人、家を出て人並の生活をするのは、そう楽なものでは無かったのですね・・・勿論、家など買えませんし、貯金も宝石もありません。
ただ、老後を考えて、派手なものを避け、地道に貯金をするより、今出来る事を楽しみ、老後は「大ぼら」を吹いて過ごそうと決めた訳です。
決して、お勧めできる生き方ではありませんが、ともかく、現在のところ、後悔も未練もありません。

知人が、この先、心穏やかに暮らしてくれる事を祈っています。
その一方で、知人から解放された安堵感も感じている私は、きっと、偽善者なのですね。


 


          (画像クリックで拡大)

 

庭の片隅に咲く花々です・・・最初の花の名は不明、次からは「岩タバコ」「スズラン」「エビネラン」です。

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我が家の草取りも・・・

2015-05-15 12:07:39 | 晴耕雨寝

  

  5月4日現在の「じゃがいもの花」です・・・今は、殆どの株に、花が咲いています。


 

「援農」も終り、6月初旬には、「花壇植込みボランティア」が予定されています。
で、その間に、我家の畑の草取りをしておこうと、昨晩から、考えておりました。

15日、朝6時に起きて、PCに向かいます。
メール・ブログを確認し、とりあえずの対処をしてから、畑に出かける準備をしました。
まだ、朝食は取っていませんが、作業終了後にするつもりで、出かけたのは、7時少し前でした。

本日の予定は、畑の周りの草刈り(既に50cmくらいに伸びているのです)と、畑の隅に植えてある「花しょうぶ」「立葵」の草取りです。
ま、何時もの通り、2時間程で終了できる範囲なのです。
ここ数年、全くの草畑として放置してあったところなので、草も、生易しいものではありませんが、そこは、程々のイイ加減さで、見場が良いように仕上げます。
「花しょうぶ」に至っては、もう、株分けをして、植え替えなければならないギリギリの状態なので、花が終わったら、6月末頃、掘り起こすつもりでいます。
だから、草取りは省きました。

イイ加減と言えども、やれやれ一段落・・・と、帰り支度を始めたら、ご近所さんに出合いました。
昨日、頂き物をしたので、お礼を一言言って・・・と思い、何時の間にか1時間過ぎ、若しかすると2時間過ぎようか、おしゃべりをし続けていたのです。
いやいや、もう、日は真上近くにあり、お昼になってしまうそうで、家路を急いだのです。
時計を見ると、午前11時30分過ぎでした。

まぁ、この程度の作業でも、見た目は涼しそうな畑になりました・・・雨でも来れば、元の木阿弥だと思いますが。
朝食兼昼食に、「そうめん」を食べました。
もう、そんな食事が合う、真夏のような暑さなのです。

 


  

  九条ねぎの花・・・で、いいのですよね。 今日、根元より20cm上あたりで、刈り取りました。

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大正ロマンと足湯で・・・

2015-05-14 15:16:06 | この頃思う事

  

 多分、昨年に、この「あやめ」の植替えをしなければ・・・なんて言ったような気がします。やっぱり、手付かずでした。

 


 

我が町から、車で30分余りで、伊豆の山々の懐深くに、「吉名温泉」というところがあります。
ず~っと以前は、「イノシシ鍋」などを売り物にした山あいの旅館でしたが、最近、経営者が変わって、「大正ロマン」を打ち出したレストランや、足湯を併設したテラス様式の喫茶等を作ったのですね。
物見高いオバサン連中は、早速に出かけて(私も、同行しました)「足湯喫茶」は経験済みですが、「大正ロマンの薫り高いレストラン」は、未体験でした。

    
         ↑ (画像クリックで拡大表示)

そこで、本日、あくまでも、「足湯喫茶」が主目的ながら、「大正ロマン」も覗いてみようと試みました。

まず、「足湯喫茶」で軽いランチと、足湯を使いました。
でも、今日の暑さは、もう、真夏のようなのですよ。
テラスの、なるべく、日差しの差さない席を探して食事をし、食後に、全く、日陰の無い席(日傘を置いてある所は、もう、満席)で、足湯をしたものの、暑くて、熱くて(そうなんです、頭は暑いし、足は熱いのです)、数分、辛抱して浸かっていたのですが、何も「我慢大会」では無いのですから、そうそうに温泉から脱出しました。

その脱出後、大正ロマンを求めて、別の建物に移りました。
その建物内には、「アールデコ」というレストランと「ミルクホール」というカフェがありました。
我らは、ミルクホールに席を取り、友人はソフトクリームを、私は、当然、珈琲ですが・・・この珈琲、ちょっと残念だったのです。
まぁ、先日の上野・椿屋珈琲店の後ですから、採点も厳しかったかも知れません。
しかし、静かで落ち着いた雰囲気は、やはり、イイですねぇ・・・ゆっくりと、時間が過ぎて行きました。

書道教室の勘違いで、出来た時間ですが、なにか、とても充実感を感じました。
さぁ、家に帰ったら、課題書に向かわなければ・・・という意欲も出て来たみたいです(ホントかな?)。


  

 畑に植えてある「あやめ」ですが、肥料が効いているので、どんどん、大きく増えて行きます・・・何とかしなければ・・・と、今年も思っているのです。

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ドジで、チグハグな一日

2015-05-13 22:06:09 | この頃思う事

     

  9日に行った「上野・東照宮ぼたん苑」には、「ぼたん」だけでなく、「芍薬(と思う)」もありましたね。
  この花の鮮やかさ、一押しです。白色も素敵ですが、写真が上手に撮れないのです・・・ゴメンナサイ。


 

昨日の「援農」の疲れでは無いのです。
でも、チグハグな一日を過ごしてしまいました。

欲を出して、たくさん貰ったカーネーションも、我家だけでは飾りきれないので、ご近所さんや、姉、妹におすそ分けしました。
妹が車で取りに来るというので、ついでに、買い出しに連れて行って貰おうと、虎視眈々と来るのを待っていたのです。
やがてやって来た妹に、「買い物に行かない?」と聞くと、「美容院に行く」というから、「どっち方面?」と、更に聞いたら、私の行きたい方向と逆なのですね。
仕方ないからマイカー(自転車)で行くしかないなと決断したら、妹が行ってくれると言うのですが、夫婦喧嘩でもしたのか、今日の妹のご機嫌が、すこぶる悪いのですよ。
これで断ると、更に機嫌が悪くなりそうなので、大人しく従ったのです。
でも、気分的に落ち着かなくて、そうそうに買い、帰宅したのですが、あれもこれも買い忘れてきました・・・あぁ~あ、なのです。
姉だって妹に気を遣うのですよねぇ。


      一応、「筍の煮しめ」です

気分転換にと、ニョキニョキ出てくる筍退治を始めて、何時もは、打ち捨ててしまう筍のうちで、やや小さ目なものを煮て見ようと思った訳です。
一応、数分間、茹でて(勿論、糠などありませんから入れません)、水の中に、しばらく、浸けておきました。
で、写真の如くに、醤油と削り節で煮て見ました・・・一見、美味しそう・・・でも、えぐいのです。
まぁ、当然の結果だと、如何に料理オンチな私にも納得できる成り行きですよね。
しかし、意地でも、食べつくす覚悟です(別に意地を張る必要もないのです)。


そんなところに、友人から電話が来て、「明日の書道教室はあるの?」と言うのです。
「第二木曜日だから、あるでしょう」と何の疑いも無く答えますと、予定表には、第一と第三木曜日になっていると言うではありませんか・・・
ここ数年、第二と第四木曜日が書道教室と決まっていたのです。
慌てて予定表を確認しますと、確かに、5月予定表は、第一と第三なのでした・・・第一木曜日は、既に、過去形です。
う~む・・・完全に勘違いで・・・と言うより、端から、予定表など見ていなかったのですね。
すぐ、先生に電話を入れて、勘違いのために、5月の書道教室は出席できない旨、お詫びをしました。
先生は、「やぁ、嬉しいわ~、勘違いするのは私だけだと思っていた」と喜んで(?)下さったのです。

 

大体がイイ加減な日々ですが、今日みたいに、チグハグになるのは、そうは無いですよ。
だからと言って、滅入ったりしない私です・・・過去は過去、もう戻りませんもの。
早速、友人に、「明日の予定は無しになったから、どこかへお茶でも行こうよ」と声を掛けたのです。
友人から、快い返事を貰いまして、明日は、吉奈温泉へ「ランチと足湯」に出かける事にしました。
物事は、前向きがベストなのです・・・てな事をエラそうに言いながら、如何に遊ぶかを考えているのも、私なのです。

 


  

 「ぼたん」にも勝るとも劣らない、豪華な芍薬の花です・・・当然、手入れも良いのです。

 

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河津で「援農ボランティア」

2015-05-12 23:39:19 | 三六趣味の会便り

  

「援農」で河津に向かう途中、予定外ですが、天城「昭和の森」で、「しゃくなげ」鑑賞をして来ました。

 


    

昨年、河津で「援農ボランティア」に参加した36会メンバーから、山ほどの「カーネーション」を貰いました。
来年も参加するならば、私も、「カーネーションが貰いたいから、同行したい」旨、申し出ていたところ、お誘いが来たのですね。
当然、万障繰り合わせて、参加したのです。

5月12日。
何やら、台風接近とのニュースにもめげず、午前8時に仲間の車で出発し、現地、河津に集合したのは午前9時30分。
それから、割り当てられた農園のハウスに向かいました。
母の日を過ぎたために商品価値が下がったカーネーションの片づけを、「援農ボランティア」という企画をだし、「援農」と「地域活性化」とを打ち出したのですね・・・但し、参加費2500円が掛かります。
自分が摘み取ったカーネーションは全部持ち帰られるのと、「ボランティア」という響きにも魅せられるものがあり(私自身がそうですから・・・)、8年(?)くらい実行しているとかで、今回の期間中は400名程の参加があるのだそうです。
なかなか、その企画で採算が合うのかどうかは分かりませんが、良いアイデアだと思います。
ただ、参加者の顔ぶれを拝見すると、我らと同じような年齢なのが、ちょっと残念な気もしました(当日が休日でないためかも知れません)。
労働の中味は、それ程、体力を必要とはしませんが、もっと、若い年齢が参加して、農業などに興味を感じてくれたら良いな・・・と、思うのです。

2時間程で、花の摘み取りと株の引き抜き作業は終了し、昼食(金目魚の煮つけ)を頂き、日帰り入浴券とニューサマーオレンジのお土産を手に解散しました・・・勿論、抱えられない程のカーネーションも貰いましたし、ひとっ風呂も浴びて来ました。

それぞれ自宅に荷物を持ち帰った後、再び、「ご苦労様でした会」のために、寿司店に集合・・・今日も、ビールが美味しい一日でした。

                                                                            [報告:YTです]

 


 

「しゃくなげ」最盛期を、少し過ぎてしまっていたので、残念ながら、絢爛という状態ではないけれど、そこここに残る花の風情は悪くないですね。

コメント (8)
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