屋敷の隅にニョッキリと「キヌガサダケ」か?本物ならば、中華の食材になるのだそうだ・・・まぁ、食して見る勇気はないが。
9月最終日・・・と言っても、とりわけ、特別な事がある訳では無いけれど、今月は訃報が多かったなぁ・・・と思う。
友達のご主人、知人のお母さま、それに、昨日葬儀に参列した叔母・・・と、3件も続いたのだが、まぁ、私自身が、そういう年齢なのだろうと解釈している。
友達や知人には、落ち着いてからお悔やみも兼ねて、「お茶」でもしようという段取りにしている。
それはさておき・・・
十年位前だったか、アナログ放送が(強制的に)終了しデジタル放送に変換した際、アンテナを自主的に取り付ける手間を省くこともあって、ケーブルTVに代え、CS放送など50局余のチャンネルを契約した。
その当時は、まぁ、様々な内容に分類された専門放送局のおかげで、結構、楽しくもあり面白くもありの番組に触れ、ちょい知識が増したような気分になったが、その内に、諸々TV番組に興味が薄れ、殆ど、海外映画か海外TVドラマしか見なくなり、その後には、余りのコマーシャルが多いのと、同じ内容を繰り返し繰り返し放映するのに嫌気が起き、興味を持った映画やドラマはDVDを購入して見るようになっていた。
そして現在、時折見るチャンネルはニュース専門2局のみという状態が続き、で、はたっと気づいた・・・そうだ、ケーブルTVは解約できないが、チャンネル数を最小限度にしよう・・・と、思った訳だが、結局は、10年前の状態に戻ったという事(自分の興味は変えられない?)。
9月30日が、それの期限の日なのだ。
断捨離だ、断捨離をしよう!と喚いていても、現に生きている限りは、何もかもを片づける事は出来ない。
だが、我が身の回りには、自分で無ければ分からないような事が、多々、ある事に思いが至って、その一つ一つを、自分自身に確認させる事を目的にして、今は、目に見えないものの整理をしている。
そうそう、昨日の葬儀で一同に会した親戚連の話題は、自身の健康と命の期限・・・と決まっているが、その連中(当然、自分も含めて)の話を聞きながら、やはり、最終的な儀式はどうすべきかは自身で決めて置くべきだと思った(個人的には無宗教のつもり)。
更に私の境遇(イイ加減に生きた人間)であれば、残った親族に任せ放しにしては、これまた、「イイ加減人生の大判振る舞い」になってしまうわなぁ、そろそろ「身じまいノート」も整理せねばイカンな・・・と、我ながら遅きに失した感も大いにありながらも、導き(?)を得た一日であった。