IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

続くコロナ禍の暮れに想うこと!

2021-12-30 14:49:31 | この頃思う事

 ←現在、すっかり落葉した「山もみじ」

屋敷の横にある竹藪(他人様所有地)に、一本の「山もみじ」の木があり、毎年、それなりに紅葉して庭先に舞散ってくるのに、季節の巡りを楽しんでいたが、今年の秋は温暖だったのか、捗々しい紅葉も無くちょっと寂しい秋だった。
そんな時、花壇の隅に実生で成長している50cm丈程の「山もみじ」が遅れて紅葉した・・・やっと秋が体験できたような気分になって安堵する。

 

 


   
友人から頂いた一升瓶入りのワイン「月山山麓」、新酒と記されているが2015年物で、すでに古酒?

年中行事からは遠く離れた我が生活であるから、何時でも、毎度同じような時間が流れているだけなのに、何故か、本日は30日だと気づいて、12月の過ぎる時間がやけに速かったなと驚かされる・・・ま、最近は、昼夜、逆転のような生活だからなのかも知れないけれど。
月末近くになって、年内に甥の経理関係の数字確認が必要になって、バタバタと起票・入力をしなければならなかった事、また、友人からパソコン作業を、急遽、依頼されて馳せ参じた事等で、多少振り回されていた感がありで、自分的に脳細胞へは、ずっと忙しかったようにインプットされたようである。
本日(30日)午後一に、トマト農家でパートをしている友人が、今年最後のトマト(規格外れ)と正月用(かな?)のワインを届けて貰い、そのお返し(にもならないが)として、わが家の畑から、大根、白菜、九条ネギを持ち帰って貰った。
お互いに元気でいい年を迎え、来年も楽しくやろうよね・・・と、エールを交わし合って本年を納めた。


このところ、予定通りと言うか、順調にとでも言おうか(と、諦め感が支配していて)、全国的にコロナ感染者数が増加して来て(当県ではまだ目立った兆しは見えないが時間の問題だと思っている)、変わらず新年も、コロナから逃れられない状況と思われる。
「同級生遊びの会」で、来春の新年会開催も提案されているが、第三回目のワクチン接種が済むのを待った方がいいかも知れないと考えている。
コロナ禍で2年間過ごした身として、今更、危険を無視してまで冒険をしたいという気力も無いし、殊更、閉塞感も感じていないから、状況も良くなった適当な時期に開催できるよう準備だけはしておくつもりだ。

今年も、あんなこんながいろいろ有ったが、どうやら、一年が過ごせたことに感謝し(自分自身を褒めたいけれど、やっぱり、それは傲慢かな?)、後一日、行く年を心静かに過ごそうと思う。
そうそう、忘れてはいけない事でした!
本年も飽きずにお付き合い下さったブロガーの皆様に感謝するとともに、「良い新年をお迎えくださいネ」。

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カール・マルクス著「資本論」⁈

2021-12-23 09:40:41 | この頃思う事

庭のアチコチに自生しているこの植物(名称不詳:雑草ではないと思う)は、花もカワイらしいし、姉の好みでもあるので、適当に間引きをしても残すよう気を付けて草取りをする・・・今の時期、放置していた鉢に自生したものが、結構、イイ感じに紅葉して目の保養となっている。

 

 


 

 

カール・マルクス著「資本論」をTV番組で聞きかじっている(我が視力の問題で、実際に読書する事が容易でないとかこつけて、毎度の如く、怠慢を享受しているだけだが・・・)。

難しい事は、とりあえず、傍らに置いて・・・19世紀中、既に資本主義の問題点を問うていることに、純粋に感心し興味を持った。
特に、現代声高に叫ばれている「イノベーション」を追求すると「ブルシットジョブ(くそどうでもイイ仕事と訳すらしい)」が増え、労働者は労働に対して思考が停止し機械の部品化する・・・という見識は、「うん!うん!」と頷けるものがあった。

先日(21日)忘年会と称して会食した友人とは、1960年代に、同じような金融関係の会社に就職し、何かと環境が一致するから、割合、話題に登場する機会も多いが、その席でも、かつて勤務した時代は、金融界と雖も、まだ、事務処理の機械化・デジタル化は進んでいなくて、殆どが手作業のアナログ処理だった為、確かに問題点もあっただろうが、自分自身が前向きに勉強し研鑽して改善も出来るという環境だったように思うし、業務は忙しかったが、とても仕事に前向きだったという記憶を持っている・・・私達は、案外、いい時代に生きて来たんだよね・・・と、懐かしく語り合ったばかりだった。

機械の部品化する一歩手前を体験した、単なる「老人の懐古趣味」なのかも知れないけれど・・・


で、「資本論」では「労働の疎外」を解決するのは、「構想」と「実行」が分離した現代の労働を「統一」する事だそうだ・・・素人である私が考える(到底、及びもつかないが)と、昔に戻れって事なの?と、何か、納得できない気もするが、「資本主義」が行き過ぎているという感じはあるから、修正に値するものがあるのだろうな。
そう言えば、ちょっと前の出来事で、ネット回線に不都合が生じ、世間(私を省く)が混乱し買い物等が出来なくなった時、専門家なる人にその対処法を問うたところ「現金を手許に置く」と答えた事が思い出された・・・どんなに「イノベーション」が進もうと、最終的には「アナログ」が勝つのだ!・・・と、ど素人には力を得た思いであるが、一方で、だから一層取り残されるのだ・・・とも思うよね。

 

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コロナ感染者数、再び上昇?の中で・・・

2021-12-18 11:26:04 | この頃思う事

 ←拡大可能

我が家の庭に自生している「万両」が、一時ほど、あちこちで増えてないのは、もう、自生するのも限界に来ているって事なのだろうか・・・だからと言って、「実生」で育てようという気持にもならないのは、危機感が無い証?

 

 


 

 

10日前ぐらい前だったろうか、東京に住む知人から「写真展」開催案内のハガキが届いた。
ハガキを眺めながら、一週間、考えた・・・そう、行くべきか行かざるべきか・・・ってね。

10月に「遊びの会」を開いた際には、東京等、関東在住の仲間も参加してくれた事を思えば、ま、十分、感染対策をして行けば、それ程、問題はない・・・と、頭(理論)では納得している筈が、もう一押し、心(気分)が盛り上がって来ないのだ。
多分、もう2年間も上京していないという日常に慣れてしまい、出掛けない事に何の違和感を感じていないのが原因の一つだろうが、も一つとして、只今、骨折で入院中の姪(難病指定)が、そろそろ退院の時期が来ている事も、気持ちを前向きに出来ない一因でもあった。
私と姪とは、お互い、少々離れた別の家に居住しているから、常日頃は、私が街へ出た時など、その日から1週間程は、姪の傍に近寄らないよう注意しているけれど、我が町近辺で感染者ゼロの日が続いたりすると、やはり、気の緩みがあるのも事実、でも、それが「大事に至らない」と断定出来ないという現実は、結構、行動を制限する。
それならば取り止めればイイのに、イジイジ迷っている理由に、写真展を開催する知人が、数年前に、手術をし、その後の経過を会って確認したいと気持もあったからだが、何やら感染者数増加気味の東京へ、不安を抱えながら出掛ける程の緊急性も無いと判断し、今回は「写真展」は見送る旨、先方にメールした。
先方からの返信に、今回の写真は、やはり、コロナの為に新たな撮影に出かけられなかったから、撮り溜めた写真の中から展示した事と、今年で術後4年目の検診も異常はなかった・・・と記されていて、とりあえずは、不安材料が除去された。


故郷に戻る迄、何か行動を起こす際に、第一が自分自身の都合であり、第二として相手の都合とで、決断・行動していたから、何事にもケリがつくのが早かったけれど、この歳をして、周囲の事情がまず第一、という思考になるとは思いもしなかった。
人間というものは、遅かれ早かれ、どんな形であっても、一通りの経験を積む宿命を科せられているのかな・・・なんて思う日々であるが、勿論、私の事だから、深刻に考えこんではいないけれどね。

姪は昨日(17日)退院したが、そのままリハビリの為に専門病院へ転院した。

 

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利己的な我が「禅修行」

2021-12-14 10:14:32 | この頃思う事

 ←拡大可能(11月22日撮影)

庭木に隠れて日陰になっていた「千両」が、今年、周辺の木の枝を落として日当たりを良くした為か、例年に比べて出来が良く、これなら正月用に豪華な生け花に出来る・・・と、内心、ほくそ笑んでいたところ、何やら、実がポロポロと落ちてしまったのか、今は、すっかり寂しくなっている。
そう言えば、傍らに植えてある「ムラサキシキブ」の実が落ちるのも、やっぱり、早かったような・・・病気かな?

 

 


 

 

遊び仲間の同級生の訃報が入った。

この「遊びの会」を始めて15年間、皆、ほゞ75歳となり、これで3人の仲間を見送った事になる・・・この数が多いのか少ないのか、はたまた、世間一般として妥当な数なのかは分からないが、こんな事が日常になるという自覚は持っている。
自身に近い年齢の方を見送ると、次は自分かなと思って寂しくなるという話もよく聞くが、今の私は、まだ、どこか他人事、つまり自分自身の事として思いを至らせることは無い・・・とは言っても、「何時までも私は生き残る」とも思っていないから、訃報を聞くたびに、我が生存圏内が段々と狭まって来る感じは、確かに、ある。
家族葬だと言うが通夜参列を依頼された遊び仲間の友達に、お供物(お線香)に短いお悔やみの手紙を添えて託した。


ほゞ毎日、庭の落ち葉掃きを「禅修行だ」と自分自身に言い聞かせて実践している。

最初は、毎日毎日なんと空しい仕事だ・・・と、ネガティヴな気分で始めるが、その内、あれこれ結論の出ない事柄が脳内を駆け巡り、何時の間にか、目の前にある落ち葉に集中していて、この落ち葉はどこから降って来るのかなとか、なんと味わいのある色なんだとか、掃き終わった場所に、新しい落葉がはらりと落ちると、これは明日に残そうとか・・・1時間余(長くても2時間くらい)の落ち葉掃きを楽しんでいる自分を発見するのだ、まさに、これ「禅修行」と言わなくて何ぞや!という境地に至っていると察する。
ま、そんな風で、訃報を聞いたその日も、落ち葉を掃除しながら逝ってしまった3人の仲間と遊んだ日々を思い起こし、あの時は笑ったね、まぁ、よく飲んだなぁと思い出される愉しかった思い出と共に「禅修行」に勤しんだ・・・が、その日、久し振りに我が家の屋敷に沿った区道(他人様のもの)を掃除したものの、きっちり、我が屋敷に沿った区域内だけ・・・という利己主義的行動を実践しているのだった。

つくづく、利己的というか打算的というか、「無償の行為」の出来ない自分を再発見・・・これでは救われないな・・・と、思う。

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失敗を楽しめるか?

2021-12-07 10:24:07 | この頃思う事

 ←拡大可能

日当たりの良い畑の隅にある妹宅所有の「山茶花」。

我が屋敷内にも「山茶花」を植えてあるが、半日村だから、陽を求めて伸びまくる木に手を焼いて、頭頂部を切り落したところ、脇枝がたくさん伸びて来たのに、全く、花が咲かなくなってしまった。
もう切り倒してもいいかな・・・と、思う一方、母が植えた「山茶花」だという事に、未だに縛られている私である。

 


 


コロナ禍で始まった「同級生遊びの会・Zoom de 呑み会」が、昨日(6日)催され、実質的な「忘年会」となった。

コロナ感染減少気味だった10月に、その間隙を縫い、ほゞ、2年振りで「face to face 」で行われたこの会 を「忘年会」とする事も考えたが、久し振りの顔合わせで話が弾み、これといった挨拶も出来なかった。
「Zoom」なら落ち着いて話が出来るかと思ったものの、案の定、毎度の如くの出だしトラブルで、ワサワサと時間が経過し、それでも、制限時間が終わるころになって、今年一年、皆が無事に来られたことを祝し、あれこれトラブル続きだったにも係わらず継続してきたメンバーに感謝を述べることが出来たので、何となく、一区切りが付いた感あり。
ま、「先の事は分からない」という本音は確かに存在しているけれど、だからと言って、先の事を憂いているのは意味がないと思うから、出来る事を出来る内に・・・の精神は失いたくないし、失敗もトラブルも楽しもうよ・・・の精神も失わないでと思っている。


が、私の早合点・早とちりで、愚かな「失敗!失敗!大失敗!」をした。

先日、使用している会計ソフト会社から「使用しているソフトのバージョンUPを開始しました」というメールが送信されて来た。
最近の会計ソフトは、毎年毎年、契約更新を、半ば、強制してくる。
今更、ソフトを使わない会計処理は面倒だし、契約更新して置けば、法改正などとも連携してくれるから、改めて勉強しなくてもいいし・・・と、要するに、自分自身が怠けたく更新をして来た。
でも、先日のメールをざっと(これが、常に災いの基でして)目を通すと、更新期限(私の期限はR4.2.28)が残っている先が対象でつまり無料でUP出来ると勝手に判断してインストールしたところ、いやいや、後になってバージョンUP料金(7700円也)の請求書が郵送されてきたのだ。
えっ?どうして?と、改めて但し書きを読んでみたら、更新期間が残っているか切れているかで料金が違うのだと判明、何とした事!と思ったが、後の祭りで、支払うしかないのか・・・と、ちょっと騙された思いが残った。
しかし、これは完全に私のミスだと認める。

最近、文字を読むのが面倒になって、書かれている文章を、しっかり読むという事から逃げているのが現実なのだから。
だからと言って、なかなか、ミスった事を教訓に出来ないのも現実だし、こんな事を繰り返しながら行くのだろうなとも思う訳で・・・まぁ、楽しめないトラブルもあるって事よね。
それでも、このまま言われるままに7700円也を払うのも癪だから、一応、ソフト会社に文句を垂れるつもりで、も一度、ソフトバージョンUPの内容などを検証(UPする必要があったのかどうか)している。

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「無限のループ」に嵌まってない?

2021-12-03 09:58:15 | この頃思う事

冬季の定番「さざんか」である・・・と言っても、これを撮影したのは11月14日で、既に、随分、落花しており、そろそろ「椿」が咲き始めている。

 

 


 

 

12月ですよ~、今年も終わりって事。

毎度の事ながら、いったい、今年は何を為したのだろうか・・・という思いが湧いて来る。
何も為さなかった・・・であっても、まぁ、こんなものよ・・・と、思うだけで何の反省の無いのが何時もの事だ。
それでも、このコロナ禍で今日まで生き抜いてきた(随分と大げさな表現だが)ことが、一番の成果なのかもしれないよね。

オミクロン株という変種コロナ株が、ま、当然と言えば当然の成り行きで発生し、またまた、世界中に蔓延り始めた。
が、安心材料の一つとして「ワクチン接種済」だから・・・と、世界中、一斉に(何か意図的にも思えるように)発信されているが、しかし、既存のワクチンが効くか効かないかは不明であり、新変種に効果のあるあるワクチンを近々に開発出来るとか・・・これって、「変種が発生→ワクチン開発・接種→また変種が発生→また、ワクチン開発・接種→永遠に・・・・」と、この先、ずっとワクチン接種を続けるという「無限のループ」に落ち込んでいるのではないの?と、まるっきしの素人考えではそうなるのだが、現実はどうなんでしょうかねぇ。
我が長い人生に於いて、病院・医者嫌いなのに、この「新型コロナワクチン」だけを(何であれ予防接種類はしたことが無い)積極的に接種したのは、自分は元より、何よりも周囲の事を考え、この惨禍を防ぐには「ワクチン接種」をしなければならない・・・と、まぁ、言わば、一大決心したからなのに、またまた、3回目ワクチンを、4回目ワクチンを、5回目を・・・となるのは、ごめんだな!・・・が、たとえ自分の為であっても偽りのない本音である。

 

本日(12月3日朝)、山梨県を震源とする地震があった。
最近、TV等で、「富士山の噴火」に関係する番組が目につく、我が地元だから・・・という事もあるだろうが、準備や避難の心構えなど発信したりしているけれど、私自身は、「何処にも逃げられない」と観念(諦念?)している。
世の中が騒がしくても、オドオドと暮らしくない、振り回されたくない、其れ以上に、自分に残されているそう長くない時間に、自分の思う様に生きたとしても、そう迷惑をかける程ではない(自分の事は自分が一番分かっているから、大それたことは出来ないという情けない自信がある)・・・という「居直り」の心境にある。


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